カテゴリー「家族」の23件の記事

3年半ぶりの故郷能登

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 この連休、二男が生まれて以来初めて、家族全員で能登に帰りました。
 私一人でみても2006年4月以来3年半ぶり、墓参りにいたっては4年以上もサボり続け、ご先祖に不義理をしていました。墓前で手を合わせると、心の奥につっかえていたものが奥能登の秋の空高く上がっていきました。
 シルバーウィークの高速道路はどこも混雑する一方、能登半島は人も車も少なく空いていました。田んぼは稲刈りの最盛期で、刈り取りを待つ田は黄金色に輝き、刈田には8段掛け以上の稲架(はさ)もあり豊穣の田園風景が広がっていました。長男は、コンバインに乗せてもらい稲刈りの“手伝い”(という名目の体験)もしました。
 “こけ”(キノコをさす方言)の時季には少し早いものの、叔父が山からシバタケを1食分だけ探して採ってきてくれました。これにすりつぶした枝豆を併せた味噌汁は絶品! ほかにも100%自然素材で自家製のところてんに、宇出津(うしつ)港や蛸島(たこじま)港で揚がった地魚などをたっぷりといただきました。
 4日間の食事は、飽きもせず能登の海産物づくし。こうして能登の豊かな「食」を楽しむことで、わずかながら“能登分”を補給し川越に戻ってきました。

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今回の帰省では残念ながら夕焼けには出会えず。それでも円山のシルエットが美しい立戸ノ浜(たっとのはま)の黄昏情景を見に行った。“あいの風”が吹くとこの浜は凪ぐ/石川県鳳珠郡穴水町沖波地区にて

*関連記事 ふるさと能登(第100号)

(第255号)

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オオカミ少年と呼ばれても

 近所の公園から聞こえてくるラジオ体操に小学生の声。寝起き前のうつらうつら状態に、ケータイから聞いたこともない音が鳴り響いている。キュワッ、キュワッ、キュワッ…。

 ハタと気づき飛び起きて、画面も見ず1階にいる妻に向けて「2階に上がれっー、地震だぁー!!」と大声で呼びかけた。にもかかわらず、妻が2階に上がってきたのはしばらくして。緊迫した様子など微塵もない。「朝から大きな声を出してみっともない」「子どもの着替えをさせているのに何の用」とあきれ顔であった。

 ケータイの音の正体は、『緊急地震速報』を知らせる「エリアメール」。しかし、一向に揺れ始める気配はなく、のちに『誤報』だとわかった。
090825 最大震度5弱以上の地震の際、震度4以上と想定される地域に揺れが襲う直前に出されるのが一般向け緊急地震速報。妻への大声は、木造家屋の1階は倒壊による生き埋めの危険が高いことなどを瞬時に判断してのとっさの行動だった。速報が誤報だったことで、結果的には、予告なしの“訓練”に終わった。これはこれでよかった。

 だが、納得のいかないことが1つある。大声が原因で、家族の中で私一人バカ者扱いされていることだ。
 万が一、強い揺れに襲われる場合、速報後に残されている時間は、あって数秒だ。もっと小さな声でとか、様子を見てからでは間に合わない1秒を争う事態なのだ。また、誤報の発生は、いまの技術やシステムでは仕方がない。システムが未だ不完全なものでも、ないよりはあった方がいい。速報が命を救う日は必ず訪れるであろう。
 だから、誤報をとらえて気象庁を殊更非難したり、揺れに備えて行動した人間をバカにするのはケシカランことだ。つぎの『緊急地震速報』でも、ためらわず私は、「地震が来るぞー!」と大声で家族に知らせるだろう。誤報なら、その都度、緊迫した訓練ができるというものだ。

 目下最大の課題は、以上を妻に納得させること。それは、緊急地震速報が完璧なシステムとして完成するのと同じくらい技術的に困難なことであろう。

(第251号)

