自戒のCoffee Break
埼玉司法書士会が年1回発行している会報。司法書士の活動報告や司法書士会の事業紹介などのカタい記事の一方で、数名の会員がプライベートについて語るユルめの「Coffee Break」欄があります。
けして「ゆるキャラ」でないこの私に、あろうことか、ゆるい方の執筆話が回ってきました。テーマは「趣味」。昨年すでに脱稿済みで忘れかけていたところ、このほど掲載号(第69号)が送られてきました。
届いた冊子を開き自分の記事を読み返してみると、Coffeeが凍り付くような、オレ様に気安く声をかけるなオーラ丸出しの“JR全線完乗決意宣言”。もっと緩く書いても良かったかなあ、例えば、列車の乗り遅れ乗り違い顛末や、鉄道マニアの珍妙な行動分析とか…。楽しい光景が浮かんでくる他の記事と見比べ、ちょっと反省しています。
“宣言文”の全文は、興味のある方のみ、以下の「続きを読む」をクリックしてご覧下さい。
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「てつのみちを進むのみ
そこに何があるかは問題ではない ~私の趣味について~」
埼玉司法書士会の会報編集担当者から、会報に掲載する原稿の執筆依頼が9月にあった。テーマは何であろうか。私は、いま、日本司法書士政治連盟の政治資金収支報告書の虚偽記載問題を追及しているのでその件(2009年12月12日付け日本経済新聞東京本社版朝刊ほかで報道済み)か、そうでないなら、常々語っている司法書士会執行部の会員意識とのズレについてか。しかし、求められたのは「趣味」についてであった。執筆依頼を受けたらどんなものでも断らず書かなければいけない。著述業では常識らしい。私も、習って引き受けることにした。それにしても、「ちょじゅつぎょう」とは言いにくい。「しほうしょし」といい勝負である。
さて、そのような次第で「趣味」について書くことになった。試しに担当者に聞いてみた。私の趣味とは?、と。返ってきた答えは、「鉄道とか…」。ほかは?と続けても、「いや鉄道で…」。自分の趣味を人に尋ねること自体おかしいのだが、どうやら人は、私の趣味を「鉄道」だと思っているらしい。
日常の移動手段に過ぎないはずの鉄道が趣味の対象になると、必ずや末尾に「マニア」がつく。マニアという言葉の背後には差別がある。鉄道とマニアが融合し「鉄道マニア」になると、その語感はいっそう強みを増す。「鉄道」の「マニア」は、社会において犯罪者のごとき扱いを長らく受けてきた。理不尽な思いもイヤというほど味わった。鉄道が好き、と言えば、それだけで未熟者や変質者と見なされかねない。私は、趣味は何かと問われれば、とくに女性に対しては「旅行」と答えるようになった。趣味は旅行と答える人は、隠れ鉄道マニアの可能性が非常に高い。
近年、マニアは「おたく(ヲタク)」と呼び名が変わり、『電車男』のブレイクとともに「女子鉄」「鉄子」なる層が現れた。ローカル線の終着駅などで時刻表に一眼レフカメラを抱え、マニアたちと同じものを被写体にしている若き女性を見かけるようにもなった。青春18きっぷを利用しているのは若者ではなく中高年である。2度目の青春を謳歌している彼らはいきいきとしている。鉄道趣味は、ここに来て急速に裾野を広げ市民権を獲得しつつある。これからは胸を張って「趣味は鉄道旅行」と答えられる時代が来るのかもしれない。
そんな鉄道趣味だが、じつは細かな区分がある。それはまるで医師のように高度に専門化している。列車に乗ることが目的の「乗り鉄」、写真や映像を撮ることが目的の「撮り鉄」、走行音やアナウンス放送を録音する「録り鉄」、切符や部品などを集める「収集鉄」、Nゲージなどの模型を集めたり造ったりする「模型鉄」、などなど。兼業者はそう多くはない。いずれもその道のプロ顔負けの者が多数存在している。以上が前置きである。
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私は、「乗り鉄」派なので、以降はその話で進めていくことにする。乗り鉄は、鉄道趣味の中でも最大派閥である。答えは簡単、鉄道に乗るだけで気軽に満喫できるからだ。常に在野を心がけ反主流の私も、テツの世界では主流派なのだ。
乗り鉄のなかには、乗って満足するだけではなく「乗りつぶし」を目指している者が多い。乗りつぶしとは、全国津々浦々に延びる鉄道路線をすべて乗り尽くすというもの。数年前にNHKテレビで俳優の関口知宏が取り組んだことで話題になったことを覚えている人もいるかもしれない。
