カテゴリー「旅と鉄道」の59件の記事

去りゆく尾瀬の秋風景(後編)

 前回の尾瀬散策(10月4日)で心残りとなっていた樹林帯の紅葉。今回は、もう何度目になろうとも、いつもの鳩待峠~山の鼻を歩くことに決めていました。黄色を基調にしたブナ林の色づきは、どこで立ち止まっても写材に事欠きません。

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 前編でお伝えしたとおり、行きの足下はつるんつるんで写真どころではありません。それでも、朝の斜光に輝く黄葉を見ると思わず足が止まります。ちなみに、こうして止まっていても滑るような状態でした。

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去りゆく尾瀬の秋風景(前編)

 行ったばかりなのに、また行きたくなる。尾瀬はそういうところです。
 10月4日に行ったものの時間の都合で尾瀬ヶ原に降りられず、今年はもうそれでお仕舞いと思っていながら、それから1週間もたたない10日にまた行ってしまいました。家族はおろか、自分自身でも驚くほど今年は尾瀬に熱を浮かされています。

 わずか6日間でも紅葉は進み、“過去10年で最強”という台風も通り過ぎていきました。紅葉は最盛期を過ぎたようで、木道には落ち葉が折り重なっていました。
 この日の朝は氷点下。霜が降り、濡れた落ち葉と相俟って木道は大変危険な状態に。半歩ずつのへっぴり腰でしか前に進めません。軽アイゼンが必要なレベルで、前後で転倒する人が続出しました。鳩待峠から山の鼻へ下る登山道の紅葉は見事でしたが、足下に気を遣うと紅葉は見られず、紅葉に目をやると途端に滑る。山の鼻まではふだんの倍以上もの時間がかかりました。

 なんとか無事、山の鼻に辿り着いて一服。すっきりとした青空に尾瀬ヶ原へと進みたくなるのをガマン。午後は天気が崩れるという予報なので、先に研究見本園をまわっておくことにします。P1090823_0
 研究見本園にある池塘に行ってみると、そこには、これまで写真でしか見たことのない尾瀬の秋風景が広がっていました。一面の草紅葉、落葉して白い幹を見せるダケカンバの林、樹林帯の紅葉に抜けるような青空。…人がいなくなるのをじっと待ち、ローアングルにて“逆さ至仏”を狙いました。広角一杯24mmにしても画面から溢れてしまうほどの雄大さです(山の鼻にある尾瀬植物研究見本園にて)。

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尾瀬の山上に広がる楽園を見る

 またしても尾瀬に行ってきました。
 先月の初秋尾瀬ヶ原風景を見たら、中秋の紅葉に染まる樹林帯も見たくなってしまいました。鳩待峠~山の鼻間の紅葉を見てみたいと思いましたけど、それだと4回とも同じ場所ばかりになってしまうため、今回は未だ行ったことのない「鳩待通り」に足を踏み入れてみることにします。
 鳩待通りとは、尾瀬ヶ原の南側の稜線を辿って鳩待峠(標高1592m)と富士見小屋(同1863m)を結ぶ道。途中の主な見所は、横田代の傾斜湿原、“天上の楽園”と称されるアヤメ平、それに神秘的な水をたたえ燧ヶ岳の頂を臨む富士見田代などなど。ずうっと前から一度は行ってみたいと思っていました。この日は秋晴れという天気予報を信じ、山上からの眺望に期待で胸膨らませ鳩待峠から初めて登りの登山道に入りました。

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 鳩待峠から1時間ほど登り続けると、突如視界が開ける場所に。斜面が湿原になっている横田代(標高1860m)です。横田代の斜面を登る途中で振り返ると至仏山が正面に。天気が良ければその右奥には上越の山並も見えるそうです。ちなみに、これは写真が下手くそで傾いているのではなく、こういう地形なんです。

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ヤマドリゼンマイ燃ゆる初秋尾瀬ヶ原

 みたび尾瀬に行ってきました。
 9月中旬のごく短期間だけというヤマドリゼンマイが黄や橙に染まるようすを、一目みたいと思って訪れました。この日、尾瀬の最低気温は4℃。すでに尾瀬ヶ原の草もみじは始まっていて、今年は、例年に比べ秋の深まりも早いようです。
 きょう目指すのは、中田代のヨッピ橋と竜宮十字路を結ぶ“ヤマドリゼンマイロード”。この道の両脇にはその大群落が広がっています。雨のち曇り時々晴れ一時にわか雨で強風という天気の中、雨具着用で尾瀬ヶ原を東進します。

 山の鼻から2時間、つい1カ月前には緑一色だったゼンマイロード周辺は、緑、黄、橙、赤、茶がパッチワークのごとく広がる風景に変わっていました。そこには、狙いどおりの色合いをしたヤマドリゼンマイも。この燃えるような秋景色の中を1時間半ほど行ったり来たり。訪れる人もまばらな9月上旬の平日、続く木道の先にも後にも人はおらず、しばし尾瀬をひとりじめです。

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尾瀬ケ原中田代 ヨッピ橋近くのヤマドリゼンマイ群落と至仏山

 ただ…。

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続々・はるかな尾瀬

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 7月に家族で行った尾瀬ハイクの写真を眺め、ヒツジグサの花が見られず残念だったとボヤきました。すると妻が「見に行ってくればぁ」と一言。そう簡単に言うなよといいながら、1日だけ夏休みを取って1人で出かけてきました。

 池塘(ちとう)の水面に浮かぶヒツジグサ。おもしろい形をした葉の向きは勝手気まま、それでいて花はとても端正なつくり、黄泉を想わす神秘さがあります。私は、この水草が大好き。尾瀬の景観になくてはならない存在です。
 未の刻(午後2時頃)に咲くのでヒツジグサというものの、じっさいは、午前11時頃に花びらを開き、午後4時頃には閉じ始めてしまいます。だから、朝と昼で池塘のようすは一変。満開時は、夜空に散らばる星のようでもあります(写真上)。

 8月中旬の尾瀬。ヒツジグサの葉は、鮮やかな万緑の時季を過ぎ色づき始めていました。朝夕はひんやりとして秋の気配が感じられます。
 午後、山の鼻への戻り道、木道の両脇に見える池塘は、埋め尽くすヒツジグサが鏡のように光って見えました。行き交う人もまばらになった木道に腰掛け心ゆくまで堪能、午後3時を過ぎ下山しました。日帰り10時間の尾瀬ハイク、歩数計の表示は36,097でした。

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葉に付いた2つの気泡で、カエルが隠れ覗いているよう見えるのは私だけでしょうか?(上田代の池塘にて)

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鉄道のある川越水田風景

 爽やかなる青空や艶やかなる夕空と田植え間もない水田。そこを列車が通り過ぎて行く風景を写し撮ろうと狙っていますが、毎日が曇り空。この先の天気予報も雨で、なかなかチャンスが回ってきそうにありません。田植えの終わった田んぼの苗は、日々ぐんぐん伸びていきます。
 少なくなりましたけど、川越市内にはまだ至る所に水田が残っています。しかし、鉄道が通っている場所といえば、今回や18日付け「川越夕景(15)」で紹介した古谷本郷地区、24日付け「雨に煙る川越水田風景」で紹介した小ヶ谷地区、それとJR川越線沿線の大仙波・南田島地区、上野田町や笠幡地区にごくわずかある程度です。
 気付くと、以前は田んぼだったところなのに、耕作を止め荒れ地になっていたり、真新しい住宅が建ち並んでいたりします。そう思うと、地味で平凡な通勤電車の写真でも撮っておく価値はありそうです。P1060559
JR川越線指扇-南古谷間(川越市大字古谷本郷) 2009年5月25日撮影

(第222号)

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秩父鉄道のリバイバルカラー

 秩父鉄道では、旧国鉄色(国電カラー)に塗られた電車が走っています。2007年の鉄道博物館開館にあわせ、「昭和の国電をイメージした懐かしいカラーを再現」という企画で塗り替えられ、現在もそのままの姿で走っています。
 細部に改造は見られるものの、塗り替えられた1000系は旧国鉄の101系電車。首都圏では中央線、総武線や京浜東北線などで走っていた電車で、それがもともとの色に戻されているのです。

 先日、秩父鉄道が通る行田に所用があって数年ぶりに車で出向く際、曲がるべき交差点を直進してしまった結果、秩父鉄道の線路を横切ることになりました。その時点で道を間違えていることに気付き、安全な場所に車を停め携帯のGPSで場所を確認しました(ナビのない車です)。
 すると目的地は近く、約束の時間に余裕もあったので、それらの電車が来ることを期待してその場所に留まってみることにしました。夕方の通勤時間帯のためか、20分ほどの間に4本の電車を見ることができ、うち3本がリバイバルカラーというラッキーでした。残念ながらあと1色あるリバイバルカラーは見られませんでしたけど、道に迷った災いが転じ、まずまずの福を得ることができました。
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写真は、いずれも秩父鉄道行田市-持田間。手前を流れているのは忍川(おしかわ)です。

 福はこれだけに留まりません。この記事を書くため秩父鉄道のHPを覗いてみたところ、驚くべきニュースが掲載されていました。今年創立110周年の秩父鉄道。その記念イベントのひとつとして、1950(昭和25)年から88年まで秩父鉄道で活躍した100形電車の塗色(はだ色とあずき色のツートン)をこの1000系電車に復活させ、5月30日から走らせるというではありませんか。
 西武といい、秩鉄といい、懐かしのツートン好みには堪らない知らせの連続です。近場すぎるがゆえにこれまで意識が薄かった秩父鉄道ですが、いまでも貨物列車あり、SLあり、そのうえリバイバルカラーありで、私の中の注目度は一気に高まりつつあります。
 ということで、たまには道に迷ってみるのもいいかな、とプラス思考のこの頃です。
          *          *          *
2009年5月21日付け秩父鉄道からのお知らせ
「110周年記念号 秩鉄カラー・リバイバルトレイン100形タイプ運転開始について」
http://www.chichibu-railway.co.jp/topi/info/mt/2009/05/090521-1.html

(第218号)

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川越夕景(15)

 今年の川越での田植えは、例年に比べて少し遅いように感じます。桜が咲いてからの冷え込みなど、春先の不安定な天候の影響でしょうか。
 川越の東北部には一面の水田が広がっていて、JR川越線の車両基地(川越車両センター)の東側一帯が最も広く見渡せる場所だと思われます。その辺りに、今日の夕方、仕事の寄り道でちょっとした道草をしてきました。水も張られていない田起こしをしただけの田がまだ多く残っていました。
 この風景、荒川鉄橋を渡り終えた列車から見ると、車窓いっぱいに広がる水田に太陽や雲が映り込みこれまた格別。苗が生長するまでの光輝く水田風景です。

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JR川越線 南古谷−指扇間(川越市大字古谷本郷) 2009年5月18日17時56分撮影

*撮影後記
 カメラにメモリカードを挿入し忘れたまま外出。内蔵メモリでは10数枚しか撮影できず、久々にフィルム時代の緊張感を味わいました。

(第216号)

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15年前、悲別で

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 15年前の1994年5月13日、私は、学生時代の友人たちとともに、北海道の「悲別(かなしべつ)駅」にいました。悲別駅とは、1984年のテレビドラマ「昨日、悲別で」(脚本:倉本聰)のロケ地となったJR函館本線上砂川支線(砂川-上砂川間7.3km)の上砂川駅のことです。
 上砂川支線は、独立した線名を持たず、函館本線という大幹線の一部という扱いであったことで、国鉄ローカル線が相次いで廃止された時代にあって奇跡的に生き延びることができた鉄道路線です。この日、列車は超満員、駅も大混雑でした。
 北海道を舞台にした倉本作品といえば「北の国から」があまりにも有名ですが、「昨日、悲別で」の評価も高く、こちらのDVDなどが一切存在しないことは、もったいない、としか言いようがありません。Fh000014

 私たちが訪問した3日後、上砂川支線とともに悲別駅は廃止されました。「いつかまた、悲別で-」が叶うよう、悲別駅は位置を変えながらも保存されているそうです。

(第214号)

