« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2009年2月の13件の記事

一日も早く権利証制度の復活を

 2005(平成17)年3月7日施行の改正不動産登記法で、いわゆる「権利証」の制度が廃止されてから、まもなく4年が経とうとしています。この改正で権利証に代わって導入されたのが「登記識別情報」ですが、このとんでもない制度によって、不動産取引の現場で司法書士は、決済時における確実な書類の確認ができなくなっています。
 なお、権利証とは俗称で、法律上は「登記済証」がこれにあたります。しかしながら、本稿において、あえてこれを区別する実益はありませんので、登記済証も権利証も同じことを言っているのだと理解して下さってけっこうです。また、本稿は一般向けに書いていますので、厳密には法的正確性に欠けたり、例外事項があるにもかかわらず触れていないこともあります。予めお断りしておきます(以下、長文です)。

続きを読む "一日も早く権利証制度の復活を"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

能登線追憶(5)

Noto_02408
のと鉄道能登線藤波-波並間 2005年2月11日撮影
CanonEOS55,Tamron28-200mm,RDP100

 能登では、「起舟(きしゅう)」という漁村の旧正月行事があります。
 毎年2月11日、冬のあいだ浜に引き上げてあった漁船を起こし海に浮かべ、船に大漁旗を張りめぐらし飾って、榊と御神酒を供えます。その年の豊漁と安全を祈り、漁業関係者がそろって賑やかな酒盛りを開く、漁師にとって年に一度のお祝いの日です。

 2005年のこの日、いつも撮影をしている波並漁港に行ってみました。漁師さんがひとり、雪が舞うなか、船の飾り付けをして起舟祭の準備をしていました。しばらくすると汽車が1両、カタンカタンという軽やかな音を響かせやってきました。汽車が寄り添う最後の波並漁港起舟風景です。

 起舟がすむとすぐに3月、遅いながらも一歩ずつ春が近づいてきます。

(第172号)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

NICU増床計画における私の視点

 昨年、東京都内で起こった、妊婦が複数の病院に受け入れを断られ死亡した事件のことを、みなさんはまだ覚えているでしょうか。
 その事件をきっかけに、周産期医療体制の見直しが急ピッチで進んでいます。2008年12月5日付け朝日新聞夕刊には、文部科学省が来年度から4年間ですべての国立大学病院に新生児集中治療室(NICU)をつくる計画を発表した、と報じられていました。来年度予算にNICU整備費として17億円を計上、付属病院にNICUがない9大学に順次設置する計画です。
 厚生労働省によると、NICUでの治療が必要な新生児は年間約3万6000人。しかし、現在日本国内にあるNICUは約2000床にすぎず、必要な数にはまだ1000床も足りないとされています。じつに3分の1もが不足しているのです。
 救急患者の受け入れ拒否の背景には、こうした慢性的なNICU不足があります。増床には、多額の経費と医師や看護師などの人材の確保が欠かせませんが、過重労働が懸念され、担い手となる希望者は少なく、財政面での手当も薄いのが現状です。施設の拡充と必要な人材の確保や育成は、車の両輪といえましょう。
 2009年2月8日付け日本経済新聞朝刊(※)では、「ベッド数の問題以上に深刻なのが人材不足」と、現場の窮状を報じています。なお、記事のなかで人材不足を端的に示している部分を引用して紹介しておきましょう。

 青森県唯一の総合周産期母子医療センター、青森県立中央病院(青森市)の網塚貴介医師は昨年十一月、NICUの窮状を訴える書面を厚生労働省の専門家懇談会に提出した。
 二〇〇七年度下半期にNICUを担当した医師は四人。しかし網塚医師を除く三人はNICUの勤務経験が一年以下だった。経験不足から、超低出生体重児の重い合併症である消化器に穴の開く病気の発生率が、全国平均の約四倍に上ったという。
 「生後早期の全身管理が行き届かなかったことが原因」「手薄な体制下、この半年間に入院された患者さんの中には、重篤な後遺症を残された方も少なくありません」――。書面にはやり場のない悲痛な文言が並ぶ。時間外勤務は、四人とも月に二百時間前後になったという。

 「ハコはあるのに人手がない」。こう訴えるのは、静岡済生会総合病院(静岡市)の杉浦崇浩医師だ。
 同病院のNICUは十二床。かつて医師が七人いた時は常に医師がNICU内で勤務していた。しかし四―五人に減ったため、シフトが維持できず、「超低出生体重児など、リスクの高い新生児を診られなくなった」という。
 静岡市内で二十四時間、ハイリスクの赤ちゃんを受け入れているのは原則、静岡県立こども病院一カ所だけ。杉浦医師は「県立こども病院のNICUは常に込み合うが、周辺の病院が受け皿になれるかというと、それは難しい。医師が分散しており、中途半端。行政が医師の適正配置を主導すべきだ」と言い切る。

(※)2009年2月8日付け日本経済新聞朝刊25面
「赤ちゃんの命つなぐNICU拡充、欠かせぬ人材育成―適正配置・技術向上急げ」より

 さて話を戻すと、事件が起こった東京都では、周産期医療センターは23区内に18病院あります。一方、多摩地域に目を転じるとわずか4病院しかありません。そのような状況下で都は、2010年3月までに、NICUのある清瀬小児病院や八王子小児病院など3病院を廃止し、府中市に「小児総合医療センター」(仮称)を新設する統廃合計画を進めています。
 埼玉県では状況はもっと深刻で、総合周産期母子医療センターは県内にわずか1箇所しかありません。そうした状況から、埼玉県内で生まれた重症児の3割が東京都内へ搬送されていますし、廃止が決まっている清瀬小児病院の入院患者の3割、外来患者の4割が埼玉県民で占められている、ともいわれています。
 都が進めている計画がこのまま実施された場合、影響は多摩地域だけに留まらず、隣接する埼玉県の周産期や小児救急医療体制の崩壊に波及することは、目に見えて明らかです。廃止され、実際に問題が起こってからでは手遅れです。だから、このような時流に反する都の計画は中止するか、いったん延期して再考するべきだ、と私は考えています。

 国や都は、新聞報道にあるような多額の経費をかけてNICUの増床をゼロから始めるのではなく、まず、いまある施設の維持及び充実に目を向けるべきです。そして、NICUの整備は都道府県ごとではなく、現実の医療圏に沿った見直しや検討が必要です。NICUは薄く広く点在していることが重要なのです。命が県境で左右されることがあってはなりません。
 いまの危機は、まったなしの深刻な社会問題です。多額の経費云々といいましたけど、ところで無意味にばらまかれ散財しようとしている定額給付金2兆円のごく一部だけでもこちらに充てられれば、この問題は一気に解決へと向かう可能性があります。冒頭で紹介した文科省のNICU増床計画の推進に充てる予算は58億円に過ぎないのですから。

 周産期や小児救急医療を維持充実させることは、生まれてくる命・助けられる命を明日に繋ぐ未来の世代に対する私たちの責務なのです。

*関連記事
都立清瀬小児病院をなくさないで(第87号)
都立小児病院を守る最後のチャンス(第234号)

(第171号)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ひとすじのブルトレ仁義

 ひとが必死に忘れようとしているにもかかわらず、後ろで髪を引くけしからぬヤツがいます。そいつの名は、朝日新聞。夕刊1面で連載中の「ニッポン人・脈・記」は、2月17日、“心の鉄路”シリーズの第2話として、ブルートレイン「富士・はやぶさ」を取り上げていました。

 記事を読んだら、そりゃあ、もう…泣けて来ちゃいますよ~。

 記事の9割方がP1000312宇都宮照信氏(九州鉄道記念館・館長代理)のことで埋められています。氏は、料理人として「はやぶさ」の食堂車の調理場に立っただけではなく、ブルトレの撮影を手がける写真家でもあります。その経歴を拝見すると、ブルトレに寄り添いながら人生を歩んでこられたことがよく分かります。
 「さらば 富士・はやぶさ」を特集する鉄道ファン3月号にも、「宇都宮照信さんの思い出とともにつづるブルートレイン“はやぶさ”の歩み」という記事があります。そこには、氏が1969(昭和44)年の大晦日に東京を発つ「はやぶさ」に乗務し、列車内で昭和45年を迎えたときの回想部分もあります。私は、その昭和45年に生まれました。きっと、私には想像つかぬほどの思い出が「はやぶさ」には乗っかっていることでしょう。

