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2009年2月の10件の記事

一日も早く権利証制度の復活を

 2005(平成17)年3月7日施行の改正不動産登記法で、いわゆる「権利証」の制度が廃止されてから、まもなく4年が経とうとしています。この改正で権利証に代わって導入されたのが「登記識別情報」ですが、このとんでもない制度によって、不動産取引の現場で司法書士は、決済時における確実な書類の確認ができなくなっています。
 なお、権利証とは俗称で、法律上は「登記済証」がこれにあたります。しかしながら、本稿において、あえてこれを区別する実益はありませんので、登記済証も権利証も同じことを言っているのだと理解して下さってけっこうです。また、本稿は一般向けに書いていますので、厳密には法的正確性に欠けたり、例外事項があるにもかかわらず触れていないこともあります。予めお断りしておきます(以下、長文です)。

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能登線追憶(5)

Noto_02408
のと鉄道能登線藤波-波並間 2005年2月11日撮影
CanonEOS55,Tamron28-200mm,RDP100

 能登では、「起舟(きしゅう)」という漁村の旧正月行事があります。
 毎年2月11日、冬のあいだ浜に引き上げてあった漁船を起こし海に浮かべ、船に大漁旗を張りめぐらし飾って、榊と御神酒を供えます。その年の豊漁と安全を祈り、漁業関係者がそろって賑やかな酒盛りを開く、漁師にとって年に一度のお祝いの日です。

 2005年のこの日、いつも撮影をしている波並漁港に行ってみました。漁師さんがひとり、雪が舞うなか、船の飾り付けをして起舟祭の準備をしていました。しばらくすると汽車が1両、カタンカタンという軽やかな音を響かせやってきました。汽車が寄り添う最後の波並漁港起舟風景です。

 起舟がすむとすぐに3月、遅いながらも一歩ずつ春が近づいてきます。

(第172号)

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ひとすじのブルトレ仁義

 ひとが必死に忘れようとしているにもかかわらず、後ろで髪を引くけしからぬヤツがいます。そいつの名は、朝日新聞。夕刊1面で連載中の「ニッポン人・脈・記」は、2月17日、“心の鉄路”シリーズの第2話として、ブルートレイン「富士・はやぶさ」を取り上げていました。

 記事を読んだら、そりゃあ、もう…泣けて来ちゃいますよ~。

 記事の9割方がP1000312宇都宮照信氏(九州鉄道記念館・館長代理)のことで埋められています。氏は、料理人として「はやぶさ」の食堂車の調理場に立っただけではなく、ブルトレの撮影を手がける写真家でもあります。その経歴を拝見すると、ブルトレに寄り添いながら人生を歩んでこられたことがよく分かります。
 「さらば 富士・はやぶさ」を特集する鉄道ファン3月号にも、「宇都宮照信さんの思い出とともにつづるブルートレイン“はやぶさ”の歩み」という記事があります。そこには、氏が1969(昭和44)年の大晦日に東京を発つ「はやぶさ」に乗務し、列車内で昭和45年を迎えたときの回想部分もあります。私は、その昭和45年に生まれました。きっと、私には想像つかぬほどの思い出が「はやぶさ」には乗っかっていることでしょう。

 その宇都宮氏でさえ、こう言います(※)。
 『二度と乗れなくなったら、どうやって思い出せばいいのでしょう』
 氏が出せない答えを、私ごときに見つけられるはずもありません。

(※)話を端折っていますので、図書館等で原典にあたって頂ければ幸いです。
よろしければ、「東京駅からブルートレインが消え去る日」(第145号)もお読み下さい。
その他の「富士・はやぶさ」関連記事のリンクは、そちらに掲載しています。

(第169号)

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空を飛べないアトム

 3月で廃止される寝台特急「富士・はやぶさ」について、今月に入ってからくどいほど熱く語っていますが、それには1つのワケがあります。
 「富士・はやぶさ」は、東京駅を発着する最後のブルートレインと言われていますが、夜行又は寝台列車ということでみれば、「サンライズ出雲・サンライズ瀬戸」が1往復辛うじて残ります。それでも、サンライズで行ける西の果ては岡山まで。「富士・はやぶさ」の廃止は、私から岡山以西への旅の足を奪うことを意味しているからです。

 えっ、新幹線や飛行機があるじゃないかって?