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“列島縦断 鉄道乗りつくしの旅”を見る

 2005年、NHKの衛星ハイビジョン(BShi)で放送された「列島縦断 鉄道乗りつくしの旅~JR20000km全線走破~」を見ました。連休中にBShi「ハイビジョン特集」で、春編が3日間にわたって再放送されていました。
 番組の内容は、俳優の関口知宏が、2004年に行った「列島縦断 鉄道12000キロの旅 ~最長片道切符でゆく42日~」で乗れなかった約8000キロに乗り、JR全線完乗を目指すというもの。残り8000kmといっても、その多くには、行き止まりの路線(盲腸線)や、最長片道切符からこぼれ落ちたわずか1駅区間(例:津山-東津山)などがあります。そのため実際には、JR以外の私鉄や第三セクター、バス、フェリーなどにも乗り、総乗車距離は15000km以上に及びます。
 この番組のように毎日集中的に取り組んでも、完乗までの期間は春と秋の2回に分けて計2カ月以上を要します。私のように20年以上もかかっていると、総乗車距離は一体どれほどに及ぶものか。地球を何周したか(1周4万キロ)、月まで行けたか(約38万キロ)、もはや計算することは不可能ですけど。

 ところで、番組を見ていて思ったことですが、私の乗りつぶし(番組では「乗りつくし」と表現)は残り約1400キロあまり(第149号参照)。まだ何年も時間はかかりそうですけど、そろそろ全線完乗に至る駅を考えておいた方がいいかもしれません。そうすると、やはり行き止まりの終着駅の方がいいと思います。
 そこで残された終着駅を確認してみると、意外にも趣のある(と私が勝手に想像する)駅はそれほど多くないことがわかりました。北から拾い上げてみると、利府(東北本線)、左沢(左沢線)、荒砥(旧長井線・山形鉄道)、弥彦(弥彦線)、ガーラ湯沢(上越新幹線)、武蔵五日市(五日市線)、久里浜(横須賀線)、鳥羽(参宮線)、和田岬(山陽本線)、東羽衣(阪和線)、関西空港(関西空港線)、和歌山市(紀勢本線)、錦町(旧岩日線・錦川鉄道)、博多南(博多南線)、西唐津(唐津線)、宮崎空港(宮崎空港線)の16駅しかありません。
 うかつに乗りつぶしていくと、北海道完乗を果たしたのが新千歳空港駅で、ホームは地下にあって駅で記念写真を撮ろうにも駅がない、という虚しい失敗を繰り返すことになりそうです。用心用心。

 ちなみに、今回の再放送は、番組本編ではなくダイジェスト編。それでも3回で6時間弱。時間はもちろん、内容についてもなかなか見応えがあります。春編の3回目では川越での途中下車シーンが収録され、関口さんが菓子屋横丁で海苔巻きダンゴを美味しそうに召し上がっていました(確かに、あれは本当にうまい!)。
 なお、秋編は、11日から3夜連続でBShiにて再放送されます。録画してあとでゆっくり見るようですけど、衛星放送をハイビジョンで録画できないことは先日ぼやいたとおり(第204号)。調べると、ブルーレイで売られているし……買っちゃおうかな~。でも春秋併せて3万円弱。いやあ、ダメだダメだ!(格闘中)

(第210号)

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西武多摩湖線の“ツートン”

 「いまだけの特別な色を求めて」(第203号)では不発に終わった“ツートン”に、昨日ようやく巡り逢えました。夕方、都内に出向く用事があり、少しだけ時間に余裕があったので、萩山駅(多摩湖線・拝島線)に回り込み待ち伏せをしてみました。そうしたら、運良く10分ほどでお目当てのツートンが現れました。
 いやぁ、やっぱ、この色の組み合わせ、私、好きだなあ~lovely

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 西武鉄道公式HPや朝日新聞でも報道されたように、このリバイバル塗装は、予想どおり、西武秩父線(吾野-西武秩父間19.0km)の開通40周年を記念したもの。1編成4両が3月からすでに走っている多摩湖線に加え、6月には、さらに1編成2両のツートンが池袋線・狭山線にも登場するそうです。
 西武秩父線の開通記念日は10月14日。なので、秋までは、ツートンを目にすることができそうです。ところで、秩父線40周年記念ならば秩父線にも走らせてほしい、と願うのはゼイタクでしょうか。ファンは期待しているはずです。

(第208号)

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いまだけの特別な色を求めて

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 桜が終わったと思いきや、今度は新緑かよ。
 このブログを続けてご覧の方なら、タイトルと写真を見れば、誰もがそう思うことでしょう。

 写真は、この週末、玉川上水の新緑風景を写し撮ったものです。桜の開花が早かったように、新緑もこの時期にしては深めの色合いです。というように、いっそのこと新緑の話題だけで締めてしまってもいいと思いつつ、やはり、今日の本題を取り上げておくことにします。

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能登線追憶(6)

 七尾湾に面する能登鹿島駅(石川県鳳珠郡穴水町)。1932(昭和7)年、七尾線の穴水延伸による駅開業を祝い、地元住民の手によって駅を囲うようソメイヨシノが植えられました。“能登さくら駅”の別名をもつ、時刻表の表紙を飾ったこともある有名な鉄道桜風景があります。不思議なことに、能登半島地震のあった2007年にはほとんど咲かなかったそうです。
 2001(平成13)年3月に七尾線穴水-輪島間が廃止されると聞いて、その1年前の4月、同区間の最後となる桜風景を写真に収めようと能登へ帰ることにしました。満開の時期に合わせるため、現地にいる親戚に開花具合を確かめて出発したのですが、着いてみたら桜は1分咲き。確かに咲いてはいるけど……絵心のない人の情報を鵜呑みにした私がアホでした。

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のと鉄道七尾線能登鹿島駅 2000年4月17日撮影
CanonEOS55,Tamron28-200mm,RDP100

 この写真は、その失意の帰り道、能登鹿島駅に立ち寄ったとき撮ったものです。
 写っているのは、当時、のと鉄道の看板列車であった「のと恋路号」。結局、のと鉄道は、この車両を活かしきることなく2003年に休車(事実上の廃車)にしてしまいます。さらにその翌年には、能登線の廃止までも決定してしまうのです。当時の社長は、いまもそのイスに座り続けています。いつか、この桜の木を切ってしまうかもしれません。

 ちなみに、能登鹿島駅は能登線ではなく七尾線にあり、駅も桜も現役です。桜は、いまがちょうど見頃かもしれません。ここと同じように、旧能登線の各駅には桜がたくさん植えられていました。廃線となりレールの剥がされた駅跡で、人知れず桜は咲き誇っているに違いありません。

(第201号)

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信濃路の終わりにある鉄道風景

 国鉄時代は急行列車として活躍した165系電車。すでにJRからは完全に姿を消し、碓氷峠通過対策の施された169系12両のみが「しなの鉄道」(旧信越本線軽井沢-篠ノ井間)に残っていて、ほぼ原型を留めた状態で最後の走りを見せています。
 2008年9月、信越本線軽井沢-関山間の開業120周年を記念して、1編成3両が「湘南色」と呼ばれる国鉄時代のオリジナル塗装に戻されました。その姿は、かつてこの区間を走った急行「信州」「妙高」を彷彿させてくれます。中央本線の「アルプス」も165系で、私より上の世代の岳人には懐かしの列車であり車両でしょう。いまはなき「大垣夜行」でもお馴染みでした。

 雪の浅間山を背景にこの電車の写真を撮ってみたいと思いながら、これまでスケジュールと天候が噛み合わず実現しませんでした。たまたま3月15日は予定がなく天気予報も快晴を示していたので、花粉症でヨレヨレの身体に鞭を打ち、朝4時半起きで現地へと向かいました。雲1つない埼玉県内を走る関越自動車道から浅間山が頭をみせ、期待とヤル気は急上昇です。上信越自動車道の佐久平SICを降りるまでは、なにもかもが順調でした。
 ところが、現地まであと数キロというあたりから、向かう先は鉛色の雲の中。浅間山の姿も見えません。それで現地に着いてみると、霧がかかっていて、なんと雪までちらついてきたから本当にがっかりです。仕方がないので、その場で様子を見ることにします。

 写真を撮るチャンスはわずか2回、7時50分頃とその1時間後だけです。1回目は霧の中、列車はやってきてしまいました。それでも天気は回復の方向へ。少しずつ日差しが出て、徐々に霧も晴れてきました。2回目の30分ほど前には青空が広がり一面晴れ渡りました。しかし、肝心の浅間山の手前にだけ雲が流れています。浅間山を隠すかのごとく、どこからともなく次々雲が流れています。
 結局、そのままの状態でラストチャンスとなってしまいました。そうして仕上がったのが、この微妙な作品です。

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 しなの鉄道 信濃追分-御代田間2603M 2009年3月15日撮影

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涙雨の東京駅にて

 昨夜、東京と九州を結ぶ最後のブルートレインがそれぞれの始発駅を旅立っていきました。大分・熊本を出発した東京行き上り「富士・はやぶさ」が、東京駅で見る最後のブルトレということになります。東京駅からブルートレインが消え去る日(第145号参照)は、昨日ではなく、きょう3月14日なのです。
P1030826  東京駅に行ってみると、10番線ホーム端にはすでにびっちり人が並んでいて、立ち入る余地はありませんでした。列車の正面を見るのはあきらめ、ホーム中程で最後の「富士・はやぶさ」の到着を待ちます。のりば案内板の“~方面”に書かれていた「大分・熊本」の文字の上には、白いテープが無造作に貼られていました。
 列車は、所定の時刻から88分も遅れる11時31分、約2千人もの人が出迎える東京駅10番線ホームに汽笛を響かせながら辿り着きました。下関から牽引してきた機関車は、P1030888 到着後ただちに切り離され神田側に引き上げ、隣の9番線を使って有楽町側に付け替えられます。その間に乗客の全員が列車から降りると、すぐに客車の扉が閉じられ照明も落とされました。発電機のエンジンも止められ、いましがたそこにあった人の温もりはもうありません。
 そんな余情にひたるのも束の間、「その時」がやってきました。
 11時53分、東京駅に最後の汽笛が吹鳴されます。数えきれぬ人たちが見送るなか、回送列車となるブルートレインが静かに動き始めます。東京駅からブルートレインが消え去る瞬間です。こうして客車はいったん車庫に引き上げられ、もう二度と明かりを灯すことも乗客を迎え入れることもなく、このまま遠く九州へと回送されていきます。
 東京駅で見る最後のブルートレイン、東京駅で聞く最後の機関車の汽笛。遠ざかっていくその姿……そして、とうとう見えなくなりました。これで、ほんとうに終わってしまったんですね…。口惜しいから、哀しいから、泣きたくなるから、だから僕はいま、ありがとうもさようならも君に言いません。でも、一言だけはとりあえず。お疲れ様でした。

 君が去っていったあと、君に押し寄せた人波も引いていきました。君が僕を見失いどこかに行ってしまおうとも、いつか君とまた会えるよう僕はここにいます。

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●関連記事 東京駅からブルートレインが消え去る日(第145号)
これまでの「富士・はやぶさ」関連記事のリンクは、そちらに掲載しています。

(第181号)

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名残惜しい九州ブルトレだけど

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東京駅10番線ホームでの機関車を連結する風景 2009年2月5日17時44分撮影

 東京駅でみるこの光景も、あと5日。
 13日発をもって廃止される寝台特急「富士・はやぶさ」を一目見ようと、東京駅に人波が押し寄せているという記事が、先週5日の朝日新聞夕刊()に掲載されました。記事に触発され、またもや感傷モードに切り替わりつつあります。

 しかし、記事の内容については、情に流されず、しっかりと指摘すべきことがあります。

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ひとすじのブルトレ仁義

 ひとが必死に忘れようとしているにもかかわらず、後ろで髪を引くけしからぬヤツがいます。そいつの名は、朝日新聞。夕刊1面で連載中の「ニッポン人・脈・記」は、2月17日、“心の鉄路”シリーズの第2話として、ブルートレイン「富士・はやぶさ」を取り上げていました。

 記事を読んだら、そりゃあ、もう…泣けて来ちゃいますよ~。

 記事の9割方がP1000312宇都宮照信氏(九州鉄道記念館・館長代理)のことで埋められています。氏は、料理人として「はやぶさ」の食堂車の調理場に立っただけではなく、ブルトレの撮影を手がける写真家でもあります。その経歴を拝見すると、ブルトレに寄り添いながら人生を歩んでこられたことがよく分かります。
 「さらば 富士・はやぶさ」を特集する鉄道ファン3月号にも、「宇都宮照信さんの思い出とともにつづるブルートレイン“はやぶさ”の歩み」という記事があります。そこには、氏が1969(昭和44)年の大晦日に東京を発つ「はやぶさ」に乗務し、列車内で昭和45年を迎えたときの回想部分もあります。私は、その昭和45年に生まれました。きっと、私には想像つかぬほどの思い出が「はやぶさ」には乗っかっていることでしょう。

 その宇都宮氏でさえ、こう言います(※)。
 『二度と乗れなくなったら、どうやって思い出せばいいのでしょう』
 氏が出せない答えを、私ごときに見つけられるはずもありません。

(※)話を端折っていますので、図書館等で原典にあたって頂ければ幸いです。
よろしければ、「東京駅からブルートレインが消え去る日」(第145号)もお読み下さい。
その他の「富士・はやぶさ」関連記事のリンクは、そちらに掲載しています。

(第169号)

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空を飛べないアトム

 3月で廃止される寝台特急「富士・はやぶさ」について、今月に入ってからくどいほど熱く語っていますが、それには1つのワケがあります。
 「富士・はやぶさ」は、東京駅を発着する最後のブルートレインと言われていますが、夜行又は寝台列車ということでみれば、「サンライズ出雲・サンライズ瀬戸」が1往復辛うじて残ります。それでも、サンライズで行ける西の果ては岡山まで。「富士・はやぶさ」の廃止は、私から岡山以西への旅の足を奪うことを意味しているからです。

 えっ、新幹線や飛行機があるじゃないかって?

