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埼玉県教育委員会の言動におもうこと

 東日本大震災の直前、学齢に達する障害児である二男が県立特別支援学校に行けず、就学猶予のうえ保育所で保育を受けることになったことがテレビや新聞で報道されました(→第433号参照)。以来、周囲が心配の声をかけて下さるなど、多くの人に見守って頂いていることを痛感し、感謝しています。今般、その問題について、本年度における1つの区切りが付きましたので、報告しておくことにします。

 結論からいうと、8月22日付けで、2012年度の「就学義務猶予願出書」を川越市教育委員会に提出しました。この願い出は、「就学猶予の上保育所で保育するのが妥当」とする主治医の診断に基づく対応で、学校教育法施行規則34条により、同法18条所定の事由(病弱、発育不完全その他やむを得ない事由)に該当する子どもの保護者に義務づけられています。
 以下、ここまでの事実経過から、現時点における『埼玉県教育委員会の言動におもうこと』を綴ってみたいと思います。(※以下、2,600字あまりの長文です)

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1.埼玉県教育委員会との話し合いにて
 ――8月中旬に上記医師の診断が出るまでの間、来年度の県立特別支援学校への就学に向けた話し合いと称し、6月と7月に各1回ずつ計2回、埼玉県教育委員会の担当者と接する機会が設けられました。現状、私たち両親が就労を維持しながら二男を特別支援学校に就学させるには、a)医療的ケア、b)放課後や夏休みなどの学童保育、c)学校への送迎、という3つの課題があります。この3課題について私は、すでに3月10日、川越市教育委員会を通じて、県教委に文書でお知らせ済みです。

 話し合いの2回目は、県教委からの連絡で、3課題への対応策について「保護者様の協力と県、川越市(教委・福祉)、学校が整備すること等について」の打合せをしたいということで、7月13日に会うことになりました。
 しかし、その席で、県教委担当者から、<県として、学校として、出来ることは何もない、すべて保護者の自己責任で対応せよ>という趣旨のことを言われました。事前に伝えられた打合せの趣旨に反する、突然の一方的な通告です。
 送迎問題での通告の一例を挙げると、<医療的ケアを要する児童はスクールバスには乗せない、だから毎日、保護者の責任で9時10分の始業時刻に学校まで送り届けてほしい、8時50分とか9時に到着されても早すぎて困るから、朝はあくまで9時10分に…>といった趣旨の耳を疑う内容でした。

2.県教委が私に協力を求める具体的内容とは (※続編あり→第500号参照)
 ――なので、県教委担当者から口頭でなされた“県教委としてのお願い”について、県教委に対し、文書での明確化を求めました。
 すると、送迎問題に関しては、まず、「通学方法について、福祉サービスや保護者送迎等も含めて検討をお願いしたい」のが“私のお願い”だとする、担当者個人の認印が押された手紙が送られてきました。
 これだと責任の所在が不明確なので、あくまで県教委としての協力要請事項を示すよう引き続き求めたら、つぎに、「県として、学校として、川越市として出来ること、他機関や保護者等の協力をお願いすることを整理していかなければなりません」ので、「話し合いを継続して進めさせていただきたい、また個別の課題の解決に向けて一緒に考えましょう」ということが県教委として私に「協力を求めることの具体的な内容」だとする、県教育局特別支援教育課長名の公印が押された文書が送付されるに至りました。
 これらを要約してみると、
  ア.口頭 <保護者の自己責任で福祉サービスや保護者送迎で対応せよ
  イ.公印なし手紙 <福祉サービスや保護者送迎も含めて検討をお願いしたい>
  ウ.公印あり文書 <すべては白紙なので解決に向け一緒に考えていきたい
 という具合に、客観性と公式性が高まるに連れトーンダウンしているのがわかると思います。

 最後の“公印あり文書”には、二男の「状態について共通の認識に立ち、どのような手立てが考えられるか、またどのように対応していけるかを一緒に考えていただく必要があります」と、まるで私が考えたり話し合いを拒んでいるかのようにも読める記載もあります。さらに、「県の責任ですべての課題解消を約束する……ことは難しいと考えております」とも明記、しっかりクギを刺すことも忘れていません。ただし、「難しいと考え」た経緯や理由については、何も書かれていませんでした。
 “公印あり文書”1つ取っても、1つの文書の中に、同じ問題について、「一緒に考えましょう」という呼びかけと、「難しい」という突き放しが同居しています。こうした文書や上記ア→イ→ウのような対応は、信義誠実の原則にもとるといえましょう。

3.県教委の言う「福祉サービス」とは
 ――ところで、県教委の言う「福祉サービス」とは何かについて、7月29日と8月3日、川越市の障害者福祉課に出向き、“公印なし手紙”を示しながら尋ねてみました。
 結論としては、3課題に「直接対応する福祉サービスは無いそうです。<障害者自立支援法に基づく「移動支援」は月30時間、「生活サポート」は年150時間の利用制限があって、これを超える部分について、「日中一時支援」「行動援護」「短期入所」などを組み合わせても対応は困難を極め、特例として認めたうえで個別の対応ができるかどうかは検討を要する事項でもある>ということでした。これまで「県教委から市には何の連絡や相談もない」そうで、そして、何よりも、<川越市及びその周辺で、これらサービスを提供している事業所そのものの有無が不明>とのことでもありました。要するに、容易に済む話ではないということです。

