ばあちゃん、逝く
| 固定リンク
2005年3月31日を跨ぐ1週間、私は、出生地である奥能登に張り込んでいました。同日をもって廃止される「のと鉄道能登線」(石川県・穴水~蛸島間61キロ)の最期を見届けるためです。それから10年が過ぎようとしています。いま見上げている空だけが当時と繋がっている唯一の現実です。
主に最終日に撮影した写真を寄せ集め、廃止直後に制作した写真コラージュ『のと鉄道能登線最期の24時間』(上)と各写真の説明書き(pdf)。
なお、リサイズ処理を除いて、当時の制作物及び説明書きには一切手を加えていません。若干穏やかならぬ文章表現も見受けられますが、本記事の意図をお酌みいただき、ご了承願えれば幸いです。
(第775号)
ちょうど24年前の1988年3月24日、JR能登線最後の日。穴水―蛸島間を6両編成仕立ての記念列車「サヨナラJR能登線」号が走った。500円で線内1日乗り放題のフリーきっぷを買って、祖母や従弟らとともに汽車の人となった。時代はまだ昭和だ。
JR穴水駅1番線ホームは、記念列車を見送る人で埋まっていた。鉄道能登線にとっては小学校の卒業式のごとし。この日を境に運行の担い手が「JR」から「のと鉄道」に変わるだけで、能登線は能登線で在り続ける。人々の表情に惜別の寂しさはあっても悲しみはない。
当時の国鉄に見切りをつけ、早期の廃線指定を陳情してまで、石川県が先頭に立って旗をふり鉄道として残したマイレール能登線。それからわずか17年後、同じ石川県が旗をすげ替えることによって、再びこのホームでこの光景が繰り広げられる未来をまだ誰も知らない。
▲動き始めた汽車の窓から……。
写真上下とも、JR七尾線・能登線の穴水駅にて1988年3月24日筆者撮影
▲この日使用した「ありがとうJR能登線」キーホルダー付き「さよなら能登線フリーきっぷ」
(第511号)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
のと鉄道能登線蛸島駅 2005年2月11日撮影(石川県珠洲市)
Canon IXY DIGITAL400/Photoshop Lightroom3.6にて現像
「蛸島(たこじま)は奥能登にある遠い遠い終着駅で、金沢から急行でも三時間一〇分、各駅停車だと五時間もかかる。」――宮脇俊三著『終着駅』(河出書房新社・2009年)より引用。
夕闇迫る蛸島駅のホームに立つ。金沢から160キロ、奥能登の果てる終着駅。駅員はおらず、汽車を待つ人もいない。雪が風にあおられ、しゃりしゃりと降り積もっていく。都会ではラッシュアワーだが、およそ文明的な音は聞こえてこない。
それでも決まった時刻になると、駅は灯り、汽車がくる。丘をぬけ、やってきた汽車のライトはどこかメルヘンチック。ほんに小さな汽車だけど、温もりたちをたくさん乗せてやってくるんだ。
(第502号)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
のと鉄道七尾線能登三井―穴水間をゆく、輪島発金沢行き急行「能登路4号」
2001年2月11日撮影 CanonEOS55,Tamron28-200mm,RDP100
のと鉄道七尾線穴水~輪島間の廃止が1カ月後に迫る2001年2月、私は、雪の能登路にありました。この鉄道の最期の冬景色を見届けるため、わずか2日ながら滞在。けれど向かう道中、吹雪く深夜の能登有料道路でブレーキに異常を感じ、JAFに救援要請。レッカー同乗にて金沢へと引き返した記憶は、いまでも鮮明です。
そんなことがあって結局、1日1往復の急行「能登路」撮影はワンチャンス。膝上まで雪に埋まる斜面で近づく汽車を待っていたら、鈍色に覆われていた空がひらき始めました。ほどなく満員の乗客を乗せた急行列車が、やわらかな陽射しにつつまれ、ゆっくりと、そして静かに通り過ぎていったのでした。
いまから10年前、穴水より先が切り捨てられた七尾線。それからわずか4年後、今度は穴水起点の能登線も見捨てられることになります。春が待ち遠しいこの時期になると、来て欲しくない春のあった過去を思い出さずにはいられません。
(第424号)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
のと鉄道能登線甲~鹿波間 “甲入江”付近を快走する普通列車
2004年10月11日撮影 CanonEOS55,Tamron28-200mm,RDP100
甲(かぶと)駅を出発した上り列車は、大きく左にカーブしながら、波静かな甲入江の岸辺に沿って高度を上げていく。このあたり穴水湾北湾沿岸は「七浦七入(ななうらなないり)」と呼ばれるリアス式海岸の絶景だが、甲~比良(びら)間の能登線は山へと分け入り、野並トンネルや線内最長の川尻トンネル(1259m)でトヤン高原を越える。
近づく汽車に向け左手を挙げると、運転士が軽い警笛を鳴らし応えてくれた。真っ正面の“特等席”でこちらに敬礼している少年の姿が印象的だった。
七浦七入夕景。能登線中居駅近く、並行する国道249号線の「中居湾ふれあいパーク」にて2004年11月撮影。中居~比良間の能登線車窓からも見られた七浦七入の風景でもある。
(第401号)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
不定期ながら続けている「能登線追憶」シリーズ(?)に、2度目の七尾線登場です。
いまから10年前、七尾線の穴水―輪島間は、それぞれ最後の季節を過ごしていました。その姿を記憶と記録に残したくて、その年は何度か能登に通いました。夏雲立つ炎天下のもと、穴水と輪島の間を朝から晩まで駆けずり回っていたことを、今年の夏の暑さが思い出させてくれます。
その能登に、今年はまた帰れそうもありません。ただ、こうして追憶にひたることで、気持ちだけでも帰れたような気になりました。それにしても、あれからもう10年……アルバムの1つも作れておらず、無為に時間を過ごしていることを実感します。
写真は上下とも、のと鉄道七尾線穴水―能登三井(みい)間にて2000年8月撮影。下の列車は、金沢発輪島行き急行「能登路1号」。CanonEOS55,Tamron28-200mm,RDP100
~追伸~
のと鉄道の無人駅(西岸駅)を活用し「駅舎マーケット」を始めた方がいます。
・西岸駅舎きまぐれ報 http://notogishi.exblog.jp/
先日ご紹介した秩父鉄道の記事でも触れましたが、こうした価値ある“資産”が積極的に利活用されていくのは素晴らしいことです。というか、鉄道会社自らが、もっともっとそういうことに目を向けるべきなのですが…(それを実践しているところは、どこも“元気”ですね)。
(第382号)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント