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2011年2月の5件の記事

川越市統合保育35年のあゆみに続く新たな1ページ

 川越市保育課は2010年10月、『統合保育35年のあゆみ』という小冊子を発行しました。1975(昭和50)年以降の川越市における障害児保育の経過や実践報告などがまとめられており、親の願いや現場の熱意が伝わってくる資料集です。副題には、「共に学び 育ち合い 豊かな発達を」と記されています=写真=。
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 冊子のなかには、「受け入れ状況の変化」に関する記述があって、1)ダウン症児の受け入れ、2)肢体不自由児の受け入れ、そして、3)就労保障・重度障がい児の受け入れ、の3項目について事実経過が書かれています。この最後を締めくくる形で、じつは私の二男のことが「B児童」として触れられています。
 ここで詳細は省略しますが、まず、2000年のA児童に対する保育実施不可決定をめぐって川越市が敗訴した国家賠償請求訴訟の判決(※1)を一部引用。つぎに、2006年のB児童に対する保育実施不可決定で行政不服審査法に基づく異議申立てが出され、結果「その後」の到達点として次のように結んでいます――。
『これを受け、市では「重度障害児保育実施検討プロジェクト」をつくり検討をかさねた結果、…(中略)…医療的ケアを必要とする2歳児の子どもの受け入れを実施することとなった。』

 1975年4月、全国的にも実践例が少ないなか始まったとされる川越市の統合保育。冊子によれば、「その後、川越市の障がい児保育制度に共感する保護者が川越市に転入してくる等障がい児保育の受け入れ率が年々増加し」ていったのだそうです。
 35年の間に残念な歴史があろうとも、川越市では現在、二男のような障害(※2)をもつ児童も保育所で受け入れていることは事実なのです。必要に応じて看護師が配置され、保育所ですから、もちろん親の付き添いも不要です。このことは高く評価しておきたいと思います。

          *          *          *

 さて、前置きが大変長くなったわけですが、「35年のあゆみに続く新たな1ページ」の話はここからが本題です(このあと1400字ほど続きます)。

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日司政連幹部らを第二次刑事告発

 当ブログで2010年1月、日本司法書士政治連盟(日司政連)の幹部らを政治資金規正法違反(収支報告書虚偽記載及び不記載、無届政治団体による寄附支出等)の疑いで刑事告発したことをお知らせしました(→第298号参照)。この第一次告発については、同年1月7日付け日本経済新聞ほか数紙で報道されています。それからすでに1年以上経ちましたが、日司政連は、虚偽記載された収支報告書を未だ訂正していません。

 この件について第一次告発後も調査を続けた結果、日司政連傘下の地方組織である札幌司法書士政治連盟(札幌司政連)について、重大な規正法違反のあることが新たな証拠資料によって判明しました。
 札幌司政連は、1972年の結成から37年間、政治団体として法律で必要な設立届出をせず活動を続け、設立届出前である2008―09年の1年間に計238万円余りを違法に支出していました。驚くことに、前記違法支出を隠蔽するため札幌司政連は、2009年12月に組織年月日を偽った設立届出をしたのち、09年分収支報告書にも虚偽記載をしていたのです。
 第一次告発を契機に事態が改善するどころか、むしろ悪化しているといえます。自ら法律家を名乗る者らの行動としては、極めて悪質だといわざるを得ません。

 そこで今般、私及び渡邉昭孝司法書士は、新たに札幌司政連及びその幹部らを、また、再び日司政連の幹部らを、それぞれ規正法違反の疑いで刑事告発する“第二次告発”へと踏み切りました。以下に、東京地方検察庁特別捜査部宛て提出した告発状を紹介しておきます(被告発人らの氏名など一部を省略しています)。

 flair 2011年2月15日付け告発状 (pdf:25.8K) ※3/7に受理の連絡あり

【参考資料】
1.札幌司法書士政治連盟平成21年度定期大会資料及び附属資料 (pdf:843.8K)
2.札幌司法書士政治連盟に関する政治団体の設立届出書・綱領等(平成22年9月24日道選第562号にて北海道選管により開示された公文書の写し) (pdf:440.6K)
3.札幌司法書士政治連盟平成21年分収支報告書 (pdf:276.8K)

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▲第二次告発状とともに、第一次告発についての上申書を提出。日司政連傘下の無届け地方組織が、「組織年月日」を偽って政治団体設立届した事実その他について資料提出した。

          *          *          *

 なお、2009年当時の札幌司政連の副会長は、日本司法書士会連合会の専務理事である里村美喜夫氏でした。一連の疑惑への関与如何によっては、里村氏の進退問題が浮上するのは避けられないというべきでしょう。

【関連記事】
日司政連は虚偽記載の収支報告書をいつになったら訂正するのか?(第399号)
09年分収支報告書にみる日司政連の言行不一致(第414号)
*その他の関連記事は、カテゴリ「司法書士政治連盟問題」をクリックしてご覧下さい。

(第430号)

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朝日新聞の文字がまた大きくなる憂鬱

 けさ(2011年2月12日)の朝日新聞は、3月31日付夕刊からの文字拡大を伝えていました。08年の改変からわずか3年での再拡大に、<また!?>というのが率直な感想です。