 その宇都宮氏でさえ、こう言います(※)。
 『二度と乗れなくなったら、どうやって思い出せばいいのでしょう』
 氏が出せない答えを、私ごときに見つけられるはずもありません。

(※)話を端折っていますので、図書館等で原典にあたって頂ければ幸いです。
よろしければ、「東京駅からブルートレインが消え去る日」(第145号)もお読み下さい。
その他の「富士・はやぶさ」関連記事のリンクは、そちらに掲載しています。

(第169号)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

空を飛べないアトム

 3月で廃止される寝台特急「富士・はやぶさ」について、今月に入ってからくどいほど熱く語っていますが、それには1つのワケがあります。
 「富士・はやぶさ」は、東京駅を発着する最後のブルートレインと言われていますが、夜行又は寝台列車ということでみれば、「サンライズ出雲・サンライズ瀬戸」が1往復辛うじて残ります。それでも、サンライズで行ける西の果ては岡山まで。「富士・はやぶさ」の廃止は、私から岡山以西への旅の足を奪うことを意味しているからです。

 えっ、新幹線や飛行機があるじゃないかって?

 おっしゃるとおり。
 しかし、私にとってそれじゃダメなんです。

 まず、新幹線には寝台車や(ごく一部を除き)個室がありません。グリーン車だって狭っ苦しいし、プライバシーへの配慮はゼロ。リラックスして寝転がることもできなければ、気兼ねなく屁をすることもできません。隣でパソコンを広げて必死で仕事されたり、安物ヘッドホンからシャカシャカ漏れる聴きたくもない音楽を聴かされたり、トイレに立つにも気を遣いと、とにかくストレスがたまります。
 一方の寝台列車では、新幹線の5人分ほどのスペースを一人で使えます。個室なら、鍵もかかり自分だけの世界。車窓は独占。疲れたら横になってうたた寝だってOKです。Img_4044もちろん、枕も毛布もついています。
 さらに、旅ではお約束の一献にも問題アリです。新幹線では、ビールを飲むのがせいぜい。お気に入りマイボトルを窓辺に置き、手荷物から氷を取り出し透明カップにウイスキーを注いで飲もうものなら、必ず周りは引きます。夜行列車では当たり前の光景も、新幹線ではちょっとヤバイ、いや相当にヤバイ光景に違いありません。

 つぎに、飛行機はどうでしょう。車に乗り、電車に乗り、それと同じように1つの交通機関として飛行機に乗れる人にとってみれば不思議なことでしょうけど、じつはわたくし、飛行機には乗れません。べつにブラックリストで搭乗を拒否されているわけではなく、ただ単に怖いだけで乗りません。遊園地の飛びモノすら差し支えます。
 わが人生で飛行機に乗ったのは一度だけ。高校の修学旅行で福岡→東京に搭乗させられ、それが最初で最後(の予定)です。
 そもそも、トラブルがあると飛行機は最終的に落ちる。落ちたら、ほぼ確実に命がないところに問題があります。地上に落ちる場合には、関係のない人まで巻き込んだりして申し訳が立ちません。余談ですが、そこで私が思うのは、もはやこれまでという事態に至ったら、機体が細かく空中分解される仕組みになっていればよいのではないかと。で、それだけだと乗客はたまらないので、すべての座席にパラシュートと酸素マスクを備える。…まあ想像するとそれもまた微妙な状況ではあるし、どうせ飛行機になんか乗らないから、正直どうでもいいやというのが本音です。

 空を飛べない臆病者の鉄腕アトムとは、オバケなのに化けられないQちゃんと同じくらい情けない存在です。
 しかし、こちらは鉄まんのアトム。これまで北海道も九州も、できるだけ新幹線を使わず、そのほとんどを夜行列車で往復しながら乗りつぶしをしてきた筋金入りの“乗りテツ”です。船も使っているため鉄分100%とはいきませんが、現地に飛行機でひとっ飛びする“飛びテツ”さんとは格が違います。鉄まんアトムは、空を飛べないのではなく、あえて飛ばないのです。

 ところで、私は、これからどうやって九州に行ったらいいでしょうか?
 

