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タビテツ休刊に思うこと

 線路はつづく。しかし、タビテツはもうつづかない。
 タビテツこと月刊誌「旅と鉄道」(鉄道ジャーナル社)が、現在発売されている2009年2月号(通巻第185号)をもって「休刊」となります。1971年の創刊以来、年4回、鉄道を利用した旅の楽しみを四季折々伝えてくれていたタビテツ。近年は、この季刊に2回の増刊が加わって年6回の発行となり、2007年10月からは月刊化された矢先の出来事です。
 ここ数年のタビテツは、ひとことで言い表せば「迷走状態」。視点が定まらぬ月刊化は記事の粗製濫造を招き、本来あるべき基調を感じ取ることもできず、上っ面の旅行記をテキトーに寄せ集めたようなものばかり。自称”レイルウェイ・ライター”による読者層を無視した独り善がりな連載が幅をきかせ、もはや、かつての精彩はありません。

 私が初めて買ったタビテツは、「北海道・四国 新たなる旅!」という特集記事の組まれた1988年夏の号(通巻第68号)。大学に入ってすぐのことです。P1020840
 一歩も足を踏み入れたことのない両島に関する記事を読みながら、まだ見ぬ夢の大地に思いを馳せていました。この当時はまだ、北海道の『長大4線』(天北線・名寄本線・池北線・標津線)が生きていました。しかし、結局、乗ったのは池北線を転換した「ふるさと銀河線」だけで、ほか3線は乗りそびれてしまいます。銀河線もいまでは鬼籍です。
 あとになって考えれば、大学の授業やバイトなど休んで、どんな無理をしてでもこの4線には乗りに行くべきでした。取り返しのつかぬ選択をしてしまったといまでも後悔していますけど、あの当時は、どういうわけかまじめな学生で、そういう選択をしなかったのです。いまの自分の方が、よほど大胆に時間を使って乗りつぶしに取り組んでいるような気がします。それだけ大人になったのか、あるいは少年に戻っていっているのか、そこは、当の私にもよくわかりません。

 ところで、タビテツの販売部数のピークは1990年代。私は、学生時代に浪人時代に独身時代。バブル経済の中にあっても貧乏な学生でしたが、季刊なら購読が可能で、発売当日に大学生協で購入しては講義そっちのけで読みふけっていました。この頃は季節ごとの最新号が待ち遠しく、インターネットなどなかった時代、鉄道旅の最新情報を仕入れる数少ない手段として重宝しました。ありきたりの旅ではない、ただ鉄道に乗るだけでもない。タビテツは、そういう「ツアー観光」や「鉄道マニア」とは一線を画す旅行スタイルを実践するバイブルだったのです。
 私を青春18きっぷ旅の魅力へ引き込んだのも、乗りつぶし鉄道旅の世界へいざなったのも、みんなタビテツなのです。タビテツを抜きに、私の鉄道旅人生を語ることはできません。
 そんなほろ苦い?思い出が積み重なるタビテツに休止符が打たれるというのですから、それは短い文章では表しきれない深い感慨があります。
 休刊の理由として公表されたのは、「発行部数の伸び悩みによる収支の悪化」。削減や廃止が相次いでいる夜行寝台列車の境遇と重なるのは単なる偶然、あるいは深読みしすぎでしょうか。サービスを提供する側とそれを受ける側の意識のすれ違いが、どちらも根底にあるように思えます。あと2カ月足らずで、東京駅から西へと向かうブルートレインは姿を消します。

 ”タビテツ的旅行スタイル”なるものがあるとして、しかし、なんでも情緒性より効率性が優先されるいまのこの国にあっては、そんなスタイルを提供してきた雑誌が、それを支える列車もろとも姿を消すのは仕方のないことなのでしょう。
 それでも、私は、今日の風に吹かれながらも、書棚を占領し煩悩にしては余りある118冊のタビテツバックナンバーをひもときつつ、孤高のタビテツ的旅行スタイルを続けていきます。

(第156号)

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