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雨ニモ負ケズ還暦の熊谷花火大会

 この夏3度目の花火見物は、熊谷花火大会。打ち上げ場所から1.5kmほど離れた荒川右岸堤防のうえで見物しました。立秋を過ぎ、堤防の草むらには、秋の虫の音が響いていました。
 ところが、開始1時間前には虫の音をかき消す雨音が。天気は本降りの雨。延期やむなしとあきらめていたら、予定より20分も前から打ち上げが始まりました。いったん雨は上がりましたが途中からまた降り出してしまい、最後まで止みませんでした。雨の中での花火見物は初めてです。
 花火大会のクライマックスはラスト、という“お約束”を打ち破り、最大の見せ場は中盤にありました。地元の百貨店「八木橋」提供のワイドスターマイン。いったいいつまで続くのかというほどの特大乱れ打ちで、こんな花火は生まれて一度も見たことがありません。絢爛豪華、言葉を呑むとはこのことです。
 残念なことに、雨で上の方が煙ではなく雲に隠されてしまっていますけど、それでも見事です。小江戸川越花火大会の「丸広」など、比べものにもなりません。完敗です。
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第60回熊谷花火大会でのワイドスターマインのもよう。左下の光の点は荒川大橋、右の四角い光は八木橋百貨店。2009年8月8日20時10分頃撮影(Panasonic LUMIX DMC-LX3)

 ところで、熊谷花火大会の歴史について少しだけおさらいしておきます。
 熊谷は、1945(昭和20)年8月14日深夜、太平洋戦争最後となる空襲を受けました。市街地の74%にあたる約118万1400平方メートルが焼失。死者266人、市街地での負傷者約3000人、被災者は1万5390人に上りました。空襲から3年後の1948年、戦災からの立ち直りを願って開催されたのが「大熊谷復興花火大会」。これを起源に回を重ねて今年で60回目、埼玉県内で最も歴史のある花火大会です。
 熊谷花火大会の原点をみつめ、戦争の愚かさ、平和の大切さや有り難みを考えるきっかけにしたいと思います。きょう9日は長崎原爆の日、週末には64回目の終戦記念日も巡ってきます。

*関連記事
ハタチの小江戸川越花火大会(第240号)
アッパレこうのす花火大会(第242号)

(第247号)

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アッパレこうのす花火大会

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見物していた場所からの全体風景(左下の光跡は糠田橋)
花火があまりに高くあがるので、広角端24mmでも横画面では入りきりません(^^ゞ

 7月25日開催の“第8回こうのす花火大会”に行ってきました。
 鴻巣の花火大会に行くのは初めて。地図とにらめっこして、対岸の吉見側から見物しました。対岸といっても、打ち上げ地点からは荒川を挟んで500mほどの河川敷。遮るものは何もなく、空を見上げないと花火が視界に入らないぐらいの近さです。
 本大会の打ち上げ数は、なんと1万5千発。上尾や熊谷をも凌駕する県内最大規模。2尺、3尺の超大玉はないものの、尺玉の打ち上げがとても多く迫力満点の花火大会でした。川越からのアクセスもよく、来年以降も目が離せない注目すべきイチオシ花火です。

 ところで、先週の小江戸川越花火大会で花火の写真に初挑戦したワタシ。まったく思うようにいかず、お恥ずかしい写真を披露してしまったばかりです(第240号参照)。そこで今回、改めて挑戦することに。で、どうでしょう、少しは進歩したでしょうか。…でも花火は、やはり生で見るに限ります。

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中央と右の2枚は、多重露出やPhotoshopにて編集。右がエンディングの様子(左下の光の帯は“ナイアガラ”です)。左の1枚は、多重露出や合成などの編集を一切していません。ほんの一瞬の“開花”が写し撮られ、とてもいい感じに仕上がりました(シャッター優先AE,Tv1.3秒,Av2.0,ISO80,24mm,三脚使用)。P1070425

使用機材:Panasonic LUMIX DMC-LX3
撮影場所:鴻巣市糠田(地図はこちら

※この記事を綴っている間に、長男が絵日記を書き上げていました。親バカ丸出しsmileですけど、私の写真よりセンスがいいように思います。→→→

(第242号)

*追加関連記事 雨ニモ負ケズ還暦の熊谷花火大会(第247号)

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続・はるかな尾瀬

Oze_0102 ヒツジグサについてわが家での認識は、蛙が乗っかっているアレね~(長男)とか、葉の形が羊の足跡みたいだからね~(妻)とか、せいぜいその程度。ヒツジグサの上に蛙が乗ったら沈むだろうと思っていたら、当ブログのプロフィールの背景は、なんと蛙とヒツジグサの組み合わせで驚いた。