乗りつぶしのルールは各自が決めるもので“きまり”などない。一番多いのは、JR全線を乗り尽くすというものだ。かつてJRが日本国有鉄道(国鉄)だった時代、<いい旅チャレンジ20,000km>というキャンペーンがあった。当時の国鉄営業キロ2万km強・242線区あった全鉄道路線の完乗を目的とするこの企画は、1980年に始まり、1987年に国鉄が分割民営化された後もJR各社に引き継がれ、1990年まで続いた。私の乗りつぶしルールも概ねそれに準拠している。この当時国鉄線として営業していた路線に加え、国鉄線として計画建設され開業した路線が対象で、要するに現在のJR及び第三セクター鉄道の全線ということになる。
1970年代に国鉄全線完乗を果たし、のちに鉄道紀行作家として数々の名作を世に残した宮脇俊三という作家がいる。宮脇は、第2作『最長片道切符の旅』の書き出しに「自由は、あり過ぎると扱いに困る」と書いている。私の場合、学生時代のあり過ぎた自由を無駄に過ごしてしまったし、23歳で司法書士になる資格を得てからも、独身時代のあり過ぎた自由を司法書士制度のために費やしてしまった。
いまから10年前、20代最後の年、これまで走破した路線を地図に塗り込んでみた。空白の地域が一目瞭然となり、乗りつぶしは遅々として進んでいないことを実感した。30代も半ばを過ぎ、このままでは生涯かけても実現できないのではないか、という危機感が芽生えた。自分の親の面倒を見る前に子どもの介護も必要になってしまった。私は焦った。
以降、司法書士会の役員を固辞、任意団体である青年司法書士協議会も退会し、乗りつぶしに注力することにした。各地に点在する第三セクター鉄道や、三陸地方、中国地方などにある運転本数の少ないローカル線から優先的に着手。全国各地で開催される各種集会や研修会などの機会も利用しながら、2005年までに北海道の全線、2007年までには中国地方山間部の大半、2008年には四国全線の乗りつぶしを達成した。そしてついに、2008年3月9日、伊予市発伊予長浜回り宇和島行き普通列車「4733D」に乗車中の予讃本線伊予上灘→下灘間にて、私の乗りつぶし走破距離は2万kmを超えた。
ちなみに、国鉄の線路敷設総延長が2万kmに到達したのは可部線の布-加計間が開業した1954年3月30日のこと。2万kmに達した地点(坪野-田之尻間)にはその記念碑もある。しかし、同区間は2003年に廃止。いまや日本鉄道史上の記念すべき地に線路はなく、JR全線の営業キロも現在は2万kmに若干及ばない。
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話を私の乗りつぶしに戻す。2008年末の時点で全体の約93%、20625.4kmを走破、完乗まで残り1521.3kmになった。全線の約7%である。距離で見るとあと少しで達成できるように見えるが、ここからが大変なのだ。
楽に乗れるのは紀勢本線の350kmぐらいで、あとは距離も短くまだ全国に点在している。手間のかかる点においては、全体の7%ではないのである。上越新幹線の越後湯沢-ガーラ湯沢は冬だけの営業で、乗ったとしても1.9km(0.008%)。山陽本線の支線である兵庫-和田岬2.7km(0.012%)などは、休日には朝と夕に1本ずつしか列車がない。ほか未乗区間は赤字線がほとんどであるから、いつ廃線になってもおかしくはない。現に宮崎の高千穂線(延岡-高千穂50km)は、台風で甚大な被害を受け、復旧を断念しそのまま全線廃止。高千穂駅構内で運転再開を待つ車両にこの手で触れながらも乗ることは叶わず、高千穂峡にかかる東洋一の高さを誇る大鉄橋を渡る楽しみも幻と化した。
いまのペースだと、あと10年経っても完乗はおぼつかない。東京にも、千葉にも、神奈川にも乗っていない路線がたくさんある。私だっていつまでも若くはない。国鉄改革以来静まっていた、毎年のように地方のローカル線が消される廃止嵐も再び吹き荒れている。高千穂線と同じ後悔をもうしたくはない。鉄道の乗りつぶしは、いまや時間との勝負になりつつある。
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ここまで書いてきてハタと気付いた。このようなことをここまで長々と書けるのは、「マニア」そのものの姿ではないか。JR全線完乗を果たしたからといって、それがいったい何になるのか。そんな目的のために、休日を費やし、家族を犠牲にし、ときには仕事も放ってただ列車に乗るだけ。それに人生を賭ける。じつに無意味だ。