 おっしゃるとおり。
 しかし、私にとってそれじゃダメなんです。

 まず、新幹線には寝台車や(ごく一部を除き)個室がありません。グリーン車だって狭っ苦しいし、プライバシーへの配慮はゼロ。リラックスして寝転がることもできなければ、気兼ねなく屁をすることもできません。隣でパソコンを広げて必死で仕事されたり、安物ヘッドホンからシャカシャカ漏れる聴きたくもない音楽を聴かされたり、トイレに立つにも気を遣いと、とにかくストレスがたまります。
 一方の寝台列車では、新幹線の5人分ほどのスペースを一人で使えます。個室なら、鍵もかかり自分だけの世界。車窓は独占。疲れたら横になってうたた寝だってOKです。Img_4044もちろん、枕も毛布もついています。
 さらに、旅ではお約束の一献にも問題アリです。新幹線では、ビールを飲むのがせいぜい。お気に入りマイボトルを窓辺に置き、手荷物から氷を取り出し透明カップにウイスキーを注いで飲もうものなら、必ず周りは引きます。夜行列車では当たり前の光景も、新幹線ではちょっとヤバイ、いや相当にヤバイ光景に違いありません。

 つぎに、飛行機はどうでしょう。車に乗り、電車に乗り、それと同じように1つの交通機関として飛行機に乗れる人にとってみれば不思議なことでしょうけど、じつはわたくし、飛行機には乗れません。べつにブラックリストで搭乗を拒否されているわけではなく、ただ単に怖いだけで乗りません。遊園地の飛びモノすら差し支えます。
 わが人生で飛行機に乗ったのは一度だけ。高校の修学旅行で福岡→東京に搭乗させられ、それが最初で最後(の予定)です。
 そもそも、トラブルがあると飛行機は最終的に落ちる。落ちたら、ほぼ確実に命がないところに問題があります。地上に落ちる場合には、関係のない人まで巻き込んだりして申し訳が立ちません。余談ですが、そこで私が思うのは、もはやこれまでという事態に至ったら、機体が細かく空中分解される仕組みになっていればよいのではないかと。で、それだけだと乗客はたまらないので、すべての座席にパラシュートと酸素マスクを備える。…まあ想像するとそれもまた微妙な状況ではあるし、どうせ飛行機になんか乗らないから、正直どうでもいいやというのが本音です。

 空を飛べない臆病者の鉄腕アトムとは、オバケなのに化けられないQちゃんと同じくらい情けない存在です。
 しかし、こちらは鉄まんのアトム。これまで北海道も九州も、できるだけ新幹線を使わず、そのほとんどを夜行列車で往復しながら乗りつぶしをしてきた筋金入りの“乗りテツ”です。船も使っているため鉄分100%とはいきませんが、現地に飛行機でひとっ飛びする“飛びテツ”さんとは格が違います。鉄まんアトムは、空を飛べないのではなく、あえて飛ばないのです。

 ところで、私は、これからどうやって九州に行ったらいいでしょうか?
 

*関連記事
東京駅からブルートレインが消え去る日(第145号)
その他の「富士・はやぶさ」関連記事のリンクは、そちらに掲載しています。

(第168号)

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18560人によい旅路を

 今日2月13日、寝台特急「富士・はやぶさ」の最終運転日(3月13日発)の切符が、全国のみどりの窓口で午前10時に一斉発売されました。もちろん、即時完売です。
 各報道で「約10秒で完売」と報じられていますけど、完売が確認できるのに10秒ほどかかったということで、実際には午前10時00分01秒を待たず、まさに発売の瞬間に売り切れてしまったはずです。毎日jpには、「この日は受け付け開始と同時に、主要駅のみどりの窓口に設置した端末から東京の旅客販売総合システム(MARS)に予約が殺到、あっという間に定員に達した」と書かれていました。

 それぞれの思いをたくさん乗せてあと29日間、「富士・はやぶさ」は東京と九州の間を毎日往き来します。2本の列車で上下あわせた定員は1日640人。最終運転日まで、ほぼ毎日が満席の状態になっています。

 残りの旅人はあと18,560人。
 私はもう乗れませんが、みなさんに、よい旅路あることを祈っています。
 

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(第167号)

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九州ブルトレ旅行らくがきノート

 最後の九州ブルトレこと寝台特急「富士・はやぶさ」号への乗車。これにまつわる内容で、すでに3本の記事を書き上げました。思いがぎっしり詰まっていたためか、どれもブログにしては長篇で重くなってしまいました。
 そこで裏話といってはなんですが、道中のこぼれ話を写真とともに記して、一連の紀行文を締めくくりたいと思います。

 それでは、はじめます。・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

P1020982
▲東京駅にある大丸デパート地下食品売り場で息子が調達した夕食。オヤジ様としては、銀座スエヒロのステーキ弁当の方がよかったんだけど…。まあ、仕方ない。
 酒も同じ場所で仕入れました。それに駅構内のコンビニで1リットルの水4本、ロックアイス、つまみ1種、あめ2袋を買いました。この時点ではまだ、予め購入していたつまみ&お菓子をすっかり忘れていることに気付いていません。

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長門本山、そして仙崎という終着駅へ

 寝台特急「はやぶさ」号の東京→熊本までの切符を確保(第160号参照)したのち、帰路についてはずいぶんと悩みました。
 当初計画していた私一人旅なら、最後となるであろう「はやぶさ」に全区間乗車して九州ブルトレを堪能するか。それとも乗りつぶしを進めるため、「はやぶさ」を鳥栖(10時37分着)で降り、そのまま唐津線や筑肥線を乗りつぶして宇部周辺で1泊。次の日は小野田線と宇部線を乗りつぶして、新山口から新幹線で帰るか、などを想定していました。でも、さすがに、鉄道に興味のない小学生を連れてこれらは無理と判断。乗りつぶしは、全部又はどちらか一方をあきらめるしかありませんでした。
 けれど、やはり少しは乗りつぶしをしておきたい。それで選んだのが小野田線と宇部線です。小野田線の本山支線(雀田-長門本山2.3km)は1日5本。近い将来なくなってしまう危険性を考えての選択でした。JR西日本が次に路線を廃止するとしたら、まちがいなくここだと思うからです。
 そうと決まったら日程を再検討。宇部線と小野田線を乗りつぶし、続いて美祢線にも乗って、同じく1日5本の仙崎支線(山陰本線長門市-仙崎2.2km)まで足を伸ばし、これに『洞窟探検』という“エサ”をぶら下げるため秋芳洞を見て帰るコースを編み出しました。ということで、「はやぶさ」を門司で降り、もう1つの“エサ”である関門国道トンネルを歩いて渡って本州に戻ってきたのでした(第161号参照)。

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ハプニングの関門トンネル人道

P1030185 寝台特急「富士・はやぶさ」で九州に入り、門司で両列車を見送ってから門司港へと向かいました(前号「胸に刻んだ誉れ高き“1レ”」参照)。
 約17年ぶりに門司港駅に降り立ち、荘厳な駅舎を日中の明るい時間に初めて目にしました。駅舎は九州最古の1914(大正3)年築。ネオ・ルネッサンス調の、なんと木造建築で国の重要文化財に指定されています。
 門司港に来た目的は、この駅舎ではなく、駅からバスで15分ほどの所にある関門国道トンネルに行くためでした。トンネルの延長は3461m、うち海底部780mは2階構造で、その1階部分を人が歩いて通れるようになっています。関門海峡を歩いて渡れるのです。

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胸に刻んだ誉れ高き“1レ”

 2009年1月末、長男と初めて一緒にテツタビをしました。
 目的は、東海道本線の「1」列車(1レ)。東京を発着する唯一のブルートレインとなった寝台特急「富士・はやぶさ」で、来月13日をもって廃止されることが既に決まっています。
 今年に入り「富士・はやぶさ」の寝台券の入手は困難を極め、連日、発売と同時から数秒で完売となる状況が続いています。JR列車の指定券及び寝台券は、みどりの窓口にある「マルス」という機械を通じ、乗車1カ月前の午前10時に全国で一斉に発売されます。
 こうなると、寝台券を確保するには、発売の瞬間である10時の時報と同時に発券操作をするいわゆる「10時打ち」が必須です。当初は記念乗車の意味で、この列車のA寝台1人用個室「シングルデラックス」をとって、九州ブルトレの最後を一人じっくり胸に刻むつもりでいました。駅や旅行会社に通うこと延べ10回以上、しかし、連日の10時打ちは“10時討ち”になり、寝台券確保という幸運は私に巡ってはきませんでした。個室に限らずふつうの開放型B寝台も同様で、もはや、廃止されるまで残りわずかの期間、「富士・はやぶさ」に乗れるだけHayabusa_ticketで十分に幸運といえる状況です。
 2月以降はこのような状況にもかかわらず、1月中の平日のB寝台ならまだ余裕のあることを知りました。すぐさま2席分をVIEWカードの会員サービス「とれTEL」で確保。家に帰り妻の了解を得た上で、鉄道にあまり興味を示さぬ長男に「富士・はやぶさ」が特集されている雑誌の写真を見せ、「これ、乗りたいか?」と聞きました。すると長男は、「べつに~」という予想された答えに反し、「えっ、乗れるの? 乗りた~い!」と食いついてきました。話はそれで即決。小学校の先生に理由を正直に申し述べ、学校を休ませての父子旅行をすることに決まりました。
 出発までは1週間。インフルエンザが流行するなか、とにかくとにかく風邪を引かぬよう細心の注意を払って予防に努めました。仕事も何とか調整をつけて、出発の日を無事に迎えたのです。

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よみがえる能登線憧景

P1020856 一冊の小さな写真集がここにあります。
 その名は、湯浅啓写真集「能登線憧景」。
 金沢市在住のフリーカメラマン・湯浅啓(ゆあさあきら)さんが、2005年3月に廃止されたのと鉄道能登線(穴水-蛸島間61キロ)の最後の一年と、廃線後から08年夏までを追った写真59点を収め、昨年10月、自費出版したものです。私は、近ごろ偶然、この写真集が上梓されたことを知り、金沢にある発行元「龜鳴屋」より買い求めました。
 切符をあしらったシンプルながら上品な表紙をめくると、見開きの左に写真、右には撮影日や撮影場所とともに作者の思いがわずかに添えられています。その場に居合わせこの目で同じ風景を見ながら、私の写真表現では手が届かなかった“能登線憧景”がここにあります。

 私には写真のセンスもなく、機材にも乏しく、何より能登まで片道600キロという距離。それでも、能登線最後の一年、その姿を遺しておきたい一心で延べ30日間も能登で過ごし、取り憑かれたようシャッターを切り続けました。少なくとも私の中で能登線は、ほかの鉄道に対するまなざしとは明らかに異なる、それに関わるヒト・モノ・コトをすべて包含して成り立っている能登の風景の一部として存在していました。
 その風景を見事な作品として遺された湯浅さんは、能登線がなくなった日、能登線最後の一年を収めた写真集「能登線日和」を出版されています。それと同様、今回の「能登線憧景」も、能登線を通して沿線で暮らす人々の日常が、優しい視線で作為なく写し撮られています。収められている写真の4分の1は、「能登線日和」には収められなかった最後の2カ月の情景です。私の中に存在するおもいでにあって、しかし失ってしまったその景色を、ずっと目に見える鮮やかなものとして記銘する写真の数々。いつまでも忘れえぬ“能登線憧景”がここにあります。

