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さらば故郷への夜汽車よ

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 上野と金沢を結ぶ夜行列車の「北陸」と「能登」。両列車の廃止が決まった昨年末から、言いようのない脱力感に支配されてきたが、これを振り払った。最終日前夜、大宮駅のホームに私は立っていた。
 23時25分に「北陸」が、23時59分には「能登」が、それぞれやってくる。その都度ホームに流れる「まもなく、8番線に、金沢行き……」という案内放送。大宮駅が、故郷(ふるさと)との結節点たる特別な駅であることを、改めて実感する。

 両列車の姿は国鉄時代そのもの。発着する30分程の間、辺りには、20年も30年も前の時代の情景がよみがえる。今日はなぜか、少年の頃の私もいる。彼と同行二人。幼い頃の感情や記憶が、すうっと現れては遠ざかっていく。故郷への憧れの列車、故郷を想う列車、故郷の匂いのする列車。確かめるよう、そして忘れぬよう、目に、耳に、心にと焼き付けた。

 列車は、すぐに行ってしまった。気がつくと、少年の頃の私もいない。どうやら汽車に乗り込んだようだ。彼を通じて汽車と私も同行二人。彼らが戻ってきたら、またいっしょに旅をしよう。
 ラストランを飾る――どこからか、風に乗り飛んできた手垢まみれの紙切れには、そう記されていた。

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12日の運転を最後に廃止される寝台特急「北陸」(写真上・LX3)と急行「能登」(写真下・S90)
JR大宮駅にて2010年3月11日撮影

*関連記事 上野金沢間を直結する列車が消え去る日(第290号)

(第315号)

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コメント

能登もついに消えてしまいましたか。
学生時代(=国鉄時代)、寝台特急は高嶺の花で、何時間も前から上野駅に並び、能登の座席客車で剣岳・立山方面へと向ったものです。(国鉄時代、写真の車両は「白山」でしたね。)明け方、「次は魚津」のアナウンスで目を覚ますと、薄明に立山連峰のシルエットが望めました。

投稿: 末吉 | 2010年3月13日 (土) 10時29分

広田さんご無沙汰しています。
就職試験の際も、採用が決まり能登へ向かう時も、結婚し妻と能登へ向かう時も、入退院の合間に免許の更新へ行くときも、そして復帰後の定期健診のときも、上京の折も幾度となく『能登・北陸』にお世話になりました。母の実家九州へも利用の多かったブルトレが大好きな私でしたが、いつの間にか『北陸』が一番回数に多い列車になっていました。好きだから、かもしれませんが、鉄道は思い出とともに…というムードの出やすい
装置だな、と改めて感じています。
再会した折にはまた夜行の話も是非いたしましょう。楽しみにしております。

投稿: やまぎわ | 2010年3月13日 (土) 10時50分

 末吉さん、やまぎわさん、お二人ともコメントありがとうございます。
 まとめ返信にて失礼します。

>末吉さん
 夜行列車は、岳人たちの列車でもありましたね。
 魚津あたりまで来ると、海の向こうには能登半島も見えるようになります。末吉さんは、能登に行かれたことはありますか? 能登半島から海越しに眺める立山連峰も、これまた格別ですよ(たまにしか見られませんけど)。

>やまぎわさん
 ようこそブログにお越し下さいました。こちらこそご無沙汰しております。
 飛行機に乗れない私は、長距離の移動を夜行列車に頼ってきました。北海道も、九州も、そして北陸も。とくに、靴を脱いで横になれる寝台列車での時間は、至福でした。様々な思い出が列車とともにあるから、その列車に思い出を重ねるのかもしれませんね。
 先だっての穴水駅では、少しの立ち話しかできませんでした。今度は、やまぎわさんとゆっくりお話しをする目的で能登に行きたいなあ、と思います。そのときは、よろしくお願いします。

投稿: 鉄まんアトム | 2010年3月14日 (日) 01時16分

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