だが、人生はその無意味なところに、むしろ意味があるのではないか。意味や効率だけでは人生も社会もつまらないと思う。効率の悪いとされる夜行列車をなくし、食堂車を外し、ローカル線を切り捨てる。効率一辺倒のいまの鉄道はつまらないものになってしまった。いや待て、せっかくここまで熱弁をふるってきたのに、話がおかしな方向に行きそうだ。困ったことになった。だから、これでもう筆を置くことにする。
が、いかにも締まりがないので、2003年に亡くなった宮脇の処女作『時刻表2万キロ』の冒頭の一節を拝借したいと思う。
―― 「完結したら、ひとつ盛大な祝賀会をやりましょう」と、激励とも揶揄ともとれる言葉を頂戴することになる。こちらとしても、やり遂げねば格好がつかなくなってくる。私は、国鉄の運賃を高いとは思っていないが、たくさん乗れば費用がかさむ。グリーン車などに乗る必要はないが、寝台は上等なのに乗りたい。窮屈な三段式では頭がつかえて、お酒が飲みにくい。前かがみで無理にのもうとするとシーツの上にこぼれるし、のけぞってのむと襟元に流れ込む。ところが、A寝台を奮発して翌日60キロばかりの未乗線区を片付けても、国鉄全線の0.3パーセントにしかならない。金と時間のかかることなのである。そう気安く「まだか、まだか」と督促してもらいたくない。国鉄全線完乗はあなたが考えるほど簡単なことではないのである、あなたはよく大阪へ行かれるが尼崎港という国鉄の駅があることを知っているか、そこへの線には1日2本しか列車が走っていない、自分もまだ乗っていないが、などと説明や弁明をしていると、だんだん自己主張のごとくなってくる。問われもしないのに、つい余計なことを言うようになる。――
私が思う趣味とは、この余計なことを楽しむことである。つい言うようになってしまった余計なことの続きが気になる方は、ぜひ、私のブログ「鉄まんアトムのひとりごと」(http://hirotahiroshi.cocolog-nifty.com/)にお越し下され。
余談であるが、本稿執筆中にも乗りつぶしは進み、2009年11月末において、兵庫県より西には5線区6区間計197.2kmが残る(うち128.5kmが日豊本線という幹線が占める)のみとなり、九州完乗も間近に迫った。
(第336号)
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コメント
そうですか・・・・。
多分と思っていたけれどやはり「乗り鉄」だったのですね。私はカメラが好きになってからいろいろなものが撮りたくて、そのうち「オタク」と思っていた「撮り鉄」になってしまう日もくるのではないかと思うことがあります^^;
投稿: aiai | 2010年4月23日 (金) 23時54分
aiaiさん、コメントありがとう。
20年以上ものお付き合いなのに、気づくの、遅!(^o^)
たまには「撮り鉄」もするんですけど、乗るときほどのワクワク感は来ないです。それに機材もないし、何より必要とされる根性も忍耐もありません。ただ、風景写真の中では重要な要素の1つかも。単調な風景にテツを添えることで、写真がドラマチックなものに変身する“あの瞬間”が私は好きです。
写真については、まだフィルム一辺倒の時代に35ミリ一眼を使いまくっていました。当時から「撮り鉄」用途ではありませんでしたが。それにしても、カメラ代にフィルム代に現像代に、だいぶ散財したなあ…。いまは写真を楽しむには(・∀・)イイ!!時代です。
aiaiさんのブログには縦構図が多いですね。私は、縦構図が苦手で…(嫌いではない)。今度、ぜひ教えて下さい。
投稿: 鉄まんアトム | 2010年4月26日 (月) 10時04分
アトムさんらしい、いい原稿だと思いますよ~
でも、もっとゆるキャラで書いてくださるのなら
またお願いします(^^)
投稿: yuko | 2010年4月26日 (月) 11時46分
yukoさん、お久しゅうございます。
会報の無事発刊、お疲れ様でした。
腫れ物に触るようご対応なさっている様子が、見て取れました。本当にお疲れ様でした。仮に次回があったとしたら、今度はそんなに気を遣わないで下さいね(無理かー^^;)。
ご注文の品。「ゆるネタ」の在庫はありますけど、本文で書いたように「ゆるキャラ」でないため、素材を活かしきれていないという問題を抱えています。ゆるネタにはゆるネタの要件事実でもあればラクなんですけど。
投稿: 鉄まんアトム | 2010年4月26日 (月) 23時48分