カテゴリー「能登」の18件の記事

上野金沢間を直結する列車が消え去る日

 1年前の今日、「東京駅からブルートレインが消え去る日」と題して、東京と大分・熊本を結ぶ寝台特急「富士・はやぶさ」の廃止が決まったことを書きました(第145号)。今年もまた、同様の記事を書くことになってしまいました。
 JR各社から来年3月13日に実施されるダイヤ改正の内容が正式発表され、同日をもって、上野-金沢間を上越線経由で結ぶ寝台特急「北陸」と夜行急行「能登」の2列車の同時廃止が明らかとなりました。半世紀以上にもわたって走り続けてきた両列車の廃止で、首都圏と北陸を直行する列車がすべて消え去ります。

     どちらの列車も思い入れがあって・・・‥‥…

続きを読む "上野金沢間を直結する列車が消え去る日"

| | コメント (1) | トラックバック (0)

石川県知事谷本正憲のたわごと

 2009年11月1日付け朝日新聞東京本社版朝刊のオピニオン面“耕論”欄に、「地方空港の生きる道」特集が組まれていました。そのうちの1つに、谷本正憲石川県知事のインタビュー記事が掲載されていました。
 採算が取れず必要性にも乏しいといわれる地方空港の問題がクローズアップされる中で、能登空港はその筆頭格であるにもかかわらず、むしろ“優等生”として取り上げられることが多いようです。“利便性高め「地域の拠点」に”という見出しのついたこの記事も、また同様でした。
 しかし、私は、この見方にいつも疑問を感じますし、マスコミでの取り上げられ方にも不満を感じています。能登に空港を誘致したのが谷本知事なら、能登の鉄道を引き剥がしたのも谷本知事だからです。

 さて、今回の新聞記事から気になる部分を抜き出してみます。

続きを読む "石川県知事谷本正憲のたわごと"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

能登線追憶(10)

Noto_01731_0
のと鉄道能登線沖波−前波間 2004年10月10日撮影
CanonEOS55,Tamron28-200mm,RDP100

 海を入れた能登線の写真を撮りたくて場所を探していた。わずかに海が臨める稲刈りの終わった田圃で、柿の木が一本、夕陽に照らされているのを見つけた。葉が残っていてインパクトには欠けるが、10分ほどしてやってくる蛸島行き下り列車と合わせ写しとってみることにした。
 しかし、秋の陽はつるべ落とし。みるみるうちに林の木の影が線路際まで長く伸びてきた。撮影をあきらめかけたとき、待ちわびた汽車がたった一両、小刻みにレールを響かせ通り過ぎていった。ぎりぎりのタイミングで何とか間に合った。

 一カ月後、再び訪ねてみた。柿の木の、葉は落ちていたが、実も残っていなかった。能登線廃止まであと約半年。また来年、が存在しない出会うものすべてが一期一会の世界。これもまた、撮っておいてよかったと後から思う大切な一枚になった。

(第267号)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

能登線追憶(9)

P1090208
のと鉄道能登線宇出津駅跡 2009年9月20日撮影
現役当時の面影を留め、「半島の夢のせ走るマイレール」の看板もそのまま残る。

 前号(第255号)で書いたとおり、3年半ぶりに能登を訪ねました。
 能登線が廃止されてからすでに4年、ほんの一部を残しレールはすべて剥がされ、駅舎や路盤の破壊転用も進んでいます。穴水から順に各駅跡を回りましたが、どこも雑草に覆われ正視しかねる荒廃ぶりです。
 その積み重ねで辿り着いた宇出津(うしつ)駅跡。ここだけは、現役当時の状態をほぼ維持していました。駅前広場はいまもバスターミナルとして利用され、駅事務室跡には「街の駅 宇出津 ぽっぽ家」という観光案内所を兼ねた売店も営業していました。その店員さんに声をかけると、衝撃的な告知が。ここ宇出津駅跡も、来年までに駅舎もホームもすべて取り壊してしまうのだそうです。

 宇出津は能登線の中間にして最大の拠点駅。奥能登交通の結節点でもあり、それは鉄道がなくなった今も変わりありません。この駅だけはこのまま手をつけず、廃線時に駅構内の車庫に保存した車両を活かし、鉄道記念施設としてあるがままに残してほしかった……。保存車両はいま、なぜか藤波駅付近へと移され藪の中に放置されています。
 まもることができず無くしてしまった鉄道。その跡地などもはやどうでもよい、ということなのでしょうか。……宇出津より先に進む気を失いました。

