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ハプニングの関門トンネル人道

P1030185 寝台特急「富士・はやぶさ」で九州に入り、門司で両列車を見送ってから門司港へと向かいました(前号「胸に刻んだ誉れ高き“1レ”」参照)。
 約17年ぶりに門司港駅に降り立ち、荘厳な駅舎を日中の明るい時間に初めて目にしました。駅舎は九州最古の1914(大正3)年築。ネオ・ルネッサンス調の、なんと木造建築で国の重要文化財に指定されています。
 門司港に来た目的は、この駅舎ではなく、駅からバスで15分ほどの所にある関門国道トンネルに行くためでした。トンネルの延長は3461m、うち海底部780mは2階構造で、その1階部分を人が歩いて通れるようになっています。関門海峡を歩いて渡れるのです。

 入口は建物の中にあって、そこからエレベーターに乗って一気に地下約60m(海面下約51m)あたりまで下ります。エレベーターを降りたところが小さなホールになっていて、そこがトンネルの入口です。トンネルは下関・門司どちら側からもゆるやかな下り坂で、真ん中付近が一番低くなっています。そのあたりには県境もあります。
 関門海峡を歩いて渡る、というと何だか楽しそうで気分は上々ですけども、実際は、P1030207なんというか、まあ、坂のあるただの地下道です。地下鉄の駅構内を歩くのとたいして変わりはありません。あまり大きな期待をしない方がいいと思います。
 所要時間ですが、小学生の子連れでも15分ほどで歩き終えることができました。ちなみに、歩行者は無料です。

 さて、私たちは、いちおう観光でここを訪れています。できれば何かの証しがほしいものです。旅行前のリサーチによれば、どうやら記念スタンプがあるようです。しかし、現地に着いてすっかり忘れていました。スタンプなど、門司側の入口にもホールにもトンネルにも、どこにも見当たりませんでした。あったら気付くはずで、結局そのまま、本州下関側まで歩いてしまいました。
 すると、なんと! 下関では、ずいぶんと分かり易いところにスタンプ台があるではありませんか! で、そこにある台紙をよく見ると「※記念スタンプは、両トンネルのエレベーターホールに設置しています。」と小さな字で書いてあります。なぁにぃぃ~~。しかも、スタンプは半円形になっていて、双方のスタンプがないと完成しないようになっていました。

 う~む~……30秒ほど悩みました。

 結論。荷物をここに置き、連れに見張り番をさせ、私一人でもう1回、九州まで往復してくることにしました。走って門司側に戻ってみると、エレベーターホール奥のずいぶんと隠れたところにスタンプ台を発見しました。さっと数枚押して、九州をあとにし再び走ります。息子が一人本州にいます。
 撮影した写真の時刻で確認すると、関門海峡を15分弱で往復していました。果たして、速いのか普通なのか。どちらにせよ息は絶え絶え。それでも、スタンプが完成した達成感に満ちあふれ、本州側の地上に上がりました。
Kanmon_1

 しかし、ハプニングはまだ続きます。
 地上に上がった時点で時刻は11時27分すぎ。旅程の都合上、どうしても下関11時49分発の列車に乗る必要がありました。なのに私は、これを1時間も勘違いしており、時刻表をみて気付いたとき、滝のような冷や汗が流れ出しました(たぶん)。
 タクシーの方が確実なのでしょうが、偶然にも下関駅行きのバスがやってきたので手を挙げ飛び乗りました。下関駅近くにあるはずの「海峡ゆめタワー」がずいぶんと遠くに見えるので、乗り遅れを覚悟し、息子に悟られないようにしつつがっかり落ち込みました。
 それでもバスはあまり停まらず快調に走り、11時40分を回ったところで駅前ロータリーに着きました。Kanmon_2まずは駅まで走り、売店で弁当とお茶を買い、観光案内所を探しスタンプを完成させたらもれなくもらえるという「関門TOPPA!記念証」を受け取り、なんとかギリギリ列車に間に合いました。そうしたら、今度は本物の汗がダクダク流れ、乗った列車の暖房はガンガンに効いていて、連れはグズグズになって寝に入ってしまいました。

 終わってみればこんなドタバタもいい思い出ですが、下関での写真は1枚しか残りませんでした。

*関連記事
胸に刻んだ誉れ高き“1レ”(第160号)
長門本山、そして仙崎という終着駅へ(第165号)
九州ブルトレ旅行らくがきノート(第166号)

(第161号)

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