4.むすび
 ――私は、3課題については、憲法及び法律並びに国際条約に照らし、「県の責任ですべての課題解消」が県の責務だと考えます。
 例えば、特別支援学校の設置にあたり県が必要な措置を講じず、就学させるうえで保護者が就労断念を余儀なくされるような課題のある現状は、8月5日施行の改正障害者基本法が定義する「社会的障壁」であって、県は、その除去の実施について「必要かつ合理的な配慮」をしなければなりません(同法4条2項)。障害者らを就学させるに必要な特別支援学校の設置は県の義務であり、学校施設の整備その他の環境の整備の促進は国及び県に義務のあることであって、私が「一緒に考え」て解決できる事項でもありません(学校教育法80条、障害者基本法16条4項)。

 県教委が自らに課せられた責務を果たそうとせず、のちに県教委として文書化できないような個人的意見が打合せの出席者から通告される事態が起こってしまう状況に、課題解消は「難しい」との結論ありき文書まで。これらの各事実から、もしかすると県教委は、本音のところ、一緒に考えたり、話し合いを継続して進めていく環境など作りたくないと考えているのではないか、と受け止めてしまうのは私だけでしょうか。
 教育委員会が独立した行政機関といえども、「法の支配」からも独立しているわけではありません。すべての学校に「法の支配」は及んでいます。埼玉県教育委員会には、一行政機関として、まずは、法律で定められた自らの義務履行に取り組む(又は、取り組んだ)姿勢をお示しいただきたいと思います。そうした正常な環境のもとで、再来年度(2013年度)以降の就学に向けた話し合いができる日が来るのを待ち望んでいます。

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【※補注】 本記事で使用した符号についての説明など
「  」は、法律の文言や定義、他文書などからの引用であり、極めて客観的な内容です。
< >は、私が受け止めた内容であって、必ずしも発言どおりに引用したものではありません。
“  ”は、分かり易くするよう強調した部分であって、特段の意味はありません。
なお、本文に出てくる月日は、すべて2011(平成23)年です。

(第467号)

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2011/12/1追記

 12月1日、埼玉県教育委員会から1通の書簡が届きましたので報告します。
 相も変わらず、「学校の医療的ケアとして栄養チューブの再挿入は実施すべきではない」「チューブが抜けた場合……保護者に来校してもらい再挿入を行っていただく」「ご理解をいただきたい」などと書かれていました。
 そのほかの課題を含め、結局のところ、埼玉県教育委員会は、何もしないし、何も変えないようです。本記事にて公表した7月13日の<県として、学校として、出来ることは何もない、すべて保護者の自己責任で対応せよ>の通告どおりとなりました。

 なお、この書簡は、この半年間に県教委が私に送付した文書(本記事で引用した文書を含む)をすべて整理した上で、追って別記事にてまとめて公表する予定です。

2012/1/6追記

 上記2011/12/1追記にて予告した記事を公表しましたので、併せてご参照下さい。
 埼玉県教育委員会が障害児の親に求める“ご協力”とは(第500号)

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コメント

 12月1日、本記事の末尾に重要情報を追記しました。ご参照ください。

投稿: 広田博志 | 2011年12月 1日 (木) 23時05分

私は、一年間、「障害児、者心理学特論」の勉強をして来ました。論文も検索して読みました。図書館で、本も読みました。保護者の願いは、解ります。母親は特に、心労が高い事も解りました。障害児、者の歴史は、差別の歴史と言えるでしょう。
では、どうすれば、子ども達にとって良いのかは、難しい問題だと思います。制度が出来たから、直ぐに解決できるのか、社会の障壁がクリアできるのか、です。
世界では、障害のある子どもと、ない子どもが、共に学ぶインクルージョンを目指しています。障害者の自立です。親が生きている間は、介助が出来ます。しかし、親が亡くなった後は、どうすれば良いのかという人生に関わってくる問題なのです。障害があっても、自立して生きていかなければなりません。
人の人生に関わる大きな問題だと、思います。学校教育の期間だけ保証されても、卒業後、どのように生きて行くのか、ご両親はお考えなのでしょうか。
地域社会の理解や協力も必要となって来ます。
生意気なコメントになり、失礼しました。

投稿: 乾 さちこ | 2014年2月20日 (木) 16時14分

 乾さちこ さん、はじめまして。コメントありがとうござます。
 本記事は、生の事実について、障害当事者の立場から考察を試みたものです。

 障害者(障害児童、難病患者を含む、以下同じ)の自立は、障害者の権利でこそあれ、義務ではあり得ません。障害者は「障害があっても、自立して生きていかなければな」らないのではなく、障害者が自立して生きていける社会を実現するために、すべての国民が、理解や協力をするよう努めなければならないのです(障害者基本法8条を参照してください)。
 障害者の中には、抱えている障害の克服が著しく困難又は不可能である方が多数存在しています。彼らには、家族の有無にかかわらず、支援(公助)が必要です。彼らはもちろん、その家族も、支援なくしては生きていけないのです。そして、誰もが、明日は我が身、かもしれません。そうした現実に思いを致せば、上記が普遍的な考え方であるとお分かりいただけると思います。

 さて、そう言う私も、自分自身が障害当事者側に置かれてみて、初めて障害当事者側の現実や労苦を知ったわけです。全くの不勉強でした。
 二男が生まれてまもなく10年、この間、障害者問題について少しずつ学んできましたが、まだまだ知らないことだらけです。乾さちこさんにも、よりいっそう勉強を深めていってもらって、お互い「全ての国民が、障害の有無によつて分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会」の実現に向けて寄与できたら良いですね。

投稿: 広田博志 | 2014年2月21日 (金) 09時45分

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