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ひとすじのブルトレ仁義

 ひとが必死に忘れようとしているにもかかわらず、後ろで髪を引くけしからぬヤツがいます。そいつの名は、朝日新聞。夕刊1面で連載中の「ニッポン人・脈・記」は、2月17日、“心の鉄路”シリーズの第2話として、ブルートレイン「富士・はやぶさ」を取り上げていました。

 記事を読んだら、そりゃあ、もう…泣けて来ちゃいますよ~。

 記事の9割方がP1000312宇都宮照信氏(九州鉄道記念館・館長代理)のことで埋められています。氏は、料理人として「はやぶさ」の食堂車の調理場に立っただけではなく、ブルトレの撮影を手がける写真家でもあります。その経歴を拝見すると、ブルトレに寄り添いながら人生を歩んでこられたことがよく分かります。
 「さらば 富士・はやぶさ」を特集する鉄道ファン3月号にも、「宇都宮照信さんの思い出とともにつづるブルートレイン“はやぶさ”の歩み」という記事があります。そこには、氏が1969(昭和44)年の大晦日に東京を発つ「はやぶさ」に乗務し、列車内で昭和45年を迎えたときの回想部分もあります。私は、その昭和45年に生まれました。きっと、私には想像つかぬほどの思い出が「はやぶさ」には乗っかっていることでしょう。

 その宇都宮氏でさえ、こう言います(※)。
 『二度と乗れなくなったら、どうやって思い出せばいいのでしょう』
 氏が出せない答えを、私ごときに見つけられるはずもありません。

(※)話を端折っていますので、図書館等で原典にあたって頂ければ幸いです。
よろしければ、「東京駅からブルートレインが消え去る日」(第145号)もお読み下さい。
その他の「富士・はやぶさ」関連記事のリンクは、そちらに掲載しています。

(第169号)

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コメント

 宇都宮照信さんは,筋金入りの汽車好きです。
 日本経済新聞にも,「世に鉄道ファンは少なくないが、宇都宮照信さんほどの“鉄ちゃん”は珍しい」と書かれるほどです。
 約1年前の2008年2月25~29日の5日間,日経夕刊の“人間発見”欄に「わが食堂車人生に悔いなし」というテーマで宇都宮さんを取り上げた連載記事が掲載されています。とても内容の濃く充実したもので,鉄道ファンでなくとも一読の価値があります。
 記事を読むと,特急や急行,そして新幹線でさえも,食堂車が当たり前のように連結されていた「あの時代」に戻って,車窓を眺めながらの食事を楽しみたい。無性にそんな気分にかられます。

投稿: 鉄まんアトム | 2009年2月21日 (土) 23時10分

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