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胸に刻んだ誉れ高き“1レ”

 2009年1月末、長男と初めて一緒にテツタビをしました。
 目的は、東海道本線の「1」列車(1レ)。東京を発着する唯一のブルートレインとなった寝台特急「富士・はやぶさ」で、来月13日をもって廃止されることが既に決まっています。
 今年に入り「富士・はやぶさ」の寝台券の入手は困難を極め、連日、発売と同時から数秒で完売となる状況が続いています。JR列車の指定券及び寝台券は、みどりの窓口にある「マルス」という機械を通じ、乗車1カ月前の午前10時に全国で一斉に発売されます。

 こうなると、寝台券を確保するには、発売の瞬間である10時の時報と同時に発券操作をするいわゆる「10時打ち」が必須です。当初は記念乗車の意味で、この列車のA寝台1人用個室「シングルデラックス」をとって、九州ブルトレの最後を一人じっくり胸に刻むつもりでいました。駅や旅行会社に通うこと延べ10回以上、しかし、連日の10時打ちは“10時討ち”になり、寝台券確保という幸運は私に巡ってはきませんでした。個室に限らずふつうの開放型B寝台も同様で、もはや、廃止されるまで残りわずかの期間、「富士・はやぶさ」に乗れるだけHayabusa_ticketで十分に幸運といえる状況です。
 2月以降はこのような状況にもかかわらず、1月中の平日のB寝台ならまだ余裕のあることを知りました。すぐさま2席分をVIEWカードの会員サービス「とれTEL」で確保。家に帰り妻の了解を得た上で、鉄道にあまり興味を示さぬ長男に「富士・はやぶさ」が特集されている雑誌の写真を見せ、「これ、乗りたいか?」と聞きました。すると長男は、「べつに~」という予想された答えに反し、「えっ、乗れるの? 乗りた~い!」と食いついてきました。話はそれで即決。小学校の先生に理由を正直に申し述べ、学校を休ませての父子旅行をすることに決まりました。
 出発までは1週間。インフルエンザが流行するなか、とにかくとにかく風邪を引かぬよう細心の注意を払って予防に努めました。仕事も何とか調整をつけて、出発の日を無事に迎えたのです。

P1020919          *          *
 「富士・はやぶさ」は、東京駅18時03分発。
 1月27日火曜日、学校から帰る長男を待って出発。私たちが東京駅に着いたのは16時15分頃です。それから往復の乗車券を買い求めたり、食料や水などの調達をしているうち、すぐ1時間が過ぎました。なぜこんなにも早くから駅にいるかというと、発車40分以上も前の17時21分にはもう、列車がホームに入線してくるからです。機関車を付け替えたりする作業をするためなのですが、東京駅でのこの光景も「富士・はやぶさ」の廃止で見納めとなります。

 というわけで、急ぎ10番線ホームに向かいます。平日にもかかわらず、この作業を見物しようとカメラを手にした人が、老若男女を問わずたくさんいました。私たちもこれに加わります。P1020929
 いまだブルートレインの実物を見たことがない長男(藤色のデイパックを背負って写真を撮っている小僧)は、間近で見る機関車や青い客車に、はや興奮気味。機関車の解放シーンを見たり、行き先表示を写真に撮ったり、車内を見て回ったり…、40分などあっという間。発車時刻は刻々と近づきます。

 定刻の18時03分、「富士・はやぶさ」はゆっくりと10番線ホームをすべり出しました。長男は、動き出した汽車の窓にへばりつき、ホームに向かって手を振りながら東京駅をあとにしました。いよいよ九州へ向けての長旅の始まりです。
 ガキんちょは、“花より団子”。発車するや用意した弁当に食らいつき、まずは腹ごしらえのようです。食事が済むと、本領を発揮。はしごをつたい2段ベッドを登ったり降りたり、車両の端から端を行ったり来たり。列車の中にベッドが並ぶ異空間を、すっかり気に入ったようです。
 そうした歓喜の中にあっても子どもは眠気には勝てないのでしょう。歯を磨いたら上段のベッドに転がり、21時56分の豊橋到着を待たず、あっさりと寝てしまいました。山陽路を走る真夜中、トイレに起きてしばらく寝付けなくなったようですけど、放っておいたら、いつの間にかまた眠っていました。
 飽きないか、嫌がらないか、ぐずらないか…。連れて行くにあたって心配していたことはすべて杞憂に終わりました。

 ・・・・・zzz・・・・・

 窓の外はまだ暗い翌朝午前6時。定時走行を知らせる“おはよう放送”と、再び点けられた室内灯の照明によって長男は起き出しました。列車はこのあと徐々に遅れ、この日は徳山-防府間の山陽本線を走る7時20分頃、瀬戸内海から登る日の出を迎えました。この辺りの車窓は九州特急に乗ったときの一番の楽しみで、遠くへやってきたという感慨で何度ながめても気分が昂揚します。長男は、カメラ片手にその車窓に釘付けでした。

 列車はそれから1時間ほどで、本州最後の駅・下関に着きます。
 下関では、東京駅から1100キロあまりを引っぱってきた機関車「EF66」を切り離し、関門トンネル専用の機関車に付け替えるため6分ほど停車します。もちろん、今ではほとんど目にすることのないその光景も、長男にしっかりと見せておかなければなりません。機関車は、下関到着後すぐに切り離されて車庫へと行ってしまうため、最前部1号車の方へと予め移動して備えます。
 列車はP103010118分ほど遅れて8時50分、下関着。たくさんの人たちが一斉に先頭の機関車めがけて駆け出します。以前に乗車した際には、数名が見物しているに過ぎずまったりとしていたこの光景も、いまとなっては人垣ができるほど。ホームにはロープが張られ、係員も多数配置され、メガホンや手笛で物々しい雰囲気になっていました。週の真ん中の平日ですらこの有様ですから、週末となれば、もうそこに往年の情景をみることはないでしょう。
 8時57分、下関を発車。海の底を行くということで長男が心待ちにしていた関門トンネルにさしかかります。が、これといった特徴やイベントもなくトンネルに入り、数分でトンネルを抜けた9時09分、門司に到着。何ら変わり映えはしませんが、ここはもう九州の大地です。

          *          *
 さて、私たちの持つ寝台券は熊本まで。まだ3時間ほども乗り続けることができますが、私の計画はここ門司で下車することに決めていました。
 というのは、門司では下関で付け替えたばかりの機関車を再び切り離し、さらに次の小倉駅が分岐点となる「富士」と「はやぶさ」を切り離す作業も見られます。それぞれに別々の機関車が付けられるのですが、「富士」の機関車がやってくるのは「はやぶさ」が発車してから。P1030148このまま「はやぶさ」に乗り続ける場合、「富士」の山の形をしたヘッドマークが見られません。このヘッドマークは、遙々ここまで来ないと見ることができないものです。
 とりあえず九州には来たし、これで目的の大半は果たしたわけですから、未練はありつつもここで列車を見送ることにしたのです(もう1つの理由は第165号を参照)。
 ふだんならこの見物も20分間ほど。しかしこの日はダP1030131 イヤが乱れ、熊本行き「はやぶさ」は30分遅れ、大分行き「富士」は38分遅れで、それぞれ門司を去っていきました。遅延のおかげでこの間、私たちを一晩かけて九州へと運んでくれた青い客車を心ゆくまで眺めることができました。
 駅の照明に浮かび上がる夜の姿も良し、陽光を受け燦然と光る朝の姿もまた良し、青い車体から放たれる独特の風格はちっとも色褪せず、これまでのなかで最も輝いているように私の目には映りました。

          *          *
 こうして、東京駅を発ってからの15時間は瞬く間に経過。私にとっては、少年の頃に憧れ、学生時代より何度となく利用した九州特急(さくら・あさかぜ・富士・はやぶさ)をそれぞれ思い出しながらの乗り納め。長男にとっては、初めての夜行寝台列車、それも最初で最後となる九州ブルトレでの一夜。長男にはどう残ったか分かりませんが、私には、最後の九州ブルトレ乗車にふさわしく、喜ぶ子どもの姿が重なるかけがえのない15時間となりました。
 それもこれも、A個室を狙った「富士・はやぶさ」のファンが大勢いたおかげで、私が個室を確保できなかったがゆえに実現した偶然です。もしもA個室が取れていたら、長男といっしょにこの列車に乗ることはありませんでした。“10時討ち”に遭わなければ巡り逢えなかった偶然で、九州ブルトレの記憶は、辛うじて次の世代にも残ったことでしょう。いま思えば、これこそが、後になって二度と手にすることのできない至高の『幸運』だったのです。