P1070092 その2人が、「父ちゃん~手と足のはえた大きなオタマジャクシがいるぅ~」と少し離れたところから大きな声で呼ぶ。寄ってみれば、イモリかサンショウウオだ(写真右)。ハイカーたちが笑っている。
 家に戻り撮った写真をながめる。ヒツジグサの花が咲いていなくて残念との私の声に、「1つだけ咲いてたよ、気付かなかったの?」と妻。イモリはどうでもいいからそっちを教えろ、と遅れた気遣いにヒツジグサへの想いは高まるばかりである(ヒツジグサの名の由来は、前号「はるかな尾瀬」の末尾を参照。なお、上左の写真は、1998年7月に尾瀬で撮影したもの)。

 <閑話休題>

続きを読む "続・はるかな尾瀬"

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はるかな尾瀬

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尾瀬を代表する一風景。湿原に点在する大小の池塘や浮島、それらを縫うよう続く木道に登山者の姿。正面は至仏山(2228m)。

 尾瀬に行ってきました。
 妻と長男は初体験、私は10年ぶりの訪問です。
 日帰りで朝は3時起き、4時に家を出て7時には鳩待峠の登山口に立っていました。登山といえば、登って下りるというのがお約束。しかし、鳩待峠から尾瀬ヶ原を往復する場合は逆で、行きに下って帰りに登ります。

 出発前に、「どこ行くんだっけ? ゼニ? ニゼ?」と寝ぼけた長男。なぜか初の車酔いでヘロヘロゲロゲロな状態に。鳩待峠に辿り着くや、「もう帰る」「山登りなんかしたくない」の超絶ネガティブモード。30分ほど休んで落ち着かせ、「ちょっと行ってダメそうなら戻ろうか」とあやし登山道へ導きました。石段や木道が気に入ったのか、10分と経たず“復活”。最終的に竜宮まで足を伸ばしました。
 至仏山に燧ヶ岳も見え、見頃の花は、ワタスゲ、ニッコウキスゲ、カキツバタなど。私の大好きなヒツジグサは全然咲いていませんでした。正午前に山の鼻へと引き返して昼食。午後の天気予報は雷雨。灰色の雲が広がり雨が落ちてきたので、止むのを待って早々に下山。14時前には鳩待峠に戻りました(歩行距離約15km)。

 長男は、山の鼻へ下る木道で滑って尻餅1ツキ。よそ見で木道から3回も転落。妻は、尾瀬ヶ原のど真ん中で“トイレ”を所望。ケガをせず帰ってこられたのが奇跡のようなオゼ探勝でした。つぎは泊まりで味わいたい。“シャクナゲ色に黄昏る遠い空”を見てみたい。家族が付き合ってくれるか??ですけど。

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池塘に浮かぶヒツジグサ。未の刻=14時頃=に咲くと云うのが名前の由来。池の水面には雲や空が映ります。昼前のこの雲の色は撤収のサインですね。写真は、いずれも尾瀬ケ原上田代にて(Panasonic LUMIX DMC-LX3)。

(第237号)

*追加関連記事
続々・はるかな尾瀬(第248号)
ヤマドリゼンマイ燃ゆる初秋尾瀬ヶ原(第254号)
尾瀬の山上に広がる楽園を見る(第260号)
尾瀬大好きの半年を総括(第274号)

