朝日新聞の文字がまた大きくなる憂鬱
けさ(2011年2月12日)の朝日新聞は、3月31日付夕刊からの文字拡大を伝えていました。08年の改変からわずか3年での再拡大に、<また!?>というのが率直な感想です。
・文字拡大を伝える記事。一般的な国語辞典の最新版と比べても、かなり大きく感じる。
朝日が1981年に組版を鉛活字からコンピュータに切り替えて以降、文字の拡大は4回目。活字時代と比べ面積は2倍以上になるのだとか。文字は大きい方が読みやすい―、確かにそうかもしれません。高齢化が進み、新聞の購買年齢層も上がっているので、新聞社には文字拡大の要望が絶えず届いているのでしょう。
しかし、ページを増やさず文字を大きくすれば、文字数を減らすしかありません。文字数を減らすということは、必然的に情報量を削ることになります。それでも「記事の書き方やレイアウトを工夫」して情報量を確保する、というのが新聞社の言い分です。とはいえ工夫だけでは、物理的にどうしても限界があります。するとどうなるでしょう――。
どんなに推敲を重ね文章を研ぎ澄ましても、削れない一線があります。結局のところ、新聞として世に送るべき記事が葬られたり、記事になっても伝えるべき情報が積み残されることになります。
朝日の文字拡大では01年にその傾向が現れ、08年に拍車がかかったと感じています。他紙との比較で朝日の“薄さ”を感じることも多くなりました。高齢者への配慮で文字を大きくしつつ、「詳細はアサヒ・コムに…」なんて書かれていることもあり、どうかしています。
新聞のそもそもの使命を考えたとき、内容が舌足らずでは話になりません。私が新聞を選ぶ際の基準は、事実をより多く、そして正確詳細に書いているかどうか。文字の大小では選びません。
今日の朝刊では、文字を大きくする動きが広がっている一例として、某銀行の窓口伝票類の拡大について紹介していましたが、唐突感は否めません。説明不足で論理が飛躍、比較対象としても根本的にまちがっています。朝日の販売部数減少と文字拡大は、けして無縁でないと私は思います。
・「朝日書体」の読みやすさに力点を置く紙面。新聞のいのちである記事は……。
(第429号)
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