*関連記事
東京駅からブルートレインが消え去る日(第145号)
その他の「富士・はやぶさ」関連記事のリンクは、そちらに掲載しています。

(第168号)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

18560人によい旅路を

 今日2月13日、寝台特急「富士・はやぶさ」の最終運転日(3月13日発)の切符が、全国のみどりの窓口で午前10時に一斉発売されました。もちろん、即時完売です。
 各報道で「約10秒で完売」と報じられていますけど、完売が確認できるのに10秒ほどかかったということで、実際には午前10時00分01秒を待たず、まさに発売の瞬間に売り切れてしまったはずです。毎日jpには、「この日は受け付け開始と同時に、主要駅のみどりの窓口に設置した端末から東京の旅客販売総合システム(MARS)に予約が殺到、あっという間に定員に達した」と書かれていました。

 それぞれの思いをたくさん乗せてあと29日間、「富士・はやぶさ」は東京と九州の間を毎日往き来します。2本の列車で上下あわせた定員は1日640人。最終運転日まで、ほぼ毎日が満席の状態になっています。

 残りの旅人はあと18,560人。
 私はもう乗れませんが、みなさんに、よい旅路あることを祈っています。
 

*関連記事
東京駅からブルートレインが消え去る日(第145号)
胸に刻んだ誉れ高き“1レ”(第160号)

(第167号)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

九州ブルトレ旅行らくがきノート

 最後の九州ブルトレこと寝台特急「富士・はやぶさ」号への乗車。これにまつわる内容で、すでに3本の記事を書き上げました。思いがぎっしり詰まっていたためか、どれもブログにしては長篇で重くなってしまいました。
 そこで裏話といってはなんですが、道中のこぼれ話を写真とともに記して、一連の紀行文を締めくくりたいと思います。

 それでは、はじめます。・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

P1020982
▲東京駅にある大丸デパート地下食品売り場で息子が調達した夕食。オヤジ様としては、銀座スエヒロのステーキ弁当の方がよかったんだけど…。まあ、仕方ない。
 酒も同じ場所で仕入れました。それに駅構内のコンビニで1リットルの水4本、ロックアイス、つまみ1種、あめ2袋を買いました。この時点ではまだ、予め購入していたつまみ&お菓子をすっかり忘れていることに気付いていません。

続きを読む "九州ブルトレ旅行らくがきノート"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

長門本山、そして仙崎という終着駅へ

 寝台特急「はやぶさ」号の東京→熊本までの切符を確保(第160号参照)したのち、帰路についてはずいぶんと悩みました。
 当初計画していた私一人旅なら、最後となるであろう「はやぶさ」に全区間乗車して九州ブルトレを堪能するか。それとも乗りつぶしを進めるため、「はやぶさ」を鳥栖(10時37分着)で降り、そのまま唐津線や筑肥線を乗りつぶして宇部周辺で1泊。次の日は小野田線と宇部線を乗りつぶして、新山口から新幹線で帰るか、などを想定していました。でも、さすがに、鉄道に興味のない小学生を連れてこれらは無理と判断。乗りつぶしは、全部又はどちらか一方をあきらめるしかありませんでした。
 けれど、やはり少しは乗りつぶしをしておきたい。それで選んだのが小野田線と宇部線です。小野田線の本山支線(雀田-長門本山2.3km)は1日5本。近い将来なくなってしまう危険性を考えての選択でした。JR西日本が次に路線を廃止するとしたら、まちがいなくここだと思うからです。
 そうと決まったら日程を再検討。宇部線と小野田線を乗りつぶし、続いて美祢線にも乗って、同じく1日5本の仙崎支線(山陰本線長門市-仙崎2.2km)まで足を伸ばし、これに『洞窟探検』という“エサ”をぶら下げるため秋芳洞を見て帰るコースを編み出しました。ということで、「はやぶさ」を門司で降り、もう1つの“エサ”である関門国道トンネルを歩いて渡って本州に戻ってきたのでした(第161号参照)。

続きを読む "長門本山、そして仙崎という終着駅へ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教えて下さい その意味を

