家族

150分の100分の2

 きょう,埼玉県内にある1つの養護学校を見学してきました。
 これまでにもこのブログで触れているとおり,私の二男は肢体不自由の重度心身障害児であるため,学齢になれば,ふつうの小学校ではなく養護学校に通うことになると思います。まだまだ先のことではありますが,準備は早いことに越したことはありません。以前には,公立保育園への入園を2年続けて断られたため妻が休職を余儀なくされ,やむなく行政不服審査法に基づく異議申立てをするなどして,ようやく市に受け入れてもらった経緯もありました。未知の世界であるがゆえ,先のことを思うと不安で一杯なのです。

 さて,養護学校の中に立ち入ったことは生まれて初めて。見学して感じたことは,施設が充実し,障害者のための施設ゆえの配慮が随所にあって,教職員によるケアもしっかりなされているように思いました。一方で,専門のスタッフが行っているものとばかり思っていた医療的なケア(具体的には,痰の吸引行為など)を,実は行っているのは母親なのだという説明もありました。てっきり看護師だと思って見ていた人が母親であったとは。案内して下さった職員の方曰く,「登校から下校までお母さんには別室で待機してもらって必要に応じてああやって…」と,それがごく当たり前のような話しぶりであったことに愕然としてしまいました。
 この養護学校の場合,小中高と約150名の在籍児童生徒数で,そのうち約30名に医療的なケアが必要とのことです。そのニーズに応ずるべく看護師資格のある養護教員が2名在籍しているとの説明でした。しかし30名に対して2名という基準ではなく,児童生徒数が150名なら,教員数を100名配置し,その100名のうちの2名は看護師資格を持つ者にする(非常勤で+1という対応をすることもあるそうですが)というのが埼玉県の標準だということでした。つまり,「150分の100分の2」基準ということです。
 こうした2名も,看護師としてではなく教員として配置されているため,医療的なケアだけに専念することもできないのだそうです。これでは通う子どもたちの医療的ケアをすべてカバーできるはずもなく,その”穴”を埋めるため,1カ月のうち1~2週間は「母親」が学校に待機しながら自身の子どもの医療的ケアを行うのが「当然」なのだそうです。これでは,父母のうちのどちらかは仕事に就くことができないのが”当然”ということに直結します。まあ,母親に限定しているわけではないのでしょうが,現実問題としては多くの場合,母親の方にその負担が押し寄せられているということは容易に想像できます。
 障害を持った子どもを抱えた家庭,とくにその母親は,職を持ち働く機会を奪われ,働く機会を得たとしても周囲の無理解からその意欲は削がれ,自己表現や社会活動の時間を与えられず,どんどんふつうの社会生活から隔絶し,やがて断絶を余儀なくされていきます。わが家もその過程にあると言っていいかもしれません。ある日突然,偶然に訪れた障害児を抱えるハンディを背負いながらも,「ふつうの暮らし」をしたいだけなのにそれができない現実。
 わが国の障害児教育は2007年,従来の「特殊教育」から「特別支援教育」へと名称も法制度も変更,移行しました。しかし,財政的な裏付けは十分とはいえず,重度や重症の障害児へのケアが行き届いているとはお世辞にもいえません。「150分の100分の2」という数字がそれを如実に物語っています。「障害者自立支援」とか「特別支援」とかいう看板は立派でも,その裏側で障害児本人はもちろんのこと障害児を抱える家族もまた,必要とされる支援は行き届かず,自立どころか孤立を着実に深める日々を送っています。
 わが家の場合,妻が生きがいをもって20年も働いている会社を辞めるか,私が一月のうち半分休む司法書士になるかの選択を迫られるわけです。こんなことを選択するのが自己決定権の尊重やノーマライゼーションだというのではないと思うのですが……きょうの見学は,いろいろな意味でいい勉強になりました。国や県から厳しい学校運営を強いられている中で「学校公開」を企画され,見学のために準備をして時間を割いて下さった養護学校の関係者各位に感謝する次第です。