Img_6814 ・文字拡大を伝える記事。一般的な国語辞典の最新版と比べても、かなり大きく感じる。

 朝日が1981年に組版を鉛活字からコンピュータに切り替えて以降、文字の拡大は4回目。活字時代と比べ面積は2倍以上になるのだとか。文字は大きい方が読みやすい―、確かにそうかもしれません。高齢化が進み、新聞の購買年齢層も上がっているので、新聞社には文字拡大の要望が絶えず届いているのでしょう。
 しかし、ページを増やさず文字を大きくすれば、文字数を減らすしかありません。文字数を減らすということは、必然的に情報量を削ることになります。それでも「記事の書き方やレイアウトを工夫」して情報量を確保する、というのが新聞社の言い分です。とはいえ工夫だけでは、物理的にどうしても限界があります。するとどうなるでしょう――。

 どんなに推敲を重ね文章を研ぎ澄ましても、削れない一線があります。結局のところ、新聞として世に送るべき記事が葬られたり、記事になっても伝えるべき情報が積み残されることになります。
 朝日の文字拡大では01年にその傾向が現れ、08年に拍車がかかったと感じています。他紙との比較で朝日の“薄さ”を感じることも多くなりました。高齢者への配慮で文字を大きくしつつ、「詳細はアサヒ・コムに…」なんて書かれていることもあり、どうかしています。

 新聞のそもそもの使命を考えたとき、内容が舌足らずでは話になりません。私が新聞を選ぶ際の基準は、事実をより多く、そして正確詳細に書いているかどうか。文字の大小では選びません。
 今日の朝刊では、文字を大きくする動きが広がっている一例として、某銀行の窓口伝票類の拡大について紹介していましたが、唐突感は否めません。説明不足で論理が飛躍、比較対象としても根本的にまちがっています。朝日の販売部数減少と文字拡大は、けして無縁でないと私は思います。

Img_6811・「朝日書体」の読みやすさに力点を置く紙面。新聞のいのちである記事は……。

(第429号)

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七福神

 定番のビールで晩酌中、その缶を指差しながら、息子が近づいてきました。

Img_3701_2子:ねえねえ、とうちゃん。えびす様って七福神でしょう??
父:おう、そうだ、七福神知ってるのか?
子:うん、知ってる。
父:じゃあ、恵比須様以外の6人の神様はなんて言うんだ?
子:えっとぉ、キリンでしょ~、アサヒでしょ~、それから~
父:……

おっさんかっthunder

子:えぇ、ちがうの~? じゃあ、モルツ!

 とても小学生とは思えぬ言動に、親の顔が見てみたいと思いました。父親の姿は見かけませんでしたが、母親がいて、よく似た顔をしていました。

        ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 いちおうオサライしておきますと、七福神とは、1)恵比須・2)大黒天・3)毘沙門天・4)弁財天・5)布袋・6)福祿寿・7)寿老人をいいます。辞書によると、「寿老人は福祿寿と同体異名としてこれを除き、吉祥天を加えることもある」と書かれていました(精選版日本国語大辞典)。

 ちなみに、わが町には「小江戸川越七福神」というものがありまして、上記の順序で、1)成田山・2)喜多院・3)妙善寺・4)妙昌寺・5)見立寺・6)蓮馨寺・7)天然寺、にてお祀りされています。詳しくは、市の観光ガイドをご参照ください。

(第428号)

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岩茸石山に岩茸石ありやなしや

 先月、棒ノ嶺(棒ノ折山)と岩茸石山に登りました。ふと疑問に思ったのは、「岩茸石(いわたけいし)」と呼ばれる巨岩(写真下)が棒ノ嶺の山腹にあって、岩茸石山には見当たらないこと。岩茸石山に岩茸石はないのでしょうか?

P1150371
・ゴンジリ峠側から見た棒ノ嶺登山道にある「岩茸石」

 岩茸石と岩茸石山との間は、直線でも約3.5km。途中には2つの峠(権次入峠・名坂峠)と2つの山(黒山・雨沢山)もあって、都県境を挟んで2時間半もの道のりです。岩茸石山の山名と棒ノ嶺にある岩茸石とは、果たして関係ありやなしや――。まあ、図書館で調べるほどのことでもないので、疑問符のままとしておきます。どなたかご存じでしたら、ご教示くださいませ。

Iwatakeishi_map・山と渓谷社『東京周辺の山(改訂新版)』2010年8月初版の「川井駅から棒ノ折山」の項に掲載の地図(p25)より一部を引用。黄色の丸印は筆者による付記。

 棒ノ嶺と岩茸石山を別々の日に歩きましたが、青梅線川井駅を起終点に、両山をつなぐ尾根道の縦走も楽しそうです。コース途上の『奥茶屋』について、「茶店のワサビ醤油で食べるさしみこんにゃくは絶品で、機会があれば賞味したい」と前掲書に書かれています。う~ん、気になって仕方ありません。

【関連記事】
高水三山をあるく(第426号)
ひだまりの棒ノ嶺にて(第422号)

(第427号)

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