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三陸鉄道という絆

 明治三陸地震津波(1896年)で国内観測史上最高の津波遡上高38.2メートルを記録した岩手県大船渡市の三陸町綾里(りょうり)白浜。写真は、付近の高台を走る三陸鉄道(三鉄・さんてつ)南リアス線の綾里駅で2005年11月、筆者が撮影したものです。
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 38.2メートル――。
 ビルの1階が3メートルだとして12階以上。三陸沿岸に行くと、過去の津波到達点を示す標識を至る所で見かけます。堅牢な防潮堤の整備その他の津波対策によって、かつてのような津波災害は、もう日本では起きないだろうと思っていました。
 しかし、東日本大震災をもたらした3月11日の津波は、「此処より下に家を建てるな」の石碑がある同県宮古市の姉吉(→第435号参照)で38.9メートルに到達。今回の津波の威力、そして、津波の恐ろしさにあらためて戦慄を覚えます。
 綾里地区にも25メートル前後の高さまで津波が押し寄せたとみられるものの、国土地理院が公表している航空写真を見る限り、標高約30メートルにある綾里駅は無事であったようです。ただ、綾里を通る三鉄南リアス線(盛―釜石36.6km)は、いまだ全線が不通です。

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 今回の震災の被災者でもある三鉄。それでも、被害が軽微だった区間をいち早く復旧させています。地震のわずか5日後の3月16日に久慈―陸中野田間、20日に宮古―田老間、29日には田老―小本間の運転を再開。赤字運営なのに、3月中は運賃を無料にしたというから驚きです(週刊東洋経済4月16日号)。
 一方、これ以外の区間は、駅舎や線路が基礎ごと破壊されてしまったところもあり、復旧の見通しは立っていません。復旧工事には180億円が必要だと見積もられていて、三鉄はいま、存亡の危機に立たされています(4月14日付朝日新聞夕刊)。
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 ところで三鉄は、岩手県や沿線自治体主導の全国初の第三セクター鉄道で、廃線指定された旧国鉄の3路線を引き継ぎ、中止された工事区間を完成させたうえで1984年4月に開業しました。仙台から海沿いに八戸までの400キロを結ぶ“三陸縦貫鉄道構想”は地元の悲願であり、完成目前にして国が見捨てた鉄道を復活させ、“夢”を実現させたのでした。三鉄の望月社長曰く、「みんなほしくてほしくてたまらなかった鉄道だ」(前掲朝日新聞)。

 「鉄道が欲しい、鉄道さえあれば、という思いは、明治いらい日本中を席捲してきたけれど、三陸沿岸地方ではひときわ強かったようだ。どの町や村にも、悲願百年、八十年、六十年といった鉄道誘致運動の歴史があり、それに生涯を捧げた人たちがいる。」――宮脇俊三『線路のない時刻表』(1986年)〜建設と廃線の谷間で〜三陸縦貫線の章より引用。

 明治以来、幾度となく続いた津波災害からの復興の結晶でもある三鉄。どんなに時間がかかろうとも、三鉄の全面復旧なしの復興などあり得ないと私は考えます。現在の枠組みでは復旧費の国庫負担は4分の1まで。さらなる国の支援が不可欠であることは言うまでもありません。

※三陸鉄道については、本文引用の宮脇俊三『線路のない時刻表』において、開業の前後や経緯が詳細に書かれています。Santetsukippu1読めばきっと、つらなる文字の隙間から「悲願」が滲み出てくるのを感じるはずです。これを読むと、この鉄道こそは何としても復活させなければ、と思わずにはいられません。

(第438号)

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