 追伸
 きょう,二男は清瀬小児病院を退院しました。今回は2週間の入院となりご心配をおかけしました。多くの方々にお気遣いいただきありがとうございました。このような場で申し訳ございませんが,ご報告申し上げます。
 そんなことできょう1日,仕事を休ませていただきました。関係各位にはご迷惑をおかけいたしましたが,明日以降,通常どおり執務いたします。

【7月9日追記】
 一日経って、 この問題、ちょっとだけネットで検索してみました。
 どうやら古くて新しい課題でもあるようです。

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命を繋いで4年間

 先週末、妻の手作りケーキで、二男の4回目の誕生日を祝いました。
 以前にこのブログでも書いたとおり、二男は重度心身障害者です。
 生まれてすぐ保育器に入り、産院で手に負えなくなって救急車で東京都立清瀬小児病院の「NICU」に搬送されました。このとき初めて、NICUと呼ばれる新生児集中治療室のことを知りました。
 この時点では重い障害のことも判らず、いまのような暮らしは想像の範囲外、未知のものです。が、それから今日までのことはここでは省略しましょう。

 さて4歳といえば、幼稚園に入園する歳ですね。イタズラは、し放題。お菓子やケーキが大好き、歌も歌い、お遊戯もでき、アスレチックで遊ぶことだってできる年齢です。
 でも二男は、鼻からチューブでの経管栄養、自分の意思で立つことはおろか座ることもできない。手や足が自己の意思どおりには動かず、言語も発することはできず、排泄にも介助が必要です。私たちが考える”意思の疎通”など不可能なのです。
 こうして健常児と比べると二男にはできないことばかりですが、見方を変えると、歳を重ねて成長していることも実はたくさんあるのです。二男なりの時空があるのでしょう。
 寝返りが打てなかったのにいまは自由自在。音や物に反応しなかったのに追うようになった(視覚及び聴覚の”確認”)。口から食べることが全くできなかったのに、おいしい物は知っていて要求する仕草を見せるようになりました。肉やイクラは大好きなようです。何よりうれしいことは、笑うようになったことでしょうか。それも、ゲラゲラと。
 とくに1年前から保育園に通えるようになって以降の成長は著しく、特筆しておかなければなりません。
 あれもダメこれもダメと人のできないことばかりを挙げて排除するのではなく、あれはできるこれができるという視点で見ることが、障害児はもちろん、どんな人にも大切なのではないでしょうか。そんな視点で二男を公立保育園に受け入れてくれた川越市には、改めて感謝しています。

 また1年、彼はどんなことができるようになるのでしょうか。確率は低くても可能性だけは無限に広がっています。

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卒園

080318  きょう3月18日、長男は幼稚園を”卒業”しました。
 けして広いとはいえない園庭に、うさぎ、にわとり、くじゃく、やぎ、…などの動物たち、それから大きな木々にも囲まれ、緑あふれる情緒ゆたかな幼稚園でした。
 3年間、運動会に、バザーに、発表会にと。とくに年長さんの1年は、幼稚園の行事もこれでみな最後と思いできる限り参加しました。親も幼稚園に通ったのです。そんな1年、いや3年は、あっという間に過ぎ去ってしまいました。
 「お兄さんお姉さんを送る会」という卒園式。送られる当人たちに、別れ、という感情はないようで、先生や保護者おとなたちだけが涙していました。そこがまた、かわいいんですけどね。

 …修了証書の裏には園舎が描かれています。先生方が一枚一枚、水彩と色鉛筆で塗られたものです。そういうひとのぬくもりの感じられる幼稚園でした。園関係者の皆さま、3年間、本当にお世話になりました。こころより感謝申し上げます。

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「どんぐりの家~それから~」

 朝日新聞記事(2008年2月14日付け朝刊)