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日本で最も小さい蒸留所

  <前号「飽きもせず万座へ」よりのつづき>

 送ってもらった駐車場で車に荷物を積み込み、時刻は11時半。風がものすごく強かったので、外でのレジャーはやめ、行ったことのないある工場を見学することにしました。下調べをしていないので電話で確認したところ、敷地内にはコース料理が食べられるレストランやカフェもあるとのこと。昼食もそこでとることにして向かいました。
P1060187  向かった先は、「メルシャン軽井沢ウイスキー蒸留所」。軽井沢とはいうものの、じっさいは隣の御代田町にあります。美術館も併設されていて、敷地に入ると、工場の面影は一切なし。そこには白樺が立ち並びアートな世界が広がっています。美術館に工場が併設されている、という表現が適切かもしれません(敷地総面積29320.75㎡のうち美術館が19154.52㎡)。
 お目当ての蒸留所見学の所要はわずか15分。工場の規模は小さく、木桶の発酵槽や小型の銅製単式蒸留器(ポットスチル)、樽詰めされた原酒が眠る貯蔵庫などを巡るごく簡単なものでした。
 それもそのはず、ここは「日本で最も小さい蒸留所」といわれています。ここでのウイスキー造りに携わる職人はわずか3人。国内の他の蒸留所が数万から40万の樽を熟成させている中で、軽井沢蒸留所の総樽数は約4千。これまでに見た「山崎」や「宮城峡」の近代的なウイスキー“工場”とは似ても似つかぬ、『蒸留所』という言葉が持つイメージにぴったりの場所でした。

 私には、運転というお役目があったので、大変に心残りですけど試飲はできませんでした。代わって、ウイスキーの味も違いもわからぬ妻が「軽井沢17年」を試飲していました。P1060166蒸留所限定の原酒も熟成年数ごとにたく さん売られていましたが、試飲をして好みのものを購入する楽しみとして、次回にとっておくことにしました。
 試飲がダメなら昼食はレストランでコース料理、と言いたかったところですけど、こちらも中学生以下の子どもがいて“お断り”。カフェの軽食でがまんしました。ノンアルコールを貫いたせいか、紅茶(※)がとても美味しかったです。
(※)grafオリジナルブレンドティー:suchea(スーチェ)

*参考文献 「THE Whisky World」vol.4 スコッチ文化研究所、2006年1月

(第207号)

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飽きもせず万座へ

 先週末、万座に行ってきました。もちろん家族を連れて、です。
 思い返してみると、昨年も、そして2年前も、連休前の4月最後の土日に万座に行っていました。違う時期とも併せるとけっこうなリピーターとなっていますが、全然飽きることのない極上の温泉地です。
 それで天候は、というと、2年前が雪、去年も雪、そして今年も雪で、とくに今年は吹雪いていました。すでに車は冬タイヤではなかったため、途中で路線バスに乗り換える覚悟で、雨のなか出発しました。

 万座温泉の約15kmほど手前にある万座ハイウェイ料金所。ここはまだ雨で周囲に積雪もありません。しかし、2年前と同様、スタッドレスかチェーン携行でなければこの先の走行は不可能とのこと。宿泊ならホテルのバスが送迎するので、料金所近くの嬬恋ゴルフ場駐車場に車を停めしばし待たれたし、とのこと。これも2年前と同様でした。
 バスは、私たちと同じような宿泊者のために、料金所と万座温泉の間をピストン輸送していました。それぞれの宿の玄関口まで無料で送り届けてくれます。私たちが泊まったホテルだけでも、同じように送迎してもらった人は130人もいるというから驚きます。これだけ人数がいると路線バスでの対応も困難でしょうし、利用者としては、雪道の心配をせずに済むありがたい措置です(往復2040円の料金もかからないし)。

 そうして着いた万座は一面の銀世界。時間にしてわずか30分ほどで景色は激変です。雪がちらつく程度なら趣バツグンなのですが、雪はもちろん風も強く、露天での雪見風呂はまるで修行のレベルでした。
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 翌日。過去2年はスッキリ晴れ上がる天気でしたが、今年晴れたのは束の間、どんよりした雲に覆われ、次第に雪模様となりました。帰りの送りのバスで万座を離れ山を下っていくと、雪は止み、車を停めていた嬬恋ゴルフ場の辺りは晴れ渡っていました。万座の標高の高さ(1800m)、山深さをあらためて実感した次第です。

  <次号「日本で最も小さい蒸留所」へつづく>

(第206号)

