カテゴリー「能登」の34件の記事

復刊あさいち

 1970年代、私が幼少の頃の輪島朝市を描いた絵本『あさいち』が、40年以上の歳月を経て復刊されました。3年にわたり朝市に通っての取材のたまもので、私の耳に残る音風景、当時の能登のおばばたちの何気ない会話の様子がいきいきと紡がれています。

 元日の地震で失われてしまった輪島朝市の活気と気風を伝える絵本、こうてくだー
 ※ 本書の利益は能登半島地震の災害義援金として日本赤十字社に寄付されます
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『あさいち』 絵=大石可久也、語り=輪島・朝市の人びと 福音館書店 定価1100円
1980年1月1日かがくのとも発行、1984年4月2日第1刷、2024年3月10日第6刷

(第1131号)

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緊急出版、能登半島地震の特別報道写真集

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 元日の能登半島地震から2か月になるのを前に、地元2紙(北國新聞・北陸中日新聞)がそれぞれ『特別報道写真集』を緊急出版しました。すぐ買い求めました。

 発災後、まだ一度も能登を訪れることができていません。緊急の用があるわけではないし、行けば救援や復旧の妨げになってしまうでしょう。何より未だ行方知れずの方がおいでるし、1万を超える人が避難を強いられており、水道の復旧はおろか仮設住宅への入居も遅々として進んでいません。

 私は能登出身と言えど、たまたま穴水で生まれただけで、すぐに能登を離れた、当地で言うところの「旅人」「旅のもん」と同じような者です。
 そうは言っても、能登で生まれ育った両親のもと、子供の頃より能登との関わりは深く、私にとって第一の故郷は能登なのです。だから、ただの傍観と変わりはなくても、地元の新聞には毎日必ず目を通したいし、他人様の手を煩わせず手に入れられるものは手に入れ、少しでも能登のいまの様子に接していたいです。
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 さて、私は『北國』は好きではありませんが、どちらか1冊買うなら今回は北國でしょう。値段が中日の倍に近いものの、情報量が多い(ページ数もほぼ倍)です。

(第1130号)

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急行能登路11号

 ―― ご乗車ありがとうございます。急行能登路11号、珠洲、輪島、蛸島行きです。列車8両で運転しております。先頭が8号車です。穴水から先、前寄り4両が能登線に入る急行珠洲行き、中程2両が急行輪島行きです。後ろ2両は穴水から能登線の各駅に止まる普通列車蛸島行きです。お乗り間違いございませんようご注意下さい ――
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 能登半島を南北に縦断し、県都金沢と奥能登の珠洲・輪島を結んでいたのが急行「能登路」です。金沢~珠洲156.5キロを約3時間。その中でも11号(のち7号)はいわゆる“3階建”の列車で、穴水で3つに切り離されていました。車内放送は頭書のようだったとぼんやり思います。里山海道などない時代、そんなのが1日9往復以上も駆け回る能登の交通の要でしたが、その姿はとうになく、生まれ故郷の穴水から先にはレールすらありません。
 急行能登路には、ローカル線を走る列車には珍しく、ヘッドマークが付けられていました。意匠は奥能登の象徴とも云われる珠洲の見附島(別名軍艦島)です。元日の震災で大きく崩れてしまって、かつての姿はもうありません。左横にあった小島も何年か前に島ごと消え失せています。

 今回の地震ではのと鉄道の残存区間も大きく損傷。だけど存廃論議など起こることなくすぐに復旧が進められ、七尾から能登中島までが2月15日運行再開されました。4月には穴水にも列車の往来が戻るそうです。こちらは震災前の姿を取り戻します。足元を照らす希望の光の1つになることはまちがいありません。

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春よ来い、汽車よ来い、早~く来い!
のと鉄道 能登鹿島駅/石川県穴水町 撮影2006年

(第1128号)

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年賀状2024

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ふるさと能登を襲っている大地震の惨状に言葉が出てきません。
丸2日が過ぎても被害の全容は窺い知れません。

例年、年賀状の絵面とともに新年の祝詞を披いているところ、そうした文章を紡げる状況・心境にありません。よって本年は絵面の紹介のみとします。

2024年1月4日

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追伸 石川県の地元紙は北陸中日新聞と北国新聞です。2紙とも紙面を臨時で無料公開してくれていて、ありがたいです。知りたい情報のほとんどをこの2紙から得ています。
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北陸中日新聞 https://www.chunichi.co.jp/article/831384?ref=oshirase
北国新聞 https://viewer.hokkoku.co.jp/calamNAVi/NAViih#sec_page_paper_detail

(第1127号)