 この幸運に感謝し、有終を飾ろうとしている最後の九州特急ブルートレイン「富士・はやぶさ」に、そしてその乗客と乗務員のみなに幸あれ! と祈っています。

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*関連記事
東京駅からブルートレインが消え去る日(第145号)
ハプニングの関門トンネル人道(第161号)
長門本山、そして仙崎という終着駅へ(第165号)
九州ブルトレ旅行らくがきノート(第166号)
18560人によい旅路を(第167号)
空を飛べないアトム(第168号)
ひとすじのブルトレ仁義(第169号)
名残惜しい九州ブルトレだけど(第179号)

(第160号)

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コメント

なんか、すご~く心温まる「旅だちの記」になってますね。
この週末、ひどい文章を読んでしまった私には、携帯カイロ10個分以上のように思えます。
続編にも期待します。

投稿: 末吉 | 2009年2月 2日 (月) 09時01分

 末吉さん、こんにちは。
 共感いただきうれしく思います。…でも、携帯カイロ10個分ってちょっと微妙。やはり文章が長すぎたか、と反省しているところです。そこであらためて、記録に留めておきたかった要点を簡潔に4つだけ示します。
 1つ、どうしても“ふじぶさ”の切符がとれね~。
 2つ、乗りたければ、空席を見つけ次第押さえ乗っとけ~。
 3つ、志高き鉄ヲタは子息を乗せておけ~、無理なら見せておけ~。
 4つ、九州ブルトレよ、いままでたくさんの思い出をありがと~。
 とまあ、こんな感じです。

 それと、本編には書かなかったことが1つあります。
 前日までに周到に用意しておいた、つまみや菓子類をすべて家に忘れてきたことを乗車後に気づきました。父ちゃんの沽券はまるつぶれ、威光も台無し。このブログを見てこれから乗車される方、発車前にしっかりと確認してくださいね。

 ps 続編は1つだけ準備中です。お楽しみに。

投稿: 鉄まんアトム | 2009年2月 2日 (月) 10時10分

 「続編は1つだけ」のつもりでしたが…。
 これが最後と思っても、それでも書くことは尽きません。読み手を顧みずさらに続くかも知れませんが、なにとぞご諒恕下さいませ。

 先日、携帯メールの着信音を“ハイケンス”にしてみました。
 着信があるたび、まるで列車に乗っているかのような錯覚に陥ります。メロディのあとにつづく車内放送が聞こえてきそうで、気分は最高です。

 街でこのメロディに振り向くあなたは“テツ”にちがいありません。

投稿: 鉄まんアトム | 2009年2月18日 (水) 19時24分

 昨日、都内に所用で出向いた帰路、東京駅での乗換えと、ちょうど富士・はやぶさの入線時刻が重なり、10番線ホームをのぞいてきました。
 ホームは、大型のカメラや業務用と思われるビデオカメラなどともった人に加え、私のように携帯のカメラを手にちょっと立ち寄っただけの人も多く、ごったがえしていました。
 一番前方(有楽町側)だったので、機関車の切り離しは見れませんでしたが、隣の9番線を通過する機関車の前方に青いヘッドマークらしきものが人の間から一瞬チラリと見えました。
 発車時刻までいると、乗っていってしまいかねないので、青い車体を横目でみながら、帰路につきました。

投稿: 末吉 | 2009年2月19日 (木) 12時54分

 末吉さん、こんにちは。
 東京駅に行かれたのですね。大勢の人が見送る10番線ホーム。最期にきれいな花がパッと咲くようで、それもまたいいじゃないですか。

 私が先日、同じように行ったときは、親子連れも多く目にしました。パパとガキが汽車のなか、ママはホームで手を振っている。ママははじめ手首を動かす程度だったのに、発車して動き出したら、歩きながら腕を大きく振っての見送りをしている風景があちらこちらにありました。ドラマのワンシーンのような光景で、じぃぃ~んとしてしまいました。

 実際に乗ることが出来なくても、末吉さんの気持ちだけは、「富士・はやぶさ」が、じっくり一晩かけて九州へ運んでいってくれたはずです。共感者は少ないですけど、長距離列車とはそういうものでもある、と私は思います。

投稿: 鉄まんアトム | 2009年2月20日 (金) 13時15分

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