Noto_02034_1
現役当時の宇出津駅全景 2004年11月21日撮影

(第256号)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

3年半ぶりの故郷能登

P1090135_1

 この連休、二男が生まれて以来初めて、家族全員で能登に帰りました。
 私一人でみても2006年4月以来3年半ぶり、墓参りにいたっては4年以上もサボり続け、ご先祖に不義理をしていました。墓前で手を合わせると、心の奥につっかえていたものが奥能登の秋の空高く上がっていきました。
 シルバーウィークの高速道路はどこも混雑する一方、能登半島は人も車も少なく空いていました。田んぼは稲刈りの最盛期で、刈り取りを待つ田は黄金色に輝き、刈田には8段掛け以上の稲架(はさ)もあり豊穣の田園風景が広がっていました。長男は、コンバインに乗せてもらい稲刈りの“手伝い”(という名目の体験)もしました。
 “こけ”(キノコをさす方言)の時季には少し早いものの、叔父が山からシバタケを1食分だけ探して採ってきてくれました。これにすりつぶした枝豆を併せた味噌汁は絶品! ほかにも100%自然素材で自家製のところてんに、宇出津(うしつ)港や蛸島(たこじま)港で揚がった地魚などをたっぷりといただきました。
 4日間の食事は、飽きもせず能登の海産物づくし。こうして能登の豊かな「食」を楽しむことで、わずかながら“能登分”を補給し川越に戻ってきました。

P1090304_1
今回の帰省では残念ながら夕焼けには出会えず。それでも円山のシルエットが美しい立戸ノ浜(たっとのはま)の黄昏情景を見に行った。“あいの風”が吹くとこの浜は凪ぐ/石川県鳳珠郡穴水町沖波地区にて

*関連記事 ふるさと能登(第100号)

(第255号)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

能登線追憶(8)

Noto_01231
のと鉄道能登線間島鉄橋(波並−藤波間) 2004年8月2日撮影
CanonEOS55,Tamron28-200mm,RDP100

 夏休みから連想されるのは、いまでも決まって能登の情景だ。
 群青の海、艶めく漆黒の屋根瓦、のどかに過ぎゆく汽車。そんな能登独特の風景を同時に見られる場所の一つが、能登線最大の鉄橋を臨むここ。運が良ければ、海の向こういっぱいに立山連峰がそびえる。
 寄り添うよう民家が密集する谷間に、能登瓦で葺かれた屋根が不規則に並ぶ。まるで瓦が自ら光放つよう見える午後のいっとき、汽車が鉄橋を渡る数秒を狙う。
 能登線が海に最も近づき、その魅力を一番に味わえる区間。矢波、波並、藤波、と波のつく名の駅がつづく。波並駅を出た下り列車は海沿いの段丘をかけ登り、ここ間島鉄橋でハイライトを迎える。車窓を眺める旅人とシャッターを切る僕の心が合わさる胸躍る場所だったが、いまはもう追憶でしかない。
 瓦の放つ光が強すぎ写真の汽車はブレてしまった。撮り直しはできない。でも、追憶にあるこの情景は、ブレることなく僕の心に焼き付いている。

(第241号)

| | コメント (6) | トラックバック (0)

能登線追憶(7)

img_1236
のと鉄道能登線中居駅にて 2005年3月30日撮影 

 ホームや待合室を照らす電灯によって、夕闇迫る田園に小さな駅の姿が浮かび上がる。このあと来る列車はわずか2本。上り最終19時47分発、下り最終20時08分発でこの駅の一日は終わる。
 40年以上もの間、こうして休まず灯りをともしつづけた駅。能登線廃止まであと1日、「明日」という日がめぐる最後の夜が静かに始まろうとしている。鉄道の廃線とは、村落から名実ともに灯りを奪い去る殺生。

(第232号)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

湯浅啓写真展“能登線憧景”に行く

 当ブログ第224号(2009年6月1日付け)にてご紹介した標記写真展に行ってまいりました。きょう6月16日、写真家の湯浅氏とのと鉄道の山際運転士がそろって上京され写真展にいらっしゃるというので、ご両名にお会いしたく出向いた次第です。
 お二人とも初対面にもかかわらず、とても気さくにお話し下さいました。写真にまつわる秘話なども聞かせていただき、私は、時間の経つのをすっかり忘れ話し込んでしまいました。そんな私にお付き合いいただいた湯浅氏やギャラリーの方にはご迷惑だったかもしれませんが、いつになく有意義な一日を過ごすことができました。