 能登線はもう、一部を残してレールは剥がされ、路盤も切り崩されてしまいました。時の流れとともに、その痕跡は消えていってしまいますが、いまも私の記憶の中で“能登線憧景”は広がっています。「能登線日和」「能登線憧景」は、より多くの人々に同じ情景を伝えていくことでしょう。
 願わくば、このような珠玉の写真集を世に遺して下さった湯浅さんの写真展なども拝見し、私の心の中の“能登線憧景”をいっそう豊かなものにしてくれた湯浅さんご本人に直接会って、「ありがとう」の一言を申し上げたい。その念に満ちながら、写真集の一葉一葉を大切に何度も繰り返し見入っています。現実にはなくなってしまった“能登線憧景”は、そうして、時を止めここにあり続けます。

 最後に、その「能登線憧景」のあとがきから一部を引用して、筆を置きます。

タイトルの「能登線憧景」の憧景は私の造語です。能登線は、私の憧れの情景の中を走るローカル線でした。それで、憧憬と情景のそれぞれの各字を組み合わせてタイトルにしました。「しょうけい」は、「小景」であり「小径」でもあります。いずれも、能登線を撮影しながら感じた言葉です。
能登の、そして能登線の、単なる風景ではない「情景」を、この本を通じて感じていただければ、幸いです。

(第157号)

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タビテツ休刊に思うこと

 線路はつづく。しかし、タビテツはもうつづかない。
 タビテツこと月刊誌「旅と鉄道」(鉄道ジャーナル社)が、現在発売されている2009年2月号(通巻第185号)をもって「休刊」となります。1971年の創刊以来、年4回、鉄道を利用した旅の楽しみを四季折々伝えてくれていたタビテツ。近年は、この季刊に2回の増刊が加わって年6回の発行となり、2007年10月からは月刊化された矢先の出来事です。
 ここ数年のタビテツは、ひとことで言い表せば「迷走状態」。視点が定まらぬ月刊化は記事の粗製濫造を招き、本来あるべき基調を感じ取ることもできず、上っ面の旅行記をテキトーに寄せ集めたようなものばかり。自称”レイルウェイ・ライター”による読者層を無視した独り善がりな連載が幅をきかせ、もはや、かつての精彩はありません。

 私が初めて買ったタビテツは、「北海道・四国 新たなる旅!」という特集記事の組まれた1988年夏の号(通巻第68号)。大学に入ってすぐのことです。P1020840
 一歩も足を踏み入れたことのない両島に関する記事を読みながら、まだ見ぬ夢の大地に思いを馳せていました。この当時はまだ、北海道の『長大4線』(天北線・名寄本線・池北線・標津線)が生きていました。しかし、結局、乗ったのは池北線を転換した「ふるさと銀河線」だけで、ほか3線は乗りそびれてしまいます。銀河線もいまでは鬼籍です。
 あとになって考えれば、大学の授業やバイトなど休んで、どんな無理をしてでもこの4線には乗りに行くべきでした。取り返しのつかぬ選択をしてしまったといまでも後悔していますけど、あの当時は、どういうわけかまじめな学生で、そういう選択をしなかったのです。いまの自分の方が、よほど大胆に時間を使って乗りつぶしに取り組んでいるような気がします。それだけ大人になったのか、あるいは少年に戻っていっているのか、そこは、当の私にもよくわかりません。

 ところで、タビテツの販売部数のピークは1990年代。私は、学生時代に浪人時代に独身時代。バブル経済の中にあっても貧乏な学生でしたが、季刊なら購読が可能で、発売当日に大学生協で購入しては講義そっちのけで読みふけっていました。この頃は季節ごとの最新号が待ち遠しく、インターネットなどなかった時代、鉄道旅の最新情報を仕入れる数少ない手段として重宝しました。ありきたりの旅ではない、ただ鉄道に乗るだけでもない。タビテツは、そういう「ツアー観光」や「鉄道マニア」とは一線を画す旅行スタイルを実践するバイブルだったのです。
 私を青春18きっぷ旅の魅力へ引き込んだのも、乗りつぶし鉄道旅の世界へいざなったのも、みんなタビテツなのです。タビテツを抜きに、私の鉄道旅人生を語ることはできません。
 そんなほろ苦い?思い出が積み重なるタビテツに休止符が打たれるというのですから、それは短い文章では表しきれない深い感慨があります。
 休刊の理由として公表されたのは、「発行部数の伸び悩みによる収支の悪化」。削減や廃止が相次いでいる夜行寝台列車の境遇と重なるのは単なる偶然、あるいは深読みしすぎでしょうか。サービスを提供する側とそれを受ける側の意識のすれ違いが、どちらも根底にあるように思えます。あと2カ月足らずで、東京駅から西へと向かうブルートレインは姿を消します。

 ”タビテツ的旅行スタイル”なるものがあるとして、しかし、なんでも情緒性より効率性が優先されるいまのこの国にあっては、そんなスタイルを提供してきた雑誌が、それを支える列車もろとも姿を消すのは仕方のないことなのでしょう。
 それでも、私は、今日の風に吹かれながらも、書棚を占領し煩悩にしては余りある118冊のタビテツバックナンバーをひもときつつ、孤高のタビテツ的旅行スタイルを続けていきます。

(第156号)

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てつのみち2008

 2008年の「乗りつぶし」を振り返ります。
 まず筆頭にあげられるのは,何といっても「鬼門にして懸案」だったJR四国全線走破が実現したこと。四国は,これまで計画が幾度となく頓挫し,計画できても実行に移せば列車の乗り遅れや悪天候といったアクシデントに阻まれ,私を20年も寄せ付けない片想いの存在でした。その四国を制覇できたのですから,なにはさておきとても大きな成果です。
 つぎに,といって続けていきたいところですが,あとは目立った乗りつぶしをしておらず,島原鉄道を南線廃止直前に訪問したついでに長崎本線(長与経由),大村線,甘木鉄道を走破。それから,夏休みに日帰りで鹿島線や鹿島臨海鉄道などを。さらに,秋には由利高原鉄道や男鹿線などをそれぞれ走破。四国以外は地道な進捗となりました。
 地道とはいうものの振り返ってみれば大満足。夏以外は一人旅でなかったことが印象をより強いものにしました。日程等で無理を聞いてもらった同行の仲間(テツではない人とテツかもしれない人がそれぞれ)や,これだけの自由を与えてくれた家族に,とにかく『ありがとう』という気持ちの感謝で一杯です。

 残る4大未乗地域は,九州(日豊本線と佐賀県),山口県,和歌山県,それに山形県です。今後は,このエリアを優先して検討することになりそうです。3月になくなってしまう「富士」「はやぶさ」に乗って九州や山口県を攻めるか,沖縄以外で唯一足を踏み入れたことのない都道府県となってしまった和歌山県を目指すか。それとも…,いまはまだ白紙です。

Noritsubushi_2008_2
 「てつのみち2007」(第15号)と同様,2008年末時点での乗りつぶしマップを掲げます。
 ここまでの第三セクター鉄道を含むJR(旧国鉄)の走破距離は,20625.4km。
 私の乗りつぶし旅は,3月9日,伊予市発伊予長浜回り宇和島行き普通列車「4733D」に乗車中の予讃本線伊予上灘→下灘間にて,ついに20000kmを超えました。国鉄が1980年に始めた「いい旅チャレンジ20,000km」キャンペーンの会員になって20年以上。これまでの人生の過半を費やし,ようやくの大台到達です。
 現時点での残り営業キロは1521.3km。少ないようで,ここからが大変な道程かもしれません。

 ちなみに,国鉄の線路敷設総延長が2万キロに到達したのは可部線の布-加計間が開業した1954年3月30日のこと。2万kmに達した地点(坪野-田之尻間)にはその記念碑もあります。しかし,同区間は2003年に廃止。いまや日本鉄道史上の記念すべき地に線路はなく,ここを列車で通過することは叶いません。

               *          *          *

*2008年の乗りつぶし旅の詳細は…
四国遍路全14話(第35号以下)
加津佐の風、昭和の薫り(第50号)
水たっぷり鉄分補給(第90号)
秋田・大館フリーきっぷ(第128号)

(第149号)

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東京駅からブルートレインが消え去る日

 来年3月、東京駅からブルートレインの姿が消え去ります。
 JR各社から来年3月14日にP1020170実施されるダイヤ改正の内容が発表され、同日をもって、東京駅発の寝台特急で、大分行き「富士」と熊本行き「はやぶさ」の2列車の廃止が明らかとなりました。
 かつて両列車は、東京駅から東海道・山陽本線を通り関門トンネルを抜け、「富士」が日豊本線(宮崎回り)、「はやぶさ」が鹿児島本線(熊本回り)を経由して、ともに西鹿児島(現・鹿児島中央)まで直通していました。実際の走行距離は1500キロにも及び、「富士」の所要時間はなんと1日24時間をまたぎます。鹿児島はやはり遠いところです。

 しかし時代は移り、長距離の移動は新幹線や航空機に主役を明け渡します。
 1980(昭和55)年に「富士」は宮崎止まりとなり、1997(平成9)年にはさらに大分までに短縮され、同時に「はやぶさ」も熊本で運転を打ち切られました。これに先立つ93年には食堂車の営業も取りやめ、その後は、熊本・長崎行き「みずほ」、博多行き「あさかぜ」、長崎・佐世保行き「さくら」が相次いで廃止されていきました。九州ブルートレインに限ったことではなく、ここ10年で夜行列車は衰退の一途をたどり、いまや絶滅寸前です。
 東京-九州間のブルートレインは、2005年の「さくら」廃止以降、「富士」と「はやぶさ」だけが辛うじて残っていました。2列車は東京-門司間を併結Fujibusa_ticketして走るため、事実上は1日1往復。それでも毎日走る定期列車としては、距離も時間も日本最長を誇る列車で、その列車番号は栄光の「1」。とはいっても、九州内では後発の特急に追い抜かれてしまうという冷遇ぶりです。車両も製造から30年を超え満身創痍。そんな孤高の姿も、あと数ヵ月で見納めです。

 青い車体が夕方のラッシュで喧噪のホームに放つあの独特の閑寂感。それが東京駅から完全に姿を消してしまうかと思うと、時代の流れや人々のニーズとはいえ、寂しい気持ちで一杯です。

 それにしても、とにかく最後にもう一度だけ、乗りたいなあ~。

               *          *          *
*写真の説明
(上) 下関駅に停車中の下り「富士・はやぶさ」。この駅で関門トンネル用の機関車に付け替えられます。
(下) 2年前に鹿児島で開かれた「全国クレサラ交流集会」に参加するため、行きは「富士」、帰りは「はやぶさ」に乗った際の寝台券。東京から鹿児島への所用で、こういう芸当もできなくなってしまいます(できたとしても普通の社会人はしない、というツッコミはなしです)。

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涙雨の東京駅にて(第181号)
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(第145号)

*本記事のコメント欄もぜひお読み下さい。現実の利用客数を検証してみました。

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叡智と努力の象徴0系、去る

Shinkansen
 きょう11月30日,岡山発博多行き「こだま659号」の博多到着をもって,初代新幹線0系を使用した定期列車がなくなります。「日本国民の叡智と努力によって完成された」鉄道の象徴として,44年間の有終です。
 新幹線0系車両は,1964年から86年までの23年間にわたり,延べ3216両も製造されました。東海道新幹線では,99年9月18日を最期に完全に姿を消していましたが,山陽新幹線では,その後も18両(6両3編成)が最後の活躍を続けていました。その定期運用も今日で最後。来月の3日間,「ひかり」号として臨時のさよなら運転をしたのちに,すべて廃車されることが決まっています。

 それにしても,完成されたモノはどこまでも美しい。

 夢多き時代の「夢の超特急」。いい時代のいいものが,また一つ,私たちの日常から去りゆきます。良いモノだから長く使えたのか,長く使えたから良いモノだったのか。一つのモノを長く使い続ける時代は,もう来ないのでしょうか。どの時代も同じ時間が流れているはずなのに,年々その密度は濃くなっていくばかり。そう感じるのは,モノが使い捨てられていく時間の短さと無関係ではないような気がします。