 おっしゃるとおり。
 しかし、私にとってそれじゃダメなんです。

 まず、新幹線には寝台車や(ごく一部を除き)個室がありません。グリーン車だって狭っ苦しいし、プライバシーへの配慮はゼロ。リラックスして寝転がることもできなければ、気兼ねなく屁をすることもできません。隣でパソコンを広げて必死で仕事されたり、安物ヘッドホンからシャカシャカ漏れる聴きたくもない音楽を聴かされたり、トイレに立つにも気を遣いと、とにかくストレスがたまります。
 一方の寝台列車では、新幹線の5人分ほどのスペースを一人で使えます。個室なら、鍵もかかり自分だけの世界。車窓は独占。疲れたら横になってうたた寝だってOKです。Img_4044もちろん、枕も毛布もついています。
 さらに、旅ではお約束の一献にも問題アリです。新幹線では、ビールを飲むのがせいぜい。お気に入りマイボトルを窓辺に置き、手荷物から氷を取り出し透明カップにウイスキーを注いで飲もうものなら、必ず周りは引きます。夜行列車では当たり前の光景も、新幹線ではちょっとヤバイ、いや相当にヤバイ光景に違いありません。

 つぎに、飛行機はどうでしょう。車に乗り、電車に乗り、それと同じように1つの交通機関として飛行機に乗れる人にとってみれば不思議なことでしょうけど、じつはわたくし、飛行機には乗れません。べつにブラックリストで搭乗を拒否されているわけではなく、ただ単に怖いだけで乗りません。遊園地の飛びモノすら差し支えます。
 わが人生で飛行機に乗ったのは一度だけ。高校の修学旅行で福岡→東京に搭乗させられ、それが最初で最後(の予定)です。
 そもそも、トラブルがあると飛行機は最終的に落ちる。落ちたら、ほぼ確実に命がないところに問題があります。地上に落ちる場合には、関係のない人まで巻き込んだりして申し訳が立ちません。余談ですが、そこで私が思うのは、もはやこれまでという事態に至ったら、機体が細かく空中分解される仕組みになっていればよいのではないかと。で、それだけだと乗客はたまらないので、すべての座席にパラシュートと酸素マスクを備える。…まあ想像するとそれもまた微妙な状況ではあるし、どうせ飛行機になんか乗らないから、正直どうでもいいやというのが本音です。

 空を飛べない臆病者の鉄腕アトムとは、オバケなのに化けられないQちゃんと同じくらい情けない存在です。
 しかし、こちらは鉄まんのアトム。これまで北海道も九州も、できるだけ新幹線を使わず、そのほとんどを夜行列車で往復しながら乗りつぶしをしてきた筋金入りの“乗りテツ”です。船も使っているため鉄分100%とはいきませんが、現地に飛行機でひとっ飛びする“飛びテツ”さんとは格が違います。鉄まんアトムは、空を飛べないのではなく、あえて飛ばないのです。

 ところで、私は、これからどうやって九州に行ったらいいでしょうか?
 