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ばあちゃん、逝く

 大好きだったばあちゃんが逝ってしまいました。93歳でした。
 ぼくにとって、大きな、まんで大きなお母さんでおいでました。

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石川県鳳珠郡穴水町諸橋地区の海岸にて 撮影2020年1月26日

(第1057号)

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北陸新幹線初乗車

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 3月で金沢開業5周年を迎える北陸新幹線に先週末、初めて乗りました。よんどころなき事情で約11年ぶりに奥能登の穴水まで急ぎ帰らねばならず、日帰りの予定で家を出ました。

 車窓の山々を名指している間もなく新幹線は大宮~金沢間を約2時間で走ってしまいます。始終発の「かがやき」を使えば穴水に7時間も居られるのです。この高速鉄道のおかげさまにより私にとって貴重で尊く掛け替えのない時間が得られたことに深く感謝します。

【写真】 北陸新幹線「かがやき」号 W7/E7系 2020年1月26日 金沢駅にて

(第1055号)

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10年前、奥能登にて

 2005年3月31日を跨ぐ1週間、私は、出生地である奥能登に張り込んでいました。同日をもって廃止される「のと鉄道能登線」(石川県・穴水~蛸島間61キロ)の最期を見届けるためです。それから10年が過ぎようとしています。いま見上げている空だけが当時と繋がっている唯一の現実です。

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 主に最終日に撮影した写真を寄せ集め、廃止直後に制作した写真コラージュ『のと鉄道能登線最期の24時間』(上)と各写真の説明書き(pdf)。 

 なお、リサイズ処理を除いて、当時の制作物及び説明書きには一切手を加えていません。若干穏やかならぬ文章表現も見受けられますが、本記事の意図をお酌みいただき、ご了承願えれば幸いです。

(第775号)

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ふるさとが近きになりて思ふこと

 北陸新幹線の長野金沢間が開業しました。大宮から約2時間で金沢まで行けるようになり、かつて室生犀星が「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と詠んだ北陸と首都圏がぐっと近くなった、と新聞には書かれていました。しかし、それは光の部分であって、影の部分に目を向けるとどうでしょう――。

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 出身地である石川県鳳珠郡能登町。その役場所在地である宇出津までのルートを振り返ってみました。北陸新幹線の計画が決まった私がまだ子どもの頃は、国鉄1社「川越から宇出津ゆき」の1枚の切符で済み、東京から鈍行を乗り継いでも1日で行けました。

続きを読む "ふるさとが近きになりて思ふこと"

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能登線追憶(18)

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 ちょうど24年前の1988年3月24日、JR能登線最後の日。穴水―蛸島間を6両編成仕立ての記念列車「サヨナラJR能登線」号が走った。500円で線内1日乗り放題のフリーきっぷを買って、祖母や従弟らとともに汽車の人となった。時代はまだ昭和だ。
 JR穴水駅1番線ホームは、記念列車を見送る人で埋まっていた。鉄道能登線にとっては小学校の卒業式のごとし。この日を境に運行の担い手が「JR」から「のと鉄道」に変わるだけで、能登線は能登線で在り続ける。人々の表情に惜別の寂しさはあっても悲しみはない。

 当時の国鉄に見切りをつけ、早期の廃線指定を陳情してまで、石川県が先頭に立って旗をふり鉄道として残したマイレール能登線。それからわずか17年後、同じ石川県が旗をすげ替えることによって、再びこのホームでこの光景が繰り広げられる未来をまだ誰も知らない。

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▲動き始めた汽車の窓から……。
 写真上下とも、JR七尾線・能登線の穴水駅にて1988年3月24日筆者撮影

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▲この日使用した「ありがとうJR能登線」キーホルダー付き「さよなら能登線フリーきっぷ」

(第511号)

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能登線追憶(17)

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のと鉄道能登線蛸島駅 2005年2月11日撮影(石川県珠洲市)
Canon IXY DIGITAL400/Photoshop Lightroom3.6にて現像

「蛸島(たこじま)は奥能登にある遠い遠い終着駅で、金沢から急行でも三時間一〇分、各駅停車だと五時間もかかる。」――宮脇俊三著『終着駅』(河出書房新社・2009年)より引用。

 夕闇迫る蛸島駅のホームに立つ。金沢から160キロ、奥能登の果てる終着駅。駅員はおらず、汽車を待つ人もいない。雪が風にあおられ、しゃりしゃりと降り積もっていく。都会ではラッシュアワーだが、およそ文明的な音は聞こえてこない。
 それでも決まった時刻になると、駅は灯り、汽車がくる。丘をぬけ、やってきた汽車のライトはどこかメルヘンチック。ほんに小さな汽車だけど、温もりたちをたくさん乗せてやってくるんだ。

(第502号)

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