 東海道新幹線の東京駅19番線の下に,ひっそりと掲げられている「この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された」という銘板。この誇り高き文章は,名車0系にこそふさわしい一文です。

Img_8841

(第134号)

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秋田・大館フリーきっぷ

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 今回の秋田行きには、標記「秋田・大館フリーきっぷ」(大宮発で27,600円)を利用しました。往復には、秋田新幹線「こまち」の指定席のほか、羽越本線経由の寝台特急「あけぼの」のB寝台(B個室ソロを含む)の利用も可能になっているのがポイントです。
 大宮と秋田を単純に往復する場合の通常運賃及び料金(通常期)は、「こまち」利用で32,160円、「あけぼの」B寝台を利用した場合には35,700円かかります。ですから、単純な秋田への所用だけでも十分にモトが取れるわけです。
 指定した列車の変更は1回に限ってできるのですが、列車の予約には「えきねっと」も利用できます。列車を早めに押さえておき発券だけを直前にすれば、列車変更は事実上何度でも可能です(なお、「あけぼの」の予約は「えきねっと」ではできません)。
 フリーエリア内では「こまち」を含む特急列車の利用もできます。ただ、フリーエリア以外での途中下車が認められていません。仙台で牛タン食べて、盛岡で冷麺食べて、というような途中の寄り道はできませんけど、それを差し引いてもひじょうにお得で使い勝手のいい切符といえるのではないでしょうか。

 とまあ、申し分のない切符ではあるのですが、注文を1つ。
 フリーエリア内の秋田-田沢湖間は「こまち」に乗れるのですが、「こまち」は全席指定です。このため、とりあえず空いている席に座って、あとで指定券を持った客が来たら別な場所に移れ、という仕組みになっています081117_02(この切符に限らず、秋田-盛岡間では、座席の指定をしない「立っててもいいなら乗せてやる」的特急券が販売されていて、同様の仕組みになっています)。
 するとどうなるでしょう。今回、私は、秋田で発車までの間に1回、大曲で1回、角館で1回と、1時間足らずの間、駅に着くたび3回も席の移動を余儀なくされました。指定券を持ったお客さんも、自分が指定された席にオッサンが座っているのですから、いい気などしないでしょう。私だって、なんか悪いことをしているような後ろめたい気分になってきます。落ち着いてコーヒーも飲めません。
 その煩わしさや忙しなさを解消するために、ホームなどで枚数(座席数)や発売時間(発車20分前から5分前まで、とか)を限定しての座席指定券を発行できないものでしょうか。でなければ、発売されていない席がランプで表示されるとか。モバイルSuicaと組み合わせれば、ある程度のことは簡単にできるはずです。JR東日本には利用する側の立場に立って、もうちょっと工夫してもらいたいものです。

 帰りの「こまち」で田沢湖線を走破、これで北東北3県(青森・秋田・岩手)の未乗線区がなくなりました。
 今回の秋田乗りつぶし等報告は、これでおしまいです。

P1000978
▲仙台発車後の新幹線「こまち」の車内で遊んでみました。街の灯りがもう少しあると良かったかもしれません。(LX3,手持ちで2.5秒間露光,絞り2.2,ISO80)

*関連記事
全国クレサラ被害者交流集会in秋田(第122号)
男鹿のなまはげと小島よしお(第123号)
鳥海山を臨むおばこ号~由利高原鉄道乗車記(第124号)
田沢湖畔で紅葉狩り(第126号)
いいとこぎっしり男鹿半島(第127号)

(第128号)

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いいとこぎっしり男鹿半島

 乗りつぶしの旅をしていると,盲腸線(一方が行き止まりになっていて他の鉄道と接続していない路線のこと)は終点まで行ってすぐに折り返してしまうことが多いものです。一人旅の場合,とくにその傾向が顕著になります。
 この方法だと乗りつぶしは進展するものの,「ただ乗るだけ」の旅になって味気ないものです。当然ながら,のちのちの印象も薄くなりがちです。なので最近では,終点に限らず途中駅でも列車から降りて,できるだけ周辺を見て回るようにしています。
 今回は一人旅ではなかったので,同行者をJR男鹿線に道連れ,男鹿温泉に宿を取って周辺を見物することにしました。

P1000755
▲羽立駅に接近する男鹿線下り列車(奥の中央に見える山が寒風山で,展望台があるのは右側です)。それにしても,この時期の夕方は日暮れが早い!

Kanpoozan
▲寒風山からの東側眺望。中央やや左側に見える広大な平地が八郎潟干拓地。中央の水面が八郎潟調整池です。寒風山は標高355mの火山。車で頂上まで登れます。空気が澄んだときの眺望はきっともっと素晴らしいでしょう(今回は残念)。

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田沢湖畔で紅葉狩り

 川越の木々もだいぶ色づいてきました。
 先週訪れた秋田県田沢湖畔では、(タクシーの運転手さん曰く)紅葉がいちばんの見頃でした。矢島-本荘を駆け足で通り過ぎた恩恵は、ここ田沢湖畔にて。湖畔の杜レストラン「ORAE」(おらえ)で、湖を眺めながら薪ストーブを前に、ゆったりと昼食をいただきました。
 数種の地ビールが生で頂けるとともに料理も格別で、次もまた来たいと思うオススメのレストランでした。
 食後に「かえる石」を探しました。1.3km先という標識を信じて歩きましたが、いくら歩いても見当たりませんでした。バスの時刻が迫ってきたので断念。つぎの訪問の際は、絶対に探し出してみせます。

 田沢湖畔で紅葉の写真にチャレンジしてみました。……やはり、むずかしい(ё_ё)
 はっきり言って苦手です。満足いく写真の撮れた試しがありません。

P1000627_2
▲LX3,24mm,S1/30,F5.6,ISO160,PAE(-1/3補正)
 雑木林に一歩足を踏み入れましたが、少々光量不足です(なのにマイナス補正?)。いろんな色が重なって、実際はもっときれいに見えたんですけど…。

P1000606
▲LX3,24mm,S1/30,F7.1,ISO160,PAE
 橙と赤とが混じったイロハカエデがいちばん好きですが、黄色いのもまたいいものですね。ちなみに、スーパーのビニール袋と思しきゴミが映り混んでいましたが、修正して消してみました。わからないでしょ?

P1000628
▲LX3,24mm,S1/30,F2.0,ISO80,PAE
 ふと足下を見ると、これはこれで絵になりますね。というか、こういう方が好きだったりしますよ、私は。

*関連記事
全国クレサラ被害者交流集会in秋田(第122号)
鳥海山を臨むおばこ号~由利高原鉄道乗車記(第124号)
いいとこぎっしり男鹿半島(第127号)
秋田・大館フリーきっぷ(第128号)

(第126号)

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鳥海山を臨むおばこ号~由利高原鉄道乗車記

 羽後矢島行四両のディーゼルカーは、接続よく10時37分に発車した。矢島線は羽後本荘-矢島間二三・〇キロ。はじめは広々とした田圃で、だんだん平地が狭くなるにつれて川の右岸や左岸を行くようになり、終着駅には木材が積んである、というローカル盲腸線の典型のような沿線風景であった。
 矢島は林業の町であるが、一万石ながら城下町で、秋田県でもっとも古い民家が残っているという。しかしディーゼルカーの停留時間は五分で、11時24分には折り返し発車する。
(ここまで、宮脇俊三著「時刻表2万キロ」の第8章より引用)

 宮脇俊三が矢島線を訪れたのは、1976(昭和51)年7月17日土曜日のこと。それから32年以上が経ち、宮脇がこの旅で上野を発った急行「津軽1号」はいまはなく、代役を務めるのは、宮脇が「朦朧とした名称のブルートレイン」と称した寝台特急「あけぼの」のみとなりました。「あけぼの」は、現在、東京と北東北とを結ぶ唯一孤高の夜行列車です(上越線・羽越本線経由)。
 「あけぼの」には、JR寝台列車の中で「最狭」ともいうべきP1000493B寝台個室が連結されています。直立できる場所はどこにもなく、何をするにも壁に身体をぶつけるほどの狭さです。そんな場所に同行者2人が入り込み、3人で日付が変わるまで晩酌を酌み交わしました。
 何もそこまでしていっしょに酒など飲まなくてもいいとは思いますが、これもまた旅行の楽しみで、旅立ちの儀式でもあるので欠かすことはできないものです。それでもほどほどにしないと、矢島に向かう乗継ぎ駅である羽後本荘を寝過ごしてしまうことになりかねません。羽後本荘には6時09分到着予定です。

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男鹿のなまはげと小島よしお

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 きょう11月11日付けの朝日新聞東京本社版社会面(39面)の「青鉛筆」欄に、タレントの小島よしおが、秋田県男鹿市で9日に行われた「第6回ナマハゲ伝導士認定試験」をプライベートで受験した旨の記事が掲載されていました(上記)。
 受験者一行は、試験に先立ち、同市北浦真山のなまはげ館や男鹿真山伝承館を視察。4人の講師から、なまはげの由来や伝承などについて計3時間の講義を受けた(秋田魁新報)そうですが、私たちも同じ日、真山伝承館を訪ねていました。その時刻がたまたま一行と重なり、小島よしおが、私の右斜め前、その距離わずかに数十センチというところに座っていました。

 部屋の障子が閉められ一通りの説明のあと、なまはげがウオーと唸りながら建物の中に勢いよく入ってきます。
 応対する主人に、「泣く子はいねが、怠け者はいねが、言うごど聞がね子どらいねが、親の面倒み悪りい嫁いねが」と畳み掛けますが、なまはげに御膳を出して酒を勧め、世間話をしながらなだめすかします。主人が対象者のいないことをなまはげに伝えると、なまはげが、隠してもムダだとばかりに、対象者は「なまはげ台帳」に全部書いてある、と言って1冊の台帳を取り出します。
 すると、「ここの孫長男に、よしおってのがいる」と家の主人に指摘。それから、「(よしおは)学校さ行けばぁ先生のゆうことは一つも聞かねぇ、授業中には後ろの方で騒いでいてぇ、いっつも○△?□&●☆$#。それからなんだぁ、学校からウチさ帰ってきても、そんなの関係ない、とかいって何も勉強さしねえでいる…」とよしおを糾弾。小島よしおは、2人組のなまはげが家を去る際に、しっかり襲われてしまうのでした。
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 おそらく、この「なまはげの再現」は特別バージョンだったのでしょう。本来、笑いなど起きない場所や状況でP1000869あるはずなのに、笑いに包まれた20分のなまはげ再現でした。
 それにしても、子どもにとっては相当に怖いと思うでしょう。 「そんなの関係ねえ」の子どもたちだって、なまはげを前にしたら何でも言うこと聞くでしょうね。
 ちなみに、「男鹿のなまはげ」は国指定の重要無形民俗文化財。男鹿の真山・本山に鎮座する神々の使者と信じられ、災禍を祓い、豊作・豊漁・吉事をもたらす来訪神として各家では丁重に迎えもてなすそうです(男鹿真山伝承館のパンフより)。

*なまはげ館及び男鹿真山伝承館のHPはこちらです
 http://www.namahage.co.jp/namahagekan/

(第123号)

     *     *     *     *     *

※9日に秋田にいた理由はこちら↓
全国クレサラ被害者交流集会in秋田」(第122号)

※【お詫び】 本記事において、なまはげ館で撮影は可だが公開は不可とされる写真を掲載していたため、11/12、削除して差し替えました。記事中の一番右下の写真は、同館の入口にあるなまはげです。同館に確認したところ、こちらの公開は差し支えないとのことです。

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鉄道博物館1周年

P1020649 あのう…,正直に言います。
 鉄まんアトムは,一年前の2007年10月14日,開館初日の”てっぱく”こと鉄道博物館(鉄博)に行きました。
 当日は息子を連れ,大宮駅構内で「これから鉄道博物館に行っても入場できない」という警告放送を無視し,敢然とニューシャトルに乗って大成改め鉄道博物館駅へ向かいました。予想をはるかに超える人出で,駅の改札口まで長蛇の列になっていました。
 列の最後尾についてから,博物館の入り口を目の前にしながら遠くまで歩かされ,ときに数十分も同じ場所に立たされ,そのあとぐねぐねとさらに敷地内を歩かされること数時間,やっとの思いで館内に入るも,どこも人,人,人,そしてまた人。 まともな見物などできるはずもありません。
 でも,息子といい思い出です。開館初日というのは,その日一日だけしかありませんから。P1020679
 で…,これも正直に言います。もう,すでにリピートしています。
 それでもまだオアズケになっているものがあります。蒸気機関車D51のトレインシミュレーター。次に行ったら,ぜひとも体験してみたいと思っています。実車同様に揺れたり,石炭をくべる作業も伴うなんて想像しただけでも楽しそうではありませんか。