 上記の記事で,この本のことを知りました。
 前編である「どんぐりの家」のことも知らず,障害児の親としては失格です。
 さっそくネットで調べてみましたが,どこも在庫がないようでした。近所の古書店を覗いてみたところ,第1巻から第6巻まで置いてありました。この6冊を買い上げ,残る第7巻と「それから」をなんとかネットで探し当て,先ほど発注を済ませたところです。

 第1巻第1回「誕生の日」。
 私は,胸が詰まり,手が震え,溢れ出す涙を止めることができませんでした。

 こうして私がブログ記事を作っている間,妻が二男の世話をしている。
 私が本を読み,仲間と歓談している間,妻が二男の世話をしている。
 私が仕事と称し,司法書士会のことに時間を割き,市民運動のために時間を割いている間,妻が二男の世話をしている。
 私は,二男のことを全部妻に任せ,いや押しつけている。私の日々の活動は,その彼女の犠牲のうえに成り立っているのです。二男が泣きわめく真夜中,そんな妻を,私は,怒鳴りつけてしまうこともありました。なのに彼女は,すべてを受け容れ,不満の一つも漏らさず,日々二男の療養看護にあたっています。漫画を通して,その現実を突きつけられたようでした。

 そう。涙のワケは,妻への申し訳のなさ,感謝の気持ち,そしてこれまでのことなどが漫画のイラストと交錯し,収拾がつかなくなってしまったからでしょう。
 まずは,妻に感謝。とにかく感謝。
 いつもすまない。そして,本当にありがとう。

 読み進めるのがとても辛いのですが,覚悟を決めて,「どんぐりの家」全編を読破します。

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歩くためではない,くつ(その2)

Kutsu  先日お話しした「歩くためではない,くつ」が出来てきました。
 手のひらに載るあかちゃんの小さな靴。そこから始まって,子どもの靴はあっという間に小さくなって履けなくなってしまいます。そんな成長にあわせながら靴を買い換える。親として,子どもの成長を感じ,喜びを実感する瞬間でもあります。
 まもなく4歳になる息子。
 そういえば,彼の靴,一足も買っていない。立てない,歩けない,のだから靴も必要ない。上の子の靴は何足あるか……ま,数えるのはやめておきましょう。
 でもね,この”くつ”。彼のために造られた世界でたった一つのオーダーメイド。歩かない,歩けないのに,土踏まずにクッションまで付いています。蒸れないように通気孔まで空いています。足首のところが動くようにもなっています。
 最初は激しく大泣きcryingされました。最近,少し慣れてきましたが,まだ,たまにヤダヤダしてしまうときもあります。
 まずは,くつに慣れることから始めますか。千里の道も一歩から。その一歩もくつを履かなければ始まりません。

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歩くためではない,くつ

 今日(1月8日)は,午前中仕事を休んで,埼玉医大総合医療センターに二男を連れて行きました。
 ご心配には及びません。以前から予約しての,調整のための通院です。
 私の二男は,現在3歳9カ月。
 でも,普通の3歳児とはちょっと違います。
 未だ言語を発することができず,自ら食事をすることはもちろん,座ることすらできない重度心身障害児です。
 彼は,靴を履いてお出掛けをしたことがありません。いつも,「バギー」と呼ばれる車いすでの外出です(見た目は,重厚で豪勢なベビーカーですけど)。いつも,つま先を伸ばしたような状態なので,よく靴下が行方不明になります!(@_@)!。
 そこで,歩く以前の問題として,まずは自らの力で立つこと,少しでもいいから立てるように,そのためには,つま先と足が90度にできるよう練習するリハビリが必要になります。
 今回の通院は,このリハビリに必要となる補装具(我が家では,これを「くつ」と言っています)を作るためでした。こういうモノって,一人一人の完全オーダーメイド。自分の靴もオーダーメイドで作ってみたくなりました。高いんでしょうけど(^^ゞ

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