P1060921 P1060918 P1060914
▲無理を言って、お二人からサインを頂戴しました。

 今回展示されている写真の多くは、既刊の写真集「能登線日和」「能登線憧景」に掲載されているものです。一方で、写真集に収録されていないものも散見され、それがまた秀逸なものばかり。廃線後の写真の中で、廃線により橋を撤去したが故にそこを通れるようになったキリコ(*)の姿に胸の裂ける思いがしました。

 会場のギャラリーには喫茶店が併設されています。いや、喫茶店の中にギャラリーがある、という表現が適切かもしれません。落ち着く雰囲気の店内は、庭も含め隅々まで手入れが行き届き綺麗そのもの。湯浅氏の写真に惚れ込んだらしい店主は、いまの能登線の姿を見るため、じっさい能登にも行かれたそうです。
 1枚の写真が取り持つ縁で、遠く離れた東京にて、能登の情景が時空を超えて広がっているような気がします。出されるコーヒーの味も、これまた格別なものでした。

 湯浅啓写真展“能登線憧景”は7月4日まで、東京都墨田区の「和カフェ&ギャラリー みづき」にて開催中です。写真集はもちろん、展示されている写真を購入することもできます。

P1060903
▲ギャラリーの一角から(お店の方に撮影及びブログ公開の許可を得ています)

(*) キリコに関する公式情報は、「石川新情報書府」というホームページがあります。
  http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/kiriko/

*関連記事
よみがえる能登線憧景(第157号)
湯浅啓写真展“能登線憧景” あすから東京にて開催(第224号)

(第231号)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

湯浅啓写真展“能登線憧景” あすから東京にて開催

 あす2009年6月2日(火)から7月4日(土)までのおよそ1カ月間、東京都墨田区の「和カフェ&ギャラリー みづき」にて、石川県金沢市在住の写真家・湯浅啓(ゆあさあきら)氏の写真展“能登線憧景”が開催されます。
 同名の写真集については、当ブログ「よみがえる能登線憧景」(2009年1月18日付け第157号)にてすでにご紹介したとおり。その記事で、湯浅氏の写真の魅力を精一杯お伝えしたつもりですので、どうかいま一度、読み返していただきたいと存じます。
 この機会にぜひ、湯浅氏の写真でよみがえる能登線憧景の世界を感じ取って下さい。きっと、能登の魅力を、東京で楽しんでもらえることでしょう。私も、当然、足を運びます。

Yuasadm_2
和カフェ&ギャラリー みづき
東京都墨田区東向島3-27-9
TEL&FAX 03-3618-8529(火~土、10:30~17:00)

(第224号)

*追加関連記事 湯浅啓写真展“能登線憧景”に行く(第231号)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

能登線追憶(6)

 七尾湾に面する能登鹿島駅(石川県鳳珠郡穴水町)。1932(昭和7)年、七尾線の穴水延伸による駅開業を祝い、地元住民の手によって駅を囲うようソメイヨシノが植えられました。“能登さくら駅”の別名をもつ、時刻表の表紙を飾ったこともある有名な鉄道桜風景があります。不思議なことに、能登半島地震のあった2007年にはほとんど咲かなかったそうです。
 2001(平成13)年3月に七尾線穴水-輪島間が廃止されると聞いて、その1年前の4月、同区間の最後となる桜風景を写真に収めようと能登へ帰ることにしました。満開の時期に合わせるため、現地にいる親戚に開花具合を確かめて出発したのですが、着いてみたら桜は1分咲き。確かに咲いてはいるけど……絵心のない人の情報を鵜呑みにした私がアホでした。

Noto_w0718
のと鉄道七尾線能登鹿島駅 2000年4月17日撮影
CanonEOS55,Tamron28-200mm,RDP100

 この写真は、その失意の帰り道、能登鹿島駅に立ち寄ったとき撮ったものです。
 写っているのは、当時、のと鉄道の看板列車であった「のと恋路号」。結局、のと鉄道は、この車両を活かしきることなく2003年に休車(事実上の廃車)にしてしまいます。さらにその翌年には、能登線の廃止までも決定してしまうのです。当時の社長は、いまもそのイスに座り続けています。いつか、この桜の木を切ってしまうかもしれません。

 ちなみに、能登鹿島駅は能登線ではなく七尾線にあり、駅も桜も現役です。桜は、いまがちょうど見頃かもしれません。ここと同じように、旧能登線の各駅には桜がたくさん植えられていました。廃線となりレールの剥がされた駅跡で、人知れず桜は咲き誇っているに違いありません。

(第201号)

| | コメント (0) | トラックバック (1)