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二男に5度目の誕生日

 昨年、このブログで、重度心身障害者である我が二男4歳の誕生祝いのことを書きました(第57号「命を繋いで4年間」参照)。それから1年、今年も同様の誕生祝いをして5歳の誕生日を迎えました。
 鼻からチューブを挿入しての経管栄養補給をはじめとして、去年書いた諸々の「不可能な状態」は依然として続いているものの、とくに最近、食べられる食事の種類や量が見違えるほど多くなってきました。そのせいか、身体もずいぶんと大きくなり、抱っこのズッシリ具合も半端なものではなくなりつつあります。
 まだまだではあります(※父=私は全然ダメです)が、本人の体調のリズムが読めるようになり、医師の指示のもと、それに合わせて薬でのコントロールなどもできるようになってきました。この1年間での入院はわずか2回。言葉で訴えることができない本人の体調や気持ちを、妻がうまく読み取り感じ取って対処してくれているおかげです。
 妻は、飼っている下半身マヒの猫ともよくお話しをしています。「ドクター・ドリトル」顔負けの光景が我が家にはあります。
 その姿を見て近ごろ感じるのは、意思の疎通は、言葉ではなく気持ちでするものなのだ、と。それを証拠に、言葉が通じる者同士なのに、世の中にはちっとも解り合えないことで溢れています。その多くは、解り合えないのではなく、解り合おうとしないからだと思うのです。何を思い何を望んでいるかを伝えるための言葉が、却ってそれを阻害してしまうこともある現実です。
 しかし、そうは言っても、言葉でしか伝えられないことがあるのもまた現実です。気持ちと言葉が一体を成すとき、言葉は強い力を持つのかもしれません。言葉の連鎖によって、離れている者や知らない者の間に共感という気持ちを生み出し、共感の広がりは世の中を変える力を持ちます。そんな言葉のチカラを信じて、これからもブログを綴っていきたいと思います。
 言葉が使えず苦しんでいる障害者は、たくさんいるのです。言葉が使えても気持ちを正確に伝えられず苦しんでいるのは、健常者にだってたくさんいるはずです。

 …話がだいぶ逸れてしまいましたけど、これからの1年には、通い慣れた保育所から特別支援学校(養護学校)への進学や、かかりつけである都立清瀬小児病院の移転統廃合などの問題が控えています。5年かけて積み上げてきたいまの環境に、本人はもちろん、家族もようやく慣れてきたところなのに…。

 そんな心境のせいか、今年の妻の手作りチョコバナナケーキの味は、甘くもあり少々ほろ苦さも感じました。

(第200号)

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教えて下さい その意味を

 2月4日、さいたま地裁で1つの判決がありました。
 昨年9月、川越市内で、重度のダウン症を持つ長男(当時27)の将来を悲観した妻(同53)から懇願され、2人を殺害し自らも自殺を図った夫(同57)に対する刑事裁判の一審判決です。
 新聞報道に基づく裁判で現れた事実によれば、次のようなことが明らかになっています。
・体調が悪化して長男を介護できないと自分を責める妻に「3人で死のう」と言われ、決意した。
・長男の知能は2、3歳程度。生後間もなく医師に「20年ほどしか生きられないのでは」と言われた夫婦は「子どもに罪はない。この20年を大切にしてあげよう」と誓った。
・介護は過酷だった。食事やトイレなども付ききりで妻が世話したが、自分の便を口に運ぶ長男を抱きしめ、泣いたこともある。
・成人すると長男は暴れたり、妻の髪の毛を抜いたりもした。
・事件の約2年前より、妻が頭痛やぜんそくなど体調不良を訴え、40年間勤めた会社を定年退職した夫も介護を手伝った。しかし、妻の体調はますます悪化した。
・3人のうち誰かがかけることは考えられなかった。しだいに心中を望むようになった。
・事件1カ月前、妻は果物ナイフを手に「私と長男を刺して」と懇願。
・事件前日に、妻から「遺書を書いた」と伝えられ、夫の心は折れた。
 そして2008年9月10日午前1時頃、夫は就寝中の妻と長男の首などを果物ナイフで刺した。自らも風呂場で手首を20カ所以上傷つけたが、死にきれずに110番通報した。

 「なぜ自分だけ残ってしまったのか。死刑にして欲しい」。公判でそう訴えた被告人に対し、裁判所が出した答えは懲役7年の実刑判決でした。
 判決では、「被告人は妻とともに、長男の介護という負担を伴う家庭生活に被告人なりに向かい合ってきた。2人に対する愛情から、自ら死を覚悟して事件に及んだもので、酌むべき事情がある」と。
 その判決を書いた裁判長は、判決言い渡しの際、被告人に言葉をかけます。

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