長門本山、そして仙崎という終着駅へ
寝台特急「はやぶさ」号の東京→熊本までの切符を確保(第160号参照)したのち、帰路についてはずいぶんと悩みました。
当初計画していた私一人旅なら、最後となるであろう「はやぶさ」に全区間乗車して九州ブルトレを堪能するか。それとも乗りつぶしを進めるため、「はやぶさ」を鳥栖(10時37分着)で降り、そのまま唐津線や筑肥線を乗りつぶして宇部周辺で1泊。次の日は小野田線と宇部線を乗りつぶして、新山口から新幹線で帰るか、などを想定していました。でも、さすがに、鉄道に興味のない小学生を連れてこれらは無理と判断。乗りつぶしは、全部又はどちらか一方をあきらめるしかありませんでした。
けれど、やはり少しは乗りつぶしをしておきたい。それで選んだのが小野田線と宇部線です。小野田線の本山支線(雀田-長門本山2.3km)は1日5本。近い将来なくなってしまう危険性を考えての選択でした。JR西日本が次に路線を廃止するとしたら、まちがいなくここだと思うからです。
そうと決まったら日程を再検討。宇部線と小野田線を乗りつぶし、続いて美祢線にも乗って、同じく1日5本の仙崎支線(山陰本線長門市-仙崎2.2km)まで足を伸ばし、これに『洞窟探検』という“エサ”をぶら下げるため秋芳洞を見て帰るコースを編み出しました。ということで、「はやぶさ」を門司で降り、もう1つの“エサ”である関門国道トンネルを歩いて渡って本州に戻ってきたのでした(第161号参照)。
どちらも1日5本と書きましたが、朝、昼、午後、夕、夜というばらけた5本ではなく、朝と夕に集中しているのがこいつらの曲者たるところです。本数の少ないこともさることながら、この運転ダイヤは「乗りつぶしテツ」泣かせといえましょう。
この日乗る予定の雀田発長門本山行きは16時28分発。1本前は7時25分発です。翌日に乗る予定の仙崎発長門市方面行きは8時00分発。1本後は16時01分発です。どちらにしても乗り遅れたらアウト。乗り継ぐ列車が遅れてもアウト。こういう路線に乗るのは、はっきり言って面倒です。
とくに宇部線や小野田線などは、周辺に埼玉から出向くほどのこれといった魅力があるとはお世辞にも言えず、まあそんな次第でいままで遠ざかっていたわけです。…と言い訳したところで、国鉄全線完乗を遂行中の私には必ず1回は乗らなければならず、わずか数キロとはいえ無視するわけにはいきません。
こういう場所は、暇だけは無限にある学生時代に乗っておくべき所です。いつかいつかと思ううち、あっという間にオッサンになってしまいます。じいさんになる日もそう遠くありません。
社会人になって仕事に夢中で乗りつぶしが停滞していた頃の1997年、山口県にもう1つあった同じような枝線である大嶺支線(美祢線南大嶺-大嶺2.8km)が廃止されました。2003年には、本山支線を走るチョコレート色をした現役最古の電車「クモハ42」(1933年製造)が引退しました。しかし、こんな“イベント”があったにもかかわらず、結局、乗りに来ることはありませんでした。それくらい、仕事に打ち込んでいたということでしょう(ただ単に無関心だった?)。
いまの私なら、何をさておいても乗りに行ったことでしょう。いつになっても、思い出すたび後悔の念にかられます。そんな思いはもうたくさんなので、ここ数年は再びがんばってあちこち乗り歩いています。
ちなみに、この両支線に乗ったところで乗りつぶし全体に占める割合は、わずか0.02%ほどにしか過ぎません。“てつのみち”は、その字のごとく金を失う道でもあります。
ところで、今回の旅は息子と初めての二人旅。あと1カ月で廃止になる「はやぶさ」に乗り、すでに鉄道としての使命を終え、いつ廃止になってもおかしくない両駅に降り立ってみたものの、それらはすべて、息子が大人になる頃には跡形もなく消えてしまっているかもしれません。父との想い出はすべて夢の跡…か。
ちょっと切ないですけど、それはそれで良いような気がします。辿り着いた終着駅は、始発駅でもあります。
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