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岩日北線の夢列車に乗る

 先日、「あこがれの錦帯橋を渡る」を掲載しました(第282号)。今回はこの続き、岩日北線(がんにちほくせん)の「きらら夢トンネル」と「とことこトレイン」の話をします。5月以来となる久しぶりの鉄道記事です。
 ところで、「岩日北線」とは何ぞや、については若干の講釈が必要です。その話に入る前には、錦帯橋と岩日北線という2つの“あこがれ”をつなぐ「錦川鉄道」について述べておかなければなりません。
 しかし、講釈は長くなるので後回し、まずは写真からご覧いただくことにしましょう。

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「きらら夢トンネル」こと、岩日北線広瀬トンネル内にて。上の写真の奥先、下の写真の手前が錦町側です。上はLX3、下はS90にて、それぞれ手持ちで撮影。
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トンネルの壁画は、赤、青、黄、緑、白、桃の6色の光る石を使って、山口県内の大学及び地元小学生、幼稚園児等が制作。これを見るだけでも十分に乗る価値があります。この写真では、その魅力を十分に伝えきれませんが…。

 この先いよいよ講釈に移ります。

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 錦川鉄道とは、山口県岩国からJR岩徳線で2つ目の川西を起点に、市町村合併で岩国市内P1100764となった錦町までの32.7kmを結ぶ第三セクター鉄道です。岩国と山口線日原(島根県)約74kmを結ぶ陰陽連絡鉄道として大正時代に計画され、1963(昭和38)年までに川西~錦町間が旧国鉄岩日線として開通しました。
 錦町以北は「岩日北線」として工事が進められ、1977(昭和52)年までに県境を越えた島根県六日市町まで約16kmの路盤がほぼ完成。しかし、国鉄改革の影響で新線建設予算は凍結、以降の工事は中断してしまいます。追いうちをかけるように、既設の区間さえも廃線指定を受けてしまいます。それでも地元のレールに対する意識は高く、岩日線は錦川鉄道と名を変えつつも辛うじて廃線を免れました。
 むろん、その後、岩日北線の工事が再開されることはなく、67億円以上を投じて建設された高架橋や全長4680mにも及ぶ六日市トンネルを含む鉄道施設はすべて放棄。列車が一度も走らない廃線跡だけが中国山地に残りました。
 岩日北線のような未完の予定線のことを「未成線」(みせいせん)と呼びます。未成線は全国各地に点在し、のちに鉄道として開通できたのはごくわずかです。鉄道開業をあきらめたところは、再び巨費を投じ完成した路盤を取り壊すなどして姿を消していきました。岩日北線もその運命、と思われていました。

 ところが2002(平成14)年、岩日北線は、ほかに例を見ない方法によって、一部区間ではあるものの“復活”を果たすことになります。
P1100844  それはなんと、遊園地にあるようなトロッコバスを岩日北線に走らせるというもの。錦町駅~雙津峡(そうづきょう)温泉駅約6kmの鉄道用路盤を「岩日北線記念公園」と銘打って、その公園の遊具として“列車”を走らせるという画期的なアイデア。P1100846「とことこトレイン」と名付けられ、両駅間を時速10キロほどのスピードで40分ほどかけ、とことこ走ります。鉄道でも自動車でもない遊覧車。私のような勘違いをする者向けに、「輸送機関ではありませんので、天候や当方の都合で、予告無く運行を取りやめる場合があります。」という断り書きまであるほどです。
 錦町駅から先、岩日北線最初の構造物が長さ1796mの広瀬トンネル。この中程には、地元の子どもたちなどの制作による蛍光石を使った光る壁画の描かれた区間が620mあり、うち200mは大学生の制作による360度の全面装飾です。こちらは「きらら夢トンネル」と名付けられ、鉄道用トンネルという本来の用途から、幻想的な光の世界を演出する観光施設へと変身を遂げています(冒頭の写真参照)。トンネルの中では“臨時停車”もあり、車両から降りての見物もできます。
 とことこトレインは現在2代目。2編成あり、「ガタくん」と「ゴトくん」という愛称まで付いています。初代のLPG車に代わり電気自動車で、トンネル内でも排気ガスの心配はご無用です。なお、タイヤ付き遊覧車の片道運行距離6km、また蛍光石を使用した光るトンネル壁画の連続距離620mは、いずれも日本一です。
 雙津峡温泉駅から徒歩数分、錦川の支流宇佐川を挟んだ対岸に温泉施設があります。元湯「憩の家」は100%源泉掛け流し。宿泊したのは隣接する「錦パレスホテル」ですが、錦町駅まで車で迎えに来てくれたホテルの方が無料で案内してくれました。ここの湯は放射能泉で、西日本有数の天然ラドン含有量を誇ります。
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 今年、錦川鉄道の乗客が、1987(昭和62)年の開業から22年間で延べ1000万人を突破。とことこトレインは、季節営業ながら年間3万人前後の利用があり、満員で乗れないこともあるほどの人気だそうです(鉄道利用者は予約可なので、私は電話で予約しました)。
P1100856 遊覧車といえども、動力車と客車に分かれ、鉄道として完成された高規格路盤を、決められたダイヤにしたがって走り、運行しているのは鉄道会社。だとすれば、「乗りテツ」として見過ごすわけにはいきません。いくら鉄道ではないといわれても、とことこトレインは岩日北線を走る列車なのだと私はみなすことにしました。現に雙津峡からの帰路は“輸送機関”として利用しましたし、車窓は鉄道そのものです。

 錦川の清流に寄り添うよう山峡に敷設された2つの“鉄道”。いつまでも走り続けるよう、みなさんもぜひ、錦川鉄道に乗ってその奥にある「夢列車」を体験してみて下さい。本当にレールが敷かれる日が来ることだってあるかもしれません。

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錦川鉄道は、錦川右岸に沿って線路が敷かれている。終点錦町の直前で一度だけ錦川本流を渡る。川の景色を眺めるなら、錦町ゆき列車の場合、進行向かって右側に座るのがおすすめだ。(錦川清流線柳瀬~錦町間にて)

*参考文献
「鉄道未成線を歩く<国鉄編>」、森口誠之著、JTB、2002年
「鉄道廃線跡を歩く」第4巻、宮脇俊三編著、JTB、1997年
「車窓はテレビより面白い」、宮脇俊三著、徳間書店、1989年
「時刻表2万キロ」、宮脇俊三著、河出書房新社、1978年

*関連記事 あこがれの錦帯橋を渡る(第282号)

(第289号)

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