*関連記事
東京駅からブルートレインが消え去る日(第145号)
その他の「富士・はやぶさ」関連記事のリンクは、そちらに掲載しています。

(第168号)

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18560人によい旅路を

 今日2月13日、寝台特急「富士・はやぶさ」の最終運転日(3月13日発)の切符が、全国のみどりの窓口で午前10時に一斉発売されました。もちろん、即時完売です。
 各報道で「約10秒で完売」と報じられていますけど、完売が確認できるのに10秒ほどかかったということで、実際には午前10時00分01秒を待たず、まさに発売の瞬間に売り切れてしまったはずです。毎日jpには、「この日は受け付け開始と同時に、主要駅のみどりの窓口に設置した端末から東京の旅客販売総合システム(MARS)に予約が殺到、あっという間に定員に達した」と書かれていました。

 それぞれの思いをたくさん乗せてあと29日間、「富士・はやぶさ」は東京と九州の間を毎日往き来します。2本の列車で上下あわせた定員は1日640人。最終運転日まで、ほぼ毎日が満席の状態になっています。

 残りの旅人はあと18,560人。
 私はもう乗れませんが、みなさんに、よい旅路あることを祈っています。
 

*関連記事
東京駅からブルートレインが消え去る日(第145号)
胸に刻んだ誉れ高き“1レ”(第160号)

(第167号)

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九州ブルトレ旅行らくがきノート

 最後の九州ブルトレこと寝台特急「富士・はやぶさ」号への乗車。これにまつわる内容で、すでに3本の記事を書き上げました。思いがぎっしり詰まっていたためか、どれもブログにしては長篇で重くなってしまいました。
 そこで裏話といってはなんですが、道中のこぼれ話を写真とともに記して、一連の紀行文を締めくくりたいと思います。

 それでは、はじめます。・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

P1020982
▲東京駅にある大丸デパート地下食品売り場で息子が調達した夕食。オヤジ様としては、銀座スエヒロのステーキ弁当の方がよかったんだけど…。まあ、仕方ない。
 酒も同じ場所で仕入れました。それに駅構内のコンビニで1リットルの水4本、ロックアイス、つまみ1種、あめ2袋を買いました。この時点ではまだ、予め購入していたつまみ&お菓子をすっかり忘れていることに気付いていません。

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長門本山、そして仙崎という終着駅へ

 寝台特急「はやぶさ」号の東京→熊本までの切符を確保(第160号参照)したのち、帰路についてはずいぶんと悩みました。
 当初計画していた私一人旅なら、最後となるであろう「はやぶさ」に全区間乗車して九州ブルトレを堪能するか。それとも乗りつぶしを進めるため、「はやぶさ」を鳥栖(10時37分着)で降り、そのまま唐津線や筑肥線を乗りつぶして宇部周辺で1泊。次の日は小野田線と宇部線を乗りつぶして、新山口から新幹線で帰るか、などを想定していました。でも、さすがに、鉄道に興味のない小学生を連れてこれらは無理と判断。乗りつぶしは、全部又はどちらか一方をあきらめるしかありませんでした。
 けれど、やはり少しは乗りつぶしをしておきたい。それで選んだのが小野田線と宇部線です。小野田線の本山支線(雀田-長門本山2.3km)は1日5本。近い将来なくなってしまう危険性を考えての選択でした。JR西日本が次に路線を廃止するとしたら、まちがいなくここだと思うからです。
 そうと決まったら日程を再検討。宇部線と小野田線を乗りつぶし、続いて美祢線にも乗って、同じく1日5本の仙崎支線(山陰本線長門市-仙崎2.2km)まで足を伸ばし、これに『洞窟探検』という“エサ”をぶら下げるため秋芳洞を見て帰るコースを編み出しました。ということで、「はやぶさ」を門司で降り、もう1つの“エサ”である関門国道トンネルを歩いて渡って本州に戻ってきたのでした(第161号参照)。

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能登線追憶(4)

