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二男に5度目の誕生日

 昨年、このブログで、重度心身障害者である我が二男4歳の誕生祝いのことを書きました(第57号「命を繋いで4年間」参照)。それから1年、今年も同様の誕生祝いをして5歳の誕生日を迎えました。
 鼻からチューブを挿入しての経管栄養補給をはじめとして、去年書いた諸々の「不可能な状態」は依然として続いているものの、とくに最近、食べられる食事の種類や量が見違えるほど多くなってきました。そのせいか、身体もずいぶんと大きくなり、抱っこのズッシリ具合も半端なものではなくなりつつあります。
 まだまだではあります(※父=私は全然ダメです)が、本人の体調のリズムが読めるようになり、医師の指示のもと、それに合わせて薬でのコントロールなどもできるようになってきました。この1年間での入院はわずか2回。言葉で訴えることができない本人の体調や気持ちを、妻がうまく読み取り感じ取って対処してくれているおかげです。
 妻は、飼っている下半身マヒの猫ともよくお話しをしています。「ドクター・ドリトル」顔負けの光景が我が家にはあります。
 その姿を見て近ごろ感じるのは、意思の疎通は、言葉ではなく気持ちでするものなのだ、と。それを証拠に、言葉が通じる者同士なのに、世の中にはちっとも解り合えないことで溢れています。その多くは、解り合えないのではなく、解り合おうとしないからだと思うのです。何を思い何を望んでいるかを伝えるための言葉が、却ってそれを阻害してしまうこともある現実です。
 しかし、そうは言っても、言葉でしか伝えられないことがあるのもまた現実です。気持ちと言葉が一体を成すとき、言葉は強い力を持つのかもしれません。言葉の連鎖によって、離れている者や知らない者の間に共感という気持ちを生み出し、共感の広がりは世の中を変える力を持ちます。そんな言葉のチカラを信じて、これからもブログを綴っていきたいと思います。
 言葉が使えず苦しんでいる障害者は、たくさんいるのです。言葉が使えても気持ちを正確に伝えられず苦しんでいるのは、健常者にだってたくさんいるはずです。

 …話がだいぶ逸れてしまいましたけど、これからの1年には、通い慣れた保育所から特別支援学校(養護学校)への進学や、かかりつけである都立清瀬小児病院の移転統廃合などの問題が控えています。5年かけて積み上げてきたいまの環境に、本人はもちろん、家族もようやく慣れてきたところなのに…。

 そんな心境のせいか、今年の妻の手作りチョコバナナケーキの味は、甘くもあり少々ほろ苦さも感じました。

(第200号)

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コメント

>意思の疎通は、言葉ではなく気持ちでするものなのだ、と。
そのとおりですね。昨年来の篤姫ではありませんが、勝海舟の言葉にもあるとおり、「上等な人間は力でなく心で他人を動かすもの」なのです。若い同志とともに、古い会務をぶっ壊してください。ただ、これまで苦労して検討してきた総務部員のことも配慮してあげてください。あれじゃあんまりです。無能の集まりでは拉致があかないと言っている様なものです。「いままでどおりしかできないなら、混乱させる」とも受け取られかねません。正々堂々、会長選挙で政策論争して道を開きましょう。期待してます(^^)

投稿: 総会出席者その3 | 2009年4月14日 (火) 15時55分

 総会出席者その3さん、コメントありがとうございます。
 心で他人を動かす。言うは易く行うは難し、ですね。

 ところで、「若い同志…」以下の司法書士会のことと思われる件についてですが、頂いたコメントの趣旨及び背景事情が、私にはいまひとつよく把握できないところです。
 また、何より本記事との関係性が希薄と思えますので、お返事については差し控えることにいたします。ご了承ください。

投稿: 鉄まんアトム | 2009年4月14日 (火) 16時25分

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