 2月4日、さいたま地裁で1つの判決がありました。
 昨年9月、川越市内で、重度のダウン症を持つ長男(当時27)の将来を悲観した妻(同53)から懇願され、2人を殺害し自らも自殺を図った夫(同57)に対する刑事裁判の一審判決です。
 新聞報道に基づく裁判で現れた事実によれば、次のようなことが明らかになっています。
・体調が悪化して長男を介護できないと自分を責める妻に「3人で死のう」と言われ、決意した。
・長男の知能は2、3歳程度。生後間もなく医師に「20年ほどしか生きられないのでは」と言われた夫婦は「子どもに罪はない。この20年を大切にしてあげよう」と誓った。
・介護は過酷だった。食事やトイレなども付ききりで妻が世話したが、自分の便を口に運ぶ長男を抱きしめ、泣いたこともある。
・成人すると長男は暴れたり、妻の髪の毛を抜いたりもした。
・事件の約2年前より、妻が頭痛やぜんそくなど体調不良を訴え、40年間勤めた会社を定年退職した夫も介護を手伝った。しかし、妻の体調はますます悪化した。
・3人のうち誰かがかけることは考えられなかった。しだいに心中を望むようになった。
・事件1カ月前、妻は果物ナイフを手に「私と長男を刺して」と懇願。
・事件前日に、妻から「遺書を書いた」と伝えられ、夫の心は折れた。
 そして2008年9月10日午前1時頃、夫は就寝中の妻と長男の首などを果物ナイフで刺した。自らも風呂場で手首を20カ所以上傷つけたが、死にきれずに110番通報した。

 「なぜ自分だけ残ってしまったのか。死刑にして欲しい」。公判でそう訴えた被告人に対し、裁判所が出した答えは懲役7年の実刑判決でした。
 判決では、「被告人は妻とともに、長男の介護という負担を伴う家庭生活に被告人なりに向かい合ってきた。2人に対する愛情から、自ら死を覚悟して事件に及んだもので、酌むべき事情がある」と。
 その判決を書いた裁判長は、判決言い渡しの際、被告人に言葉をかけます。

続きを読む "教えて下さい その意味を"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

イタイどろぼうさん?!

 整理整頓がこのうえなく苦手なP1030632私。多くの貴重な“お宝”も、段ボール箱にまとめて放り込んであったり、風呂敷で包んだまま眠りについている状態です。先日、そのなかから、趣味に関するコレクションを引っ張り出しました。それが右の写真。
 それを見た長男の発したコトバが、「とうちゃん、ドロボウさんだったの?」。件の風呂敷包みを指差し、「これ、盗んできたんでしょ?」。
 ……だれが、どこからじゃ!……。
 いい大人ですら同じ反応を示すことがありますから、唐草模様の風呂敷=泥棒という図式は、私たちの頭に刷り込まれてしまっているのでしょう。

 これはおそらくテレビの影響なのでしょうが、一方で、子ども向けのアニメ番組を見ていると、ことわざや慣用句がたまに出てくることに気付きます。しかし、子どもたちはどこまで理解しながら聞いているか疑問です。
 長男の国語のドリルを見て、その疑問は確信に変わりました。

 『つぎの ことばの いみに あう ほうの きごうに ○を つけましょう。』
 (1) のどから 手が 出る。
    ×ア とても ほしい。
    ○イ とても くるしい。
 (2) しりに 火が つく。
    ○ア とても あつい。
    ×イ とても あわてる。
 (3) ほねが おれる。
    ○ア とても いたい。
    ×イ とても くろうする。

 そのまんまじゃんか……。
 「だって尻に火がついたら熱っいじゃん!」と真顔で釈明する子どもに、「辞書を引け!」と頭から角を出す母親。
 喉から手が出るほどゲーム機が欲しいくせに、宿題やお手伝いなど面倒なことだと尻に火がつくまで放ったらかし、それにもめげず子どもを育てていく親は骨が折れるもんだと思いました。
 そして、子どもは今日もまた、テレビとマンガに夢中です。

(第163号)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

能登線追憶(4)