 ちなみに,10月14日は「鉄道の日」。
 1872年10月14日(明治5年,旧暦の9月12日),新橋(旧汐留貨物駅)~横浜(現桜木町駅)間に日本で初めて鉄道が開業したことを記念した日です。テツにとってのクリスマスみたいなものですね。

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▲館内2階エントランスゾーンに設置されているステンドグラス「過ぎゆくもの」(作・山本容子)の一部。3m×10mという大きなもので,この全体写真をいかに綺麗に撮るか,これも挑戦したい課題です。大理石?の床に映るのがこれまた見事,何度みても息を呑む美しさです。

(第108号)

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ふるさと能登

 私は,これまでの人生の大半を,川越及びその周辺で過ごしています。なかで川越は最も長く,幼少時の思い出からしても,私を育ててくれた「ふるさと」は川越だと思っています。
 一方,私の両親はともに,生まれも育ちも石川県奥能登地方。それぞれの実家は4キロほどしか離れていません。その両親の間の子として,私も石川県で生まれました。戸籍の記載によれば,「石川県鳳至郡穴水町(※現・鳳珠郡穴水町)にて出生」とされています。しかし,私が生まれたあとすぐ両親は,石川県を離れ,東京世田谷を経て川越に移り住みます。そんな次第で私は,能登で暮らしたときの記憶は何もありませんが,「生まれは能登」という事実だけが一生ついて回ることになります。
 いまでも親類縁者の大部分は石川県にいて,父母両家の墓も石川県にあります。それでも,両親は埼玉県内に家を構え,能登に戻る気配など微塵も見受けられません。両親がどのような経緯で石川県を離れたのかは,いまだ詳しく聞いたことがないのでよく分かりません。そんな両親も年に一度は墓参りの帰省をしていて,いっしょに連れられ能登に通っていた私は,いつの頃からか,「生まれ故郷」として能登を認識するようになります。

 幼い頃は苦手だった能登の郷土料理。あじのすし(ひねずし又はなれずし,ともいう),なすの舟焼き,各種の漬け物類,こんかいわし,かぶらずし…。とにかく挙げたらキリがありません。いまの時季は何といっても「こけ」(※キノコをさす方言)ですね。齢を重ねるにつれ,みな大好物になってしまいました。これらを知ってしまったのは,ある意味において不幸かもしれません。墓参りは口実で,こうした料理食べたさで能登に帰るようなものです。
 独特の郷土料理を受け継ぎ守るのは,能登の気風です。温かく素朴な人情味あふれる土地の人であり,厳しいながらも豊かな自然に育まれた風土であったり。「田の神」を家に迎え入れ,身振り手振り言葉をかけながら風呂やごちそうを振る舞う神事「あえのこと」に象徴されるもてなしのこころがそこにはあります。「能登はやさしや土までも」と詠まれる所以です。

 最後に能登へ帰ったのが2006年4月。それからもう,2年半ほど遠ざかってしまいました。これほどの無沙汰をしたことはありません。家庭の事情,仕事の都合,いろいろと言い訳はあるのですが,なんといっても2005年3月の能登線廃止の影響が一番大きいかもしれません。
 廃線となって汽車が走らなくなっただけでなく,線路は剥がされ,橋は崩され…,能登線は跡形もなく消されつつあります。それを現実に生で見てしまうことの恐怖のようなものがあって近づきたくないのかもしれません。鉄道の廃止で不便になり,それで足が遠のいたということではなく,私の能登の思い出と切っても切れない能登線のいまの姿をみるのがつらいということなのです。追い打ちをかけるように,震災にも見舞われました。
 でも,廃線からもう3年以上が過ぎました。そろそろ気持ちを切り替える潮時でしょうか。唱歌「ふるさと」のメロディーを聴くと3番の詩(…♪志をはたして/いつの日にか帰らん/山は青き故郷/水は清き故郷…)が想起され,能登の風景が脳裏をかすめます。

 結局,私にはふるさとが2つあるのです。生まれ故郷が能登であることは永久に不変です。こののち川越を離れることがあっても,川越がふるさとであり続けることもまた不変です。そして能登とのつながりがどんなに薄くなったとしても,「能登はやさしや土までも」の気質だけは不変でありたいものです。ならば,ふだん”鉄分”を補給するように,そろそろ”能登分”の補給もしないと。たとえいまや能登が鉄分ゼロ地帯になってしまっていても。
 だって,ふるさと能登の長い歴史の中で汽車が走っていたのは,わずか40年ほどにすぎません。その束の間,その汽車に乗り,その汽車をながめ,その汽車を見送った日々が私にあったことも,これまた不変なのですから。

        *          *          *          *

 この記事をもって,当ブログは通算して第100号を迎えました。
 これまで不思議と,「能登」を主題にした記事は1つもありませんでした。そこで100号の節目に,能登のこと,私と能登の関係などを簡単に触れておくことにしました。機会があればまた,能登のいろいろ,とくになくなってしまった能登線のことを,少しずつでも取り上げていきたいと思っています。

(第100号)

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上田電鉄別所線

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 3連休の前半、家族で出かけた帰り道、上田電鉄別所線(上田-別所温泉11.6km)に立ち寄ってきました。塩田平の田園地帯を小駅に停まりながら、30分足らずの各駅停車の旅です。沿線は、豊穣の田んぼにコスモスの色添え。秋の気配いっぱいの小旅行でした。
 終点の別所温泉は、日本武尊の神話にも出てくる歴史ある温泉で、共同湯も3カ所あります。駅前にある近代的な日帰り温泉施設「あいそめの湯」で風呂を楽しみ外に出ると、目の前を、乗ってみたかった「まるまどりーむ」号が通り過ぎていきました。

(第96号)

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宮脇俊三と鉄道紀行展

 世田谷文学館で開催されている「没後5年 宮脇俊三と鉄道紀行展」を見てきました。鉄道紀行作家・宮脇俊三(1926~2003)の業績を回顧する初の展覧会,ということで,長女宮脇灯子氏が監修した展覧会です。
 展覧会では,多くの著作の自筆原稿,無数の取材ノートをはじめとして,初公開となる多数の資料が展示されていました。「時刻表2万キロ」全線完乗地図や,広尾発枕崎ゆき「最長片道切符」の原本も展示され,途中下車印の押された実際のきっぷの券面を初めて目にすることができました(ちょっと感激)。
 中でも目を引いたのは,やはり肉筆の原稿類です。ていねいな筆致で原稿用紙のマスの中に几帳面に埋められた文字。印刷原稿に対しては,文字の大きさ,書体,改行位置,空白の取り方の指定はもちろん,挿図の線の太さ,色合いの指定に至るまで事細かくなされている指示。未開業路線の想像の時刻表は,方眼紙に細かい数字の一つまですべて手書きされ,市販の時刻表と見紛うものです。編集者であった宮脇は,著作に挿入する路線図や時刻表などを自作していましたが,もちろんパソコンのない時代で,何から何まですべて手書きです。自身の信条でもあった推敲の過程を示す原稿もあって,どれもじっくり見入ってしまいます。
 なんというか,とにかく全力投球の仕事。自分自身に対する妥協を許さない姿勢が伝わってきます。プロの仕事はかくあるべき,を実感しました。宮脇の作品が時を経ても色あせず,いまなお多くの人を魅了して止まないのは,こうした作り手の立ち居振る舞いが凝縮されているからなのでしょうか。心血注いで紡がれた文章を,いままで以上に大事に読み返していこうという心境になりました。
 ファンには必見の展覧会です。9月15日まで,残りわずかです。
        *          *          *          *

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 写真は,JRの乗車券を模した入場券と展覧会のパンフレットです。パンフはA4横で短辺側で2つ折りになっています。開くと,なんと「時刻表2万キロ」全線完乗地図。ここまでくると,企画した人は”好きなヒト”に違いありません。
 売店では,悲しいかなカエルが目についてしまいました。東急旧5000系,通称青ガエルのストラップ。だからカエル登場なんでしょうけど,知らない人にはこのストラップとカエルの因果関係は不明のままだと思います。

(第95号)

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大垣夜行

 きょう9月1日の朝日新聞に、「大垣夜行 臨時列車に?」という見出しの記事がありました。JR東日本とJR東海が運転取りやめの方向で検討、毎夜運行は今年度末限りで廃止される見込みだそうです。
 「大垣夜行」というのは、いまでは東京-大垣間の夜行快速「ムーンライトながら」を指して使うのでしょう。新しいファンには「ながら」のほうが通りがいいかもしれませんが、私たち以上の年代には、やはり「大垣夜行」です。
 私の若者だった時代はまだ普通列車で、旧型の急行用車両(165系)が使われていました。座席を確保するために、何時間も前から東京駅のホームに並んだものです。苦労して席についてもほぼ直角の硬い座席で、寝ては起こされ寝ては起こされの旅路でした。いまの「ながら」とは比べものにならないほど苦痛な環境でしたが、友と過ごしたあの貴重な時間は忘れられません。「大垣夜行」という同じ列車での思い出は、多くの人にたくさんあるに違いありません。ただの鈍行なのに「大垣夜行」と呼ばれ、多くの人に愛されてきた列車。こういう列車って、もはや一つの文化だと私は思います。そんな文化がまた一つ消えていくのは、寂しい限りです。

 新幹線や飛行機、深夜バスに押され(という理由付けで)、長距離の夜行列車は年を追うごとに姿を消されています。東京駅を発つ夜行列車は、いまではたったの3本のみ。大分・熊本行きの「富士・はやぶさ」、高松・出雲市行きの「サンライズ瀬戸・サンライズ出雲」、そして大垣行きの「ムーンライトながら」の3つです。
 今年3月には、京都-熊本・長崎間の「なは・あかつき」、東京-大阪間の「銀河」が相次いで廃止され、来年には「富士・はやぶさ」も廃止されようとしています。そのうえ「ながら」も廃止されてしまうと、一気に選択肢が失われます。西への旅はつまらなくなっちゃうなあ…。
 飛行機に乗れない私は、遠距離への旅に必ずといっていいほど、行きも帰りも夜行列車を利用しています。こんな旅のスタイルを続けられる時間は、もう残り少ないのかもしれません。

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 1枚だけ古い写真がデジタルでありました!
 撮影日は明確ですが…たぶん多客期に増発されていた臨時「大垣夜行」だと思います。定期の「大垣夜行」より後に東京を出発する「臨時大垣行き」の方が、なぜか先に大垣に着くんですよね。

(第93号)

*追加関連記事
東京駅からブルートレインが消え去る日(第145号)
空を飛べないアトム(第168号)

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水たっぷり鉄分補給

 終戦記念日。仕事を休んで、少しだけ鉄分の補給をしてきました。
 朝、目覚めてからの思いつきで、しかも日帰りという制約付き。寝ぼけた頭にふと巡ってきたのは、先日購入した「父・宮脇俊三が愛したレールの響きを追って」という本に登場していたJR鹿島線と鹿島臨海鉄道でした。

 鹿島線は水郷を横切る線で長大な鉄橋が多く、水をたっぷりと鑑賞することができる。とくに北浦を渡るあたりがすばらしい。(宮脇俊三「旅は自由席」より)

 この一節を思い出し、「水をたっぷり鑑賞する」べく出発することにしました。手元には地図も時刻表もなく、今日はケータイとSuicaだけが頼りです。未乗の成田線我孫子~成田にも乗るため、武蔵野線で新松戸を経由して我孫子に向かいました。
 武蔵野線の車中で、時をおいては妙な臭いが漂ってくることを感じましたが、適当に受け流していました。新松戸で常磐線に乗り換え、またもや妙臭が。イヤな予感がして恐る恐る靴の底を除くと…、「!」。踏んではいけないモノを踏んでしまっていたようです。そう、妙臭の犯人は自分だったのです。我孫子駅でチラシ片手にトイレに入り込み、直ちに除去を開始。最後は和式便器に足を突っ込み、この時点でもう、水たっぷり。おつりまで来るほどの強力洗浄にて、とりあえず一件落着となりました。
 さて、気を取り直して成田に向かい、鹿島線の電車に乗り込みます。

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「最長片道切符の旅」取材ノート

 今日4月22日、「『最長片道切符の旅』取材ノート」が新潮社から刊行されました。
 同時に、”宮脇俊三と旅する”と題する特集を組んだ「小説新潮」5月号も発売されました。

  自由は、あり過ぎると扱いに困る。

 この書き出しで始まる「最長片道切符の旅」は、宮脇が27年間勤めた中央公論社を退社した直後の1978年10月13日から計34日間、広尾駅(北海道広尾線、廃線廃駅)から枕崎駅(鹿児島県指宿枕崎線)まで、同じ駅を二度通らないで可能な限り長くする片道切符(いわゆる”ひと筆書き”)での旅を綴ったノンフィクション作品です(新潮社、1979年)。
 その旅の距離、1万3319.4キロ。当時の国鉄全旅客営業キロ(21011.7km)の3分の2、それは地球の直径に及ぶものです。デビュー作「時刻表2万キロ」と並んで、宮脇を代表する作品の一つでもあります。080422
 「メモを見て思い出すようなことは書くに値しない」と語っていた宮脇でしたが、2003年の没後、自宅書斎からメモ帳100冊が見つかり、うち「最長片道切符の旅」の”取材ノート”が11冊も含まれていたことが明らかになりました。
 それを完全収録したのが、きょう発刊された「『最長片道切符の旅』取材ノート」です。29年を経て、名作「最長片道切符の旅」のネタ帳が公開されたわけです。宮脇ファンとしては久々に、宮脇の”新作”が読める、もちろん発売当日に買い求めました。

 宮脇の魅力は、鉄道を中心とした紀行作品というだけでなく、正確無比なる客観的事実の描写、徹底した推敲によって紡がれた文章にあります。初期の作品にはその傾向が顕著で、文学的にも高く評価されています。
 また、いまは廃止された路線や航路が舞台になっているものも数多く、史料としての歴史的価値を併せ持つものです。その「最長片道切符の旅」も今日、同時に復刊されました。新潮社も商売が上手ですね。(写真中央。ちなみに、これは私が持っている初版本です)

 ”取材ノート”に収録されている「最長片道切符の旅」の出発地に向かう前日(10月12日)の日記の一部。
   札幌ジンギスカン飲み放題 2、000-
   退職金を高いとは思わない。国鉄運賃を高いとは思わない。私は高いとは
  思わない人間だ。(少々ノンデル)
   女房は1/3で不動産にした。1/3は新会社用。残りの1/3は減りつつある。
 
給与所得者から自営業者へ転身した頃、さぞかし懐に気を揉んだのでしょう。よくわかります。「いい齢をした男が児戯に類した目的を持っている」と自己を冷静に評価する宮脇独特のユーモアは、原作の原作である”ノート”にどれほど詰まっているのでしょうか。

 ”取材ノート”を読みながら、「最長片道切符の旅」を読む。
 「最長片道切符の旅」を読んで、”取材ノート”をまた読む。
 しばらく寝不足の日々が続きそうです。

(第61号)

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地方の足消え新幹線に巨費

 当ブログ記事の「加津佐の風、昭和の薫り」(2008年3月31日)に付した私自身のコメント(4月3日00時10分)を改編し朝日新聞「声」欄へ投稿したところ、採用されました。
 4月7日付けの朝日新聞東京本社版朝刊の「声」欄に、「地方の足消え新幹線に巨費」というタイトルで掲載されています。タイトルは朝日新聞によるものです。

 地方の足消え新幹線に巨費
    司法書士 広田 博志
    (埼玉県川越市 38)
 先月末、長崎県を走る島原鉄道に乗ってきた。車窓には雲仙岳や有明海が広がり、旅情豊かなローカル線として知られている。しかし、噴火災害などで利用客は減り、05年度の赤字は約1億7千万円という。80年余も地域を支えてきた景色のよい南半分は県や沿線の市が支援を断念し、先月末で廃止された。
 同じころ、九州新幹線長崎ルートの武雄温泉―諫早間約45・7㌔の着工が認可された。総工費は約2600億円。このうち長崎県は297億円を負担する。新幹線開業後の並行する在来線は、20年で約34億円の赤字と試算する。博多―長崎間の所用時間の短縮はわずか26分にすぎない。
 長崎県は、島原鉄道を支援せずに廃線にする一方、新幹線には巨費を投じ、並行する在来線を赤字路線にまでして支援するというのだ。
 新幹線の建設費で、島原鉄道が1529年間走る勘定になる。人口が減って高齢化する中で、今ある物を次の世代にどのように引き継いでいけばいいのだろうか。政治家はもちろん私たち自身にも問われている。

(以上、文字数428+空白4)

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甘木鉄道の乗務員の一言で

 島原の帰り道、ちょっと寄り道をして雨の甘木鉄道に乗りました。甘木鉄道は、JR鹿児島本線の基山(佐賀県三養基郡基山町)を起点として、甘木(福岡県朝倉市)に至る旧国鉄甘木線を転換した13.7kmの第三セクター鉄道です。きょう、開業18周年を迎えました。
 甘木を出てすぐ、ごく普通の鉄橋で小さな川を渡ります。地図によれば小石原川といい、筑後川に合流して有明海に注ぎます。両岸の堤防で囲まれた100mほどの河原には、一面に菜の花が咲き誇っていて見ごたえのあったほか、あとはそれといったところでした。
 そんな次第でブログに書くことも特段なかったのですが、乗車したワンマン運転の乗務員の「ワンマン状態」を目の当たりにして、書く決心をしました。

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加津佐の風、昭和の薫り

 「加津佐」と聞いて、すぐにわかる人は少ないと思います。
 加津佐は、長崎県島原半島にある行き止まりの終着駅です。
 島原半島の北東南岸にへばりつくように走る島原鉄道。諫早から島原を経由し、雲仙普賢岳の麓を通り加津佐(南島原市・(旧)南高来郡加津佐町)に至る全長78.5kmのローカル私鉄です。ぜひいまのうち、地図をご覧になってみてください。
 このうち、通称”南目線”(みなんめせん)といわれる部分の島原外港-加津佐間35.3kmが、きょう2008年3月31日をもって廃止されます。
 この鉄道には、「キハ20型」という1950年代に製造された車両が現役で走っています。ドアは手で開け、網棚には網が張られ、窓の下の台は木で出来ています。昭和の時代が薫る”名車”ですが、車齢は50年。いまとなっては部品の調達も容易でなく、こちらも同日限りでの廃車が決まっています。

 半島にあるローカル線の終着駅には興味があります。ここ加津佐にも以前から「行ってみShimatetsu01たい!」と思ってはいたものの、噴火災害の復興を成し遂げた底力の影に安閑としていました。
 昨年1月に同区間廃止の決定が伝わり、遠方であることも相俟って、半ば訪問をあきらめていました。2006年の九州訪問時に対岸の三角まで行きながら、有明海を渡らなかったことを悔やみました。高千穂と違って島原は、復旧して運行を再開していたのに、です。
 南線はもちろんのこと、島原鉄道を走るキハ20が見られるのも今日が最後です。

 その姿を見たい、と私は思いました。
 でも、鉄道雑誌を見れば記事があり、ネットを探せばたくさんの写真やビデオを観ることもできます。だから、わざわざ長崎まで行かずとも、どんなものかは大方の見当がつきます。ありがたい時代です。これで納得しようと思っていました。
 しかし、なんと言えばよいのでしょう。写真やビデオでは伝わらない”モノ・コト”があります。乗客の立ち居振る舞い、車内の匂い、走るときの揺れ、車両そのものがその場にある臨場感、遠くからこだまする汽笛、頬を撫でる潮風、そしてそれらが一体となって醸される土地の空気。こういうものはやはり、「現場」に行かないと実感できません。
Shimatetsu02 南線最後の土日という鍔際になっても頭から離れず、やはり私は島原へ行くことにしました。残された時間は少なく、金曜午後の博多行き「のぞみ」に飛び乗りました(かけ込み乗車ではありません、念のため)。要は決断するか否か。決断すれば、7時間で諫早です。

 現場に来たことは正解です。Img_1395 Img_1430
 とくに、いまにも崩れ落ちそうな普賢岳の山肌が間近に迫り、真新しい橋や構造物の群が物語る火砕流や土石流の大きさを思うと、息を呑み込みます。被災による苦難を乗り越え、今日まで列車を走らせてきた人たちの努力は並大抵ならぬものでしょう。
 ……
 島原では、身なりを整えて汽車に乗り込むご老輩方を多く目にしました。視線は遠く、何を見つめているのでしょう。その風景の一端を私は見られたでしょうか。

 加津佐の風を運ぶ最後の汽車は、19時48分、昭和の薫りとともに去ります。

(第50号)Img_1330

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四国遍路(あとがき)

Img_0619 今回の四国訪問の目的は、あらためて申し上げるまでもないが「高知市立自由民権記念館」であった。
 だから、ブログにはそのことだけを書こうと思っていた。しかし、いきなり「自由民権」という小難しいテーマを掲げても、そんな記事は一部の特異な人の目にしか触れないであろうし、何より書き手の意欲も湧いてこない。
 どう考えても、分不相応な高級酒との出会い、愚図る幼児をあやすかのような「阿佐線」延伸の歩み、そのほか旅先で遭遇した出来事をつづる方が何より面白いし、簡単なのではないか。

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四国遍路第13話(交響曲サンライズ瀬戸)

 ~また逢う日まで、閑話休Img_0938題~

 高松21時26分発、寝台特急「サンライズ瀬戸」東京行き。
 東京まで10時間弱の旅の始まりです。と同時に、四国の旅の終わりでもあります。
 きっぷを見ると指定された部屋は1号車。一番前、先頭まで行かなければなりません。
 2階にある進行右側の部屋にたどり着き荷物を置くともう、発車時刻は間近です。
 バックから、やおらバランタイン30年(第3話参照)と大小2匹のカエルを取り出し、窓際に置きます。約20分後に渡り始める瀬戸大橋から、夜の瀬戸内海を眺めるための支度をすることにしましょう。

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四国遍路第12話(宇高航路)

 ~瀬戸は日暮れて~

 宇野駅に降り立ちました。
 ここはもう、四国ではありません。本州・岡山県です。
 まだ17時前ですから、東京へ帰ることは十分可能です。しかし私が持っているのは、高松21時26分発「サンライズ瀬戸」東京行きの寝台券です。ここでアンパンマンとばいきんまんの闘いが始まりました。

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四国遍路第11話(画竜点睛)

 ~魔の宇多津トライアングル~

 鳴門駅到達をもってJR四国全線完乗を果たしたことは、前話でお話ししたとおりです。
 ”帳簿上”はまちがいなく全線を走破したのですが、現実には通過していない区間のあることが判明しました。
Map_marugame1  一般に「瀬戸大橋線」と呼ばれる区間は、岡山-茶屋町-児島-宇多津-坂出-高松の全長71.8kmを指す愛称です。瀬戸大橋線の正式な路線名と会社は以下のとおりとなります。
  1.岡山-茶屋町 宇野線(JR西日本)
  1.茶屋町-児島 本四備讃線(JR西日本)
  1.児島-宇多津 本四備讃線(JR四国)
  1.宇多津-坂出-高松 予讃線(JR四国)
 なお「瀬戸大橋」とは、全部で10の橋からなる全長13.1kmの橋の総称で、うち海上を跨ぐ橋は合計6つ9.4kmにも及ぶ世界最長の鉄道・道路併用橋です。

 このように本州から橋を渡って来ると、四国最初のImg_0807駅が宇多津ということになっているのです(第5話掲載の地図を参照)。が、”建前の上では”そうなっていても、宇多津駅付近の線路は”実際には”三角形に敷かれていて(左上の地図及び右の写真参照)、坂出・ 高松方面の列車は宇多津駅のホームは経由せず、同駅構内(という名目)の短絡線を経由しています(地図の緑字のア-イ)。

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四国遍路第10話(針路は鳴門へ)

 ~頭の中が”うずしお”に~

 4時30分起床。
 ”毎朝こんなに早く起きて働いたとしたら、もっと偉くなっていたでしょうな”(宮脇俊三著、「最長片道切符の旅」p217より)。
 …早起きはダイの苦手です。ゆっくり寝かせてください。”早起きは三文の得”といいますが、三文なんかいらないし、いまさら偉くなる気もありません。ちなみに「三文」を辞書で引くと、総じて「価値の低いことやものをいう」とあります。二束三文のサンモンです。
 話の方向が大きく逸れていきました。
 ということで、まだ夜です。夜明けの兆候すらない暗闇のなかを駅まで歩くと、意外にもけっこうな人がいます。

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四国遍路第9話(宿毛発多度津経由長浜回り宇和島行き)

 ~オオボケアトムに蛇の目がきらり~

Img_0699Img_0695Img_0697 宿毛駅は、立派な構造の行き止まり駅です。
 しかしここは終着駅ではなく、れっきとした始発駅です。それを証拠に駅構内には、起点を示す0キロポストがあります。
 宿毛については、前話であまりいい話をしませんでしたので、せめてもフォローのつもりで写真の椀飯振る舞いです。

 出発は、Img_0704宿毛7時18分発の窪川行き普通列車。始発列車の方がいいのですが、Img_0700宿毛・中村線が夜明け前になってしまい外が見えないので、2本遅らせました。
 今日は3月9日、日曜日です。当初の予定では、土讃線を阿波池田まで乗り、徳島線、鳴門線に乗車してサンライズで帰ることにしていましたが、周遊きっぷ「四国ゾーン」の有効期間が2日残ること、もう1日あればJR四国全線が完乗となることがわかり、あと1日四国に留まることにしました。
 で、今日向かう先は愛媛県宇和島。昨日通ってきたところですが、土讃線で多度津まで行き、予讃線に乗り換え松山を経由して向かいます。距離にして530.2km。最短距離のじつに10倍以上の大回りです。

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四国遍路第8話(宿毛で)

 ~大浴場は完備でも~

 宿に着くと何やらにぎやかである。聞くと、結婚式の披露宴をやっているとのことでした。時刻は19時半をまわっています。「夕食がまだでしたら」とにぎやかな方を指し示されましたが、荷物を部屋に置いて考えることにしました。
 ところが、部屋に行く途中、廊下の電気は消されて真っ暗、階段の途中に部屋のドアがあったりと不気味。指定された部屋のドアは、まるで機械室にでも入るかのようなものでした。ホテルの御食事処でのカツオ料理を楽しみにしてきましたが、こんな状態ではまともなものは期待できないので、外へ行くことにしました。

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四国遍路第7話(予土線)

 ~大正、昭和、そしてハゲ!?~

 四国訪問の目的を果たし自由民権記念館をあとにした私たちは、路面電車で高知駅に向かいました。高架に切り替わったばかりの真新しい駅で昼食をとり、同行者とはここでお別れです。
Img_0644  ホームに上がると、木造のアーチ型天井が頭上を覆っています。覆いのある高架駅は息苦しさを感じるのですが、これだけ高くて大きいと一転、開放感があります。この大屋根は「くじらドーム」とよばれ、東西(長さ)60.9m、南北(幅)38.5m、高さ23.3mで駅全体をすっぽりと覆う構造で、高知県内24市町村で伐採された杉の原木は、長さ4mの丸太にして8千本にも及ぶといいます。ただ、あまりに大きすぎて、風雨の際の吹き込みを心配してしまうのは余計なお世話でしょうか、ね。

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四国遍路第6話(高知市立自由民権記念館)

 ~自由は土佐の山間より~

 旅の良し悪しは、点と線の調和如何によって決まることが多い。
 ”乗りつぶし”は線の旅になりがちで、線だけの旅は、あとで印象の薄いものになってしまいます。そうかといって点をとり過ぎますと、アリバイ作りでもしているかのような味気ないバスツアーみたいで、それもいただけません。点を重視していますと、今度はいつまでも乗りつぶしが先に進まない事態になりかねません。ここの微妙な配分をどうするか、旅行前にはいつも時刻表と格闘することになるのです。
 しかし、日程立案者の力量不足のため、二兎を追う者…の図になることもしばしば。どちらかを犠牲にすると頭を使わずに済みますから、結局のところ、まんべんなく調和させることをあきらめてしまいます。
 今回は”線”を重視したために、日和佐薬王寺で厄を落とした以外、東京から長い線を引き続けてきました(第4話参照)。このあとも線が続きます(次話以降)。それでもまともな”点”がないと、家族への言い訳も立ちません。仮にその点が薬王寺であったら、私の帰る家はないかもしれません。
 そこですえた点とは、「高知市立自由民権記念館」です。もっとも今回は、最初にこの点をすえ、そこに線をあてはめたのですが。

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四国遍路第5話(阿佐線)

 ~線路がつながる日はくる?~

Shikoku_e  日和佐駅に戻ると、先ほど薬王寺で写真を取り損ねた「ゆうゆうアンパンマンカー」が停まっていて、ホームにはたくさんの幼稚園児がいました。発車する様子は見受けられず、道の駅で絵葉書を買い求め、同行者と雑談をしているうちに、12時21分発の海部行き普通列車が2両編成でやってきました。
 列車では見られないという千羽海崖を見てみたいと思いましたが、それでは乗りつぶしにならないのでじっとこらえて乗り込みます(”千羽海崖は日和佐港外から南へ二キロにわたって続く断崖で、高いところは二五〇メートルにも及ぶという”~「時刻表2万キロ」より)。
 ボックスシートでおにぎりを頬張っていると12時42分、牟岐に着きます。上り特急「むろと2号」と行き違うため、10分ほど停車。牟岐からさらに15分ほど乗って13時11分、牟岐線の終点海部に着きます。終点とはいっても短いホームの先に線路は続いていて、ここで乗り換えを余儀なくされる理由など見受けられません。単に会社が変わるからですが、こういう不便は解消してもらいたいものです。
 さて、徳島から、地図に長い紐を落としたように南下し、半島でもない場所で行き止まりになってしまっている牟岐線というのは、どういう路線なのでしょうか。これをひもとくには、かなり歴史をさかのぼらなければなりません(地図は,JTB時刻表2007年8月号から引用)。

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四国遍路第4話(日和佐薬王寺)

 ~四国第23番霊場・薬王寺~

 私たちを乗せた「サンライズ瀬戸」は、東海道を走り抜け、山陽道へ進みます。6時過ぎ、定刻どおりの岡山到着を告げる朝一番の車内放送が流れ、目を覚ましました。東京駅からここまでいっしょに走ってきた「サンライズ出雲」号を切り離し、列車は岡山駅をあとにします。
 顔を洗うなどするうち、列車は、本州最後の駅・児島を発車し、鷲羽山トンネルを抜けたあと瀬戸大橋を渡り始めます。大小の島々が点在する瀬戸内海をわずか7~8分で渡り終え、四国に上陸しました。
 実は、四国上陸は二度目。昨年、どうしても四国の地を踏みたく、瀬戸大橋を渡り最初に停まった坂出駅に降り立ちました。駅前のサティで足早に食料を買い込み、上りの「サンライズ瀬戸」で折り返しています。四国で坂出サティ以外には行ったことがなく、実際上の四国旅行は今回が初めてとなります。
 定刻7時26分、高松駅に到着。今回の四国訪問の目的地・高知へ向かうには、土讃線の列車に乗り継ぐのがふつうですが、”乗りつぶし”のために、これから逆の方向をめざし、徳島、そして室戸岬を経由します。大変な大回りです。

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四国遍路第3話(旅立ち)

 ~旅の始まりは、一杯のウイスキーから~

 私たちを四国へいざなうのは、寝台特急「サンライズ瀬戸」。東京の発車が22時00分とやや遅め。なので、列車に乗り込んだらすぐにウイスキーが飲めるよう、どこかで”先触れ”をしておかなければなりません。

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四国遍路第2話(瀬戸の花嫁)

 けさ、訪問先の四国から戻りました。
 今回の四国訪問、高知市の”とある施設”の見学が主たる目的でしたが、従たる目的として”乗りつぶし”も行いました。
 駆け足でしたけど、JR四国(土佐くろしお鉄道及び阿佐海岸鉄道を含む)の全線を走破して参りました。鉄分濃度が一気に高まり、いまだに身体が左右に揺れているような感じがします。酒の影響かどうかは区別できません。
 JR四国のいくつかの駅では、列車の接近時、ホームに「瀬戸の花嫁」や「アンパンマンのマーチ」などのメロディが流れます。「瀬戸の花嫁」は、”瀬戸は日暮れて夕波小波~~大丈夫なの”まで、なんと30秒以上。これがけっこう耳から離れません。
 帰ってきた話をしたところでふつうはお仕舞いですが、時間を見ながら記事を書いていきます。

 (第3話へつづく)

(第36号)

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四国遍路(プロローグ)

 四国に来ています。
 遍路は遍路でも鉄道の遍路ですが(もちろん、四国訪問の主たる目的は鉄道ではありません)。
 さて、本日通り過ぎたJR土讃線に大杉という駅があります。あたりは杉が多く、赤茶色に色付く山並みが花粉症の身につらい、どちらかといいば゛多杉゛の方が正しかろうというところでした。
 そうかと思いきや、駅周辺には樹齢3千年にもなる日本一の゛大杉゛があるというので、なるほど、すばらしい地名だと納得してしまった次第です。

(第35号)

               *          *          *

*「四国遍路」全14話
四国遍路第2話(瀬戸の花嫁)
四国遍路第3話(旅立ち)
四国遍路第4話(日和佐薬王寺)
四国遍路第5話(阿佐線)
四国遍路第6話(高知市立自由民権記念館)
四国遍路第7話(予土線)
四国遍路第8話(宿毛で)
四国遍路第9話(宿毛発多度津経由長浜回り宇和島行き)
四国遍路第10話(針路は鳴門へ)
四国遍路第11話(画竜点睛)
四国遍路第12話(宇高航路)
四国遍路第13話(交響曲サンライズ瀬戸)
四国遍路(あとがき)

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「旅と鉄道」3月号の表紙

 今日,所用の合間に本屋に立ち寄りました。
 愛読誌「旅と鉄道」の最新号(3月号)を購入しました。昨年,月刊化されてから発行ペースが倍になりましたので,買い忘れが多くなりました。定期購読を申し込んだ方がいいかもしれません。
 さて,表紙の写真ですが…むむ,どこかで見覚えが...。
 写真集を眺めたら,ありました。2年前に,熊本から乗り込んだ東京行き「はやぶさ」の個室内から,しっかり同じシチュエーションで撮影していました。新幹線でもそうですけど,富士山が車窓に見えている時間って,案外,短いんですよね。
 場所は…,ま,”鉄”なら誰でもわかりますね。東海道本線の富士川鉄橋です。
 久々Tabitetsu_174の鉄分補給P1020649でした(^^ゞ)P1020623

※「ヱビス」は博多駅ホーム,「富士山」は門司駅ホームで仕入れました。

(第29号)

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てつのみち2007

 当ブログは,主に,旅と鉄道に関することを綴るため開設したのですが,記事の内容からして”社会派”ブログになりつつあります。これを少しでも引き戻すために,鉄分を補給しておくことにします。
 「てつのみち」と題して,乗りつぶし状況をHPに公開したのが2002年3月。それから1週間後に一度だけ更新をしたきり,今日まで放置することになってしまいました。まもなく6年にもなってしまいます。
 この間も,てつのみちを歩み続け,記録も付けてはいるのですが,それを整理し,写真を選び,しかも文章を添えてHPを更新することまで,悲しいかな手が回りませんでした。
 ブログは,このような旅日記にはもってこいの媒体だと思います。これからは,場をこちらに移し,綴っていくことにします。
 そんなわけで,まずは,このブログ開設時における乗りつぶしマップを掲げておくことにします。

Noritsubushi_2007  ちなみに,2007年は,念願だった中国山地のローカル線を乗りつぶしました。
 運転本数の非常に少ない区間を抱える,姫新線,芸備線,福塩線,因美線,加古川線の5線をクリアし,2002年までにクリア済みの可部線(一部区間がその後廃止),三江線,そして木次線を併せて,難関であったこの地方の閑散路線を制覇できたのは大きな成果でした。
 その他では,今年3月に廃止される予定の三木鉄道にも,タクシーを飛ばしながらになってしまいましたが,ギリギリで乗ることができました。
 それぞれの細かい話については,また今度,気の向くままに綴っていきたいと思います。

(第15号)

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