 能登線珠洲駅。能登線の終点蛸島まではあと2駅。ここ珠洲市は能登半島の先端部に位置します。
 時刻は18時40分過ぎ。能登線の果て、蛸島に向かう下り列車は、Img_3544次の19時04分発が最終。一方の上り列車も、次の19時35分発が最終。それも途中の宇出津止まりで、その先は穴水にすら今日行く列車はもうありません。
 珠洲駅には駅員がいて、待合室にはストーブが焚かれていました。しかし、列車を待つ人はなく、着いた列車から降り立った人も足早に駅をあとにしていました。外の雪は降ったり止んだり、時折、目の前の視界が遮られるほど吹雪いたり。待合室の扉1枚向こうは、除けても除けても降り積もる雪模様です。
 それでも雪の合間を見ながら、駅員さんは駅構内をていねいに除雪していました。そして、たった一つの小さなストーブが無人の待合室を暖めています。来てもわずか数名という乗客のために。

 このストーブでどれほどの旅人が暖をとり汽車を待ったのでしょう。一人待合室のベンチに腰をかけ、こうしてぼんやり炎を眺めていると、この空間だけ確実に時間は止まります。

*写真は、のと鉄道能登線珠洲駅にて 2005年2月11日撮影

(第162号)

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ハプニングの関門トンネル人道

P1030185 寝台特急「富士・はやぶさ」で九州に入り、門司で両列車を見送ってから門司港へと向かいました(前号「胸に刻んだ誉れ高き“1レ”」参照)。
 約17年ぶりに門司港駅に降り立ち、荘厳な駅舎を日中の明るい時間に初めて目にしました。駅舎は九州最古の1914(大正3)年築。ネオ・ルネッサンス調の、なんと木造建築で国の重要文化財に指定されています。
 門司港に来た目的は、この駅舎ではなく、駅からバスで15分ほどの所にある関門国道トンネルに行くためでした。トンネルの延長は3461m、うち海底部780mは2階構造で、その1階部分を人が歩いて通れるようになっています。関門海峡を歩いて渡れるのです。

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胸に刻んだ誉れ高き“1レ”

 2009年1月末、長男と初めて一緒にテツタビをしました。
 目的は、東海道本線の「1」列車(1レ)。東京を発着する唯一のブルートレインとなった寝台特急「富士・はやぶさ」で、来月13日をもって廃止されることが既に決まっています。
 今年に入り「富士・はやぶさ」の寝台券の入手は困難を極め、連日、発売と同時から数秒で完売となる状況が続いています。JR列車の指定券及び寝台券は、みどりの窓口にある「マルス」という機械を通じ、乗車1カ月前の午前10時に全国で一斉に発売されます。

 こうなると、寝台券を確保するには、発売の瞬間である10時の時報と同時に発券操作をするいわゆる「10時打ち」が必須です。当初は記念乗車の意味で、この列車のA寝台1人用個室「シングルデラックス」をとって、九州ブルトレの最後を一人じっくり胸に刻むつもりでいました。駅や旅行会社に通うこと延べ10回以上、しかし、連日の10時打ちは“10時討ち”になり、寝台券確保という幸運は私に巡ってはきませんでした。個室に限らずふつうの開放型B寝台も同様で、もはや、廃止されるまで残りわずかの期間、「富士・はやぶさ」に乗れるだけHayabusa_ticketで十分に幸運といえる状況です。
 2月以降はこのような状況にもかかわらず、1月中の平日のB寝台ならまだ余裕のあることを知りました。すぐさま2席分をVIEWカードの会員サービス「とれTEL」で確保。家に帰り妻の了解を得た上で、鉄道にあまり興味を示さぬ長男に「富士・はやぶさ」が特集されている雑誌の写真を見せ、「これ、乗りたいか?」と聞きました。すると長男は、「べつに~」という予想された答えに反し、「えっ、乗れるの? 乗りた~い!」と食いついてきました。話はそれで即決。小学校の先生に理由を正直に申し述べ、学校を休ませての父子旅行をすることに決まりました。
 出発までは1週間。インフルエンザが流行するなか、とにかくとにかく風邪を引かぬよう細心の注意を払って予防に努めました。仕事も何とか調整をつけて、出発の日を無事に迎えたのです。

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