 能登線珠洲駅。能登線の終点蛸島まではあと2駅。ここ珠洲市は能登半島の先端部に位置します。
 時刻は18時40分過ぎ。能登線の果て、蛸島に向かう下り列車は、Img_3544次の19時04分発が最終。一方の上り列車も、次の19時35分発が最終。それも途中の宇出津止まりで、その先は穴水にすら今日行く列車はもうありません。
 珠洲駅には駅員がいて、待合室にはストーブが焚かれていました。しかし、列車を待つ人はなく、着いた列車から降り立った人も足早に駅をあとにしていました。外の雪は降ったり止んだり、時折、目の前の視界が遮られるほど吹雪いたり。待合室の扉1枚向こうは、除けても除けても降り積もる雪模様です。
 それでも雪の合間を見ながら、駅員さんは駅構内をていねいに除雪していました。そして、たった一つの小さなストーブが無人の待合室を暖めています。来てもわずか数名という乗客のために。

 このストーブでどれほどの旅人が暖をとり汽車を待ったのでしょう。一人待合室のベンチに腰をかけ、こうしてぼんやり炎を眺めていると、この空間だけ確実に時間は止まります。

*写真は、のと鉄道能登線珠洲駅にて 2005年2月11日撮影

(第162号)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ハプニングの関門トンネル人道

P1030185 寝台特急「富士・はやぶさ」で九州に入り、門司で両列車を見送ってから門司港へと向かいました(前号「胸に刻んだ誉れ高き“1レ”」参照)。
 約17年ぶりに門司港駅に降り立ち、荘厳な駅舎を日中の明るい時間に初めて目にしました。駅舎は九州最古の1914(大正3)年築。ネオ・ルネッサンス調の、なんと木造建築で国の重要文化財に指定されています。
 門司港に来た目的は、この駅舎ではなく、駅からバスで15分ほどの所にある関門国道トンネルに行くためでした。トンネルの延長は3461m、うち海底部780mは2階構造で、その1階部分を人が歩いて通れるようになっています。関門海峡を歩いて渡れるのです。

続きを読む "ハプニングの関門トンネル人道"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

胸に刻んだ誉れ高き“1レ”

 2009年1月末、長男と初めて一緒にテツタビをしました。
 目的は、東海道本線の「1」列車(1レ)。東京を発着する唯一のブルートレインとなった寝台特急「富士・はやぶさ」で、来月13日をもって廃止されることが既に決まっています。
 今年に入り「富士・はやぶさ」の寝台券の入手は困難を極め、連日、発売と同時から数秒で完売となる状況が続いています。JR列車の指定券及び寝台券は、みどりの窓口にある「マルス」という機械を通じ、乗車1カ月前の午前10時に全国で一斉に発売されます。

 こうなると、寝台券を確保するには、発売の瞬間である10時の時報と同時に発券操作をするいわゆる「10時打ち」が必須です。当初は記念乗車の意味で、この列車のA寝台1人用個室「シングルデラックス」をとって、九州ブルトレの最後を一人じっくり胸に刻むつもりでいました。駅や旅行会社に通うこと延べ10回以上、しかし、連日の10時打ちは“10時討ち”になり、寝台券確保という幸運は私に巡ってはきませんでした。個室に限らずふつうの開放型B寝台も同様で、もはや、廃止されるまで残りわずかの期間、「富士・はやぶさ」に乗れるだけHayabusa_ticketで十分に幸運といえる状況です。
 2月以降はこのような状況にもかかわらず、1月中の平日のB寝台ならまだ余裕のあることを知りました。すぐさま2席分をVIEWカードの会員サービス「とれTEL」で確保。家に帰り妻の了解を得た上で、鉄道にあまり興味を示さぬ長男に「富士・はやぶさ」が特集されている雑誌の写真を見せ、「これ、乗りたいか?」と聞きました。すると長男は、「べつに~」という予想された答えに反し、「えっ、乗れるの? 乗りた~い!」と食いついてきました。話はそれで即決。小学校の先生に理由を正直に申し述べ、学校を休ませての父子旅行をすることに決まりました。
 出発までは1週間。インフルエンザが流行するなか、とにかくとにかく風邪を引かぬよう細心の注意を払って予防に努めました。仕事も何とか調整をつけて、出発の日を無事に迎えたのです。

続きを読む "胸に刻んだ誉れ高き“1レ”"

| | コメント (5) | トラックバック (0)

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »