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2011年3月の4件の記事

命綱となったローカルバス

 「陸中海岸の宮古以南は典型的なリアス式海岸で、大小無数の半島と溺れ谷の湾とが交互に並んでいる。そのうち、いちばん大きい半島が宮古に近い重茂(おもえ)半島で、ずんぐりした陸塊を太平洋に向って突き出している。」――宮脇俊三『ローカルバスの終点へ』(1989年)より引用。

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 前号に引き続いて、宮脇俊三作品から、3・11の被災地を辿ってみたいと思います。
 前掲書には、冒頭の引用で書き出される「川代(かわしろ)」の篇があります。そこでは、宮古駅前から津軽石を経て、重茂半島の集落である、白浜、重茂、姉吉(あねよし)、千鶏(ちけい)、石浜、そして川代に至る「岩手県北バス」運行の路線バスを取り上げています。

 この路線バス、前掲書の上梓から20年以上経った今日でも存続していることを知りました。3月23日付の河北新報で、「宮古駅前発川代行きの路線バス。千鶏から石浜にさしかかったところで地震に遭い、避難してきた住民を乗せて高台の定置網置き場へ避難し、津波の被害を免れた」と報じられたのです。

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被災した人々と共に生きる

 「気仙沼線沿線、とくに志津川町民による鉄道敷設の陳情は明治三〇年頃から始まっており、悲願八十年と言われる。なにしろ三陸地方は津浪が多く、とくに湾口がラッパ状に開いている志津川町では津浪のたびに交通が途絶えて食糧が不足し、鉄道への願いは一層切実だったという。」――宮脇俊三『時刻表2万キロ』(1978年)第14章気仙沼線開通の日より引用。
(※宮城県志津川町は2005年10月、歌津町と合併し、南三陸町となる)

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 この写真は、私が初めてJR気仙沼線(前谷地―気仙沼72.8km)に乗った2005年11月、志津川到着間近の下り列車内で撮影したものです。前掲書において、「陸前戸倉を発車すると、右手に志津川湾が現われ、線路は高い位置からリアス式海岸の景勝を見下ろすようになる。車内に喚声があがる。」と描写された風景の一端です。

 いま私たちは、同じ場所の景色を、違った形で毎日見つめています。かつて三陸沿岸を辿った旅の思い出にある情景が、3月11日を境に、どこも直視するに堪えない光景に変わってしまいました。被災された幾万もの人々にかける言葉など見当たりません。

 同じく宮脇俊三の『線路のない時刻表』(1986年)によれば、「この沿岸は……津波に襲われれば、直接の被害はもとより、交通が不便であるため、救援物資や食糧の搬入ができず、被害をさらに大きくしてきた」と書かれています。そうさせないために、自分ができること、しなければならないことは何か――。
 いまはただ、手の届かないところに在る皆さんの、気持ちを気持ちで抱きしめてあげることしかできません。皆さんが生きることは、私たちが生きること。どうか1つでも多くの命が明日に繋がり、そして未来へと続きますように。

(第434号)

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埼玉県立の特別支援学校に関する報道の整理

flair13/3/7追記 【続報】みたび、埼玉県立特別支援学校について報道(第585号)

 “障がいのある子もない子も共に育ち合ってゆくための一助になれば”――という思いから、埼玉県立の特別支援学校における私が問題と考えることの1つについて、二男の実例を公表することにしました(→第431号参照)。
 川越市が、行政機関や市民による情報提供の場として、市役所内に設けている「川越新聞記者会」に相談したところ、記者の皆さんにお話を聞いていただく機会を設けて下さることになりました。その結果、次のとおり、一部のメディアが記事として取り上げて下さいました。そこで、3月10日現在でわかっているものを整理しておくことにします。

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・県立特別支援学校 男児、入学断念
 両親、県要求の付き添いできず 県「改善へ向け対応」

 (2011年3月2日付け朝日新聞朝刊、埼玉西部版27面)

・特別支援校への進学断念
 県教育局のガイドライン「チューブの再挿入せず」

 (2011年3月2日付け東京新聞朝刊、埼玉中央版22面)

・脳性まひ児 川越市が就学猶予
 県支援学校入学できず 受け皿なく保育継続

 (2011年3月9日付け読売新聞朝刊、埼玉県西版32面) 
※以上、写真の右から順に列記

 このほか3月1日の夜、NHK総合テレビがニュースとして放送。また、共同通信社の47NEWSが「共働き夫妻が障害児の入学断念 常時付き添い求められ」との記事を配信しました。共同配信記事は、翌2日付け全国地方紙の多くに掲載された模様です(例えば、2日付け埼玉新聞19面など)。

          *          *          *

 これらの中で、埼玉県側の言い分がどう伝えられているかも整理しておくことにします。以下、各紙面等で報じられた県教育局特別支援教育課による話の部分を引用します。

・朝日 『学校で管の挿入処置をしないと決めているのは、臨床経験の少ない学校勤務の看護師では技術的に不安があるため。…(中略)…こうした処置ができる看護師の配置も含め、来年度から取り組むことになっている。改善に向けて、早急に対応したい』
・東京 『医師ら専門家の意見を聴いた結果、再挿入は危険度が高いため、緊急時以外は行わないことになっている。ガイドラインは、来年度の医療的ケア運営協議会で検討したい』
・読売 『課題として取り上げ、改善に向けて検討したい』
・共同 『リスクが高い』『特別支援学校の看護師の臨床実習時間を増やすなど、何ができるか検討していく』
・NHK 『対応にはまだまだ不十分なところがあると受け止めているので、義務教育として果たすべきことはしっかりやっていきたいと考えている』
(ニュースの中での、県教委・宇田川和久主幹のインタビュー映像における字幕文字)

 以上、報道に関する事実関係について整理しました。ご活用にあたっては、お近くの図書館などを通じて原典をご確認下さるようお願い申し上げます。なお、ご一報下されば、記事の写しをメールにてお送りいたします。

(第433号)

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卒園証書の重み

 3月5日、二男の通う保育所で「卒園式」がありました。
 就学猶予を認めてもらい来年度も保育所に通い続けることになった二男ですが、卒園児として式に参加。同じ年長組のお子さんたちとともに「卒園証書」を授与されました。

 日中、元気な子どもたちに囲まれているせいか、保育所に通うようになって二男は、とにかく笑顔が多くなりました。発声を含め表現方法が増え、表情はとても豊かになりました。保育所以外の病院や施設で取り組んでいる各種リハビリだけでは、情緒面でここまでの成長は見られなかったかもしれません。最近では、少しずつながら、口からの食事もできるようになってきました。

 子どもの発達においては、乳幼児の頃の状況がその後に大きく影響するのは障害児も同じ。そういった意味からも、二男が保育所で過ごすことができた意義は絶大です。
 二男受け入れに尽力してくださった市役所の職員、健やかな育成に当たられた保育所の保育士や看護師ほか職員のみなさんには深く感謝しています。また、いろいろご配慮頂いたうえ、温かく見守ってくださった保護者の方々にも助けられてきました。たくさんの人に支えられながら、ここまで歩んで来られたのだと思っています。大変お世話になりました。

 こうして関係する皆さま方すべてのおかげによって頂くことのできた、重みのある卒園証書。本当にありがたい気持ちでいっぱいです。

(第432号)

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