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2009年1月の5件の記事

能登線追憶(3)

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のと鉄道能登線甲-沖波間車内より 撮影2005年2月13日Canon IXY DIGITAL400

 能登線下り一番列車は、穴水6時15分発。2月ではまだ暗闇の中です。
 この日は日曜日。廃線が近づいたこの時期、週末の能登線は”お別れ乗車”をする人たちで混雑するようになりました。その混雑を避けようと、地元の人か穴水に宿を取った人でなければ乗ることができない一番列車を選んで、蛸島まで往復することにしました。

 穴水を出てから車窓いっぱいに海が広がる最初の場所がここ。沖波駅に到着する直前に見える「立戸の浜海水浴場」の全景です。この日はなんと、富山湾をはさんで対岸の立山連峰、さらには遠く北アルプスの山肌まではっきりと見えていました。朝焼けの余韻がまだ残る日の出前の情景に、急ぎポケットよりデジカメを取り出し、動く車窓に向かってどうにか撮ったのがこの1枚です。

 沖波駅は、国鉄時代には「立戸の浜駅」という夏の間だけ列車が停まNoto_80115る臨時駅でした。その立戸の浜は、地図に「∴」のマークがつく遠浅の海水浴場で、幼い頃には何度となく海水浴に連れて行ってもらったところです。その頃に私がシャッターを押した写真がこちら(右)。
 ちなみに、国鉄の狙いどおり、立戸の浜への海水浴に汽車で行ったことは一度もありませんでした。

(第158号)

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よみがえる能登線憧景

P1020856 一冊の小さな写真集がここにあります。
 その名は、湯浅啓写真集「能登線憧景」。
 金沢市在住のフリーカメラマン・湯浅啓(ゆあさあきら)さんが、2005年3月に廃止されたのと鉄道能登線(穴水-蛸島間61キロ)の最後の一年と、廃線後から08年夏までを追った写真59点を収め、昨年10月、自費出版したものです。私は、近ごろ偶然、この写真集が上梓されたことを知り、金沢にある発行元「龜鳴屋」より買い求めました。
 切符をあしらったシンプルながら上品な表紙をめくると、見開きの左に写真、右には撮影日や撮影場所とともに作者の思いがわずかに添えられています。その場に居合わせこの目で同じ風景を見ながら、私の写真表現では手が届かなかった“能登線憧景”がここにあります。

 私には写真のセンスもなく、機材にも乏しく、何より能登まで片道600キロという距離。それでも、能登線最後の一年、その姿を遺しておきたい一心で延べ30日間も能登で過ごし、取り憑かれたようシャッターを切り続けました。少なくとも私の中で能登線は、ほかの鉄道に対するまなざしとは明らかに異なる、それに関わるヒト・モノ・コトをすべて包含して成り立っている能登の風景の一部として存在していました。
 その風景を見事な作品として遺された湯浅さんは、能登線がなくなった日、能登線最後の一年を収めた写真集「能登線日和」を出版されています。それと同様、今回の「能登線憧景」も、能登線を通して沿線で暮らす人々の日常が、優しい視線で作為なく写し撮られています。収められている写真の4分の1は、「能登線日和」には収められなかった最後の2カ月の情景です。私の中に存在するおもいでにあって、しかし失ってしまったその景色を、ずっと目に見える鮮やかなものとして記銘する写真の数々。いつまでも忘れえぬ“能登線憧景”がここにあります。

 能登線はもう、一部を残してレールは剥がされ、路盤も切り崩されてしまいました。時の流れとともに、その痕跡は消えていってしまいますが、いまも私の記憶の中で“能登線憧景”は広がっています。「能登線日和」「能登線憧景」は、より多くの人々に同じ情景を伝えていくことでしょう。
 願わくば、このような珠玉の写真集を世に遺して下さった湯浅さんの写真展なども拝見し、私の心の中の“能登線憧景”をいっそう豊かなものにしてくれた湯浅さんご本人に直接会って、「ありがとう」の一言を申し上げたい。その念に満ちながら、写真集の一葉一葉を大切に何度も繰り返し見入っています。現実にはなくなってしまった“能登線憧景”は、そうして、時を止めここにあり続けます。

 最後に、その「能登線憧景」のあとがきから一部を引用して、筆を置きます。

タイトルの「能登線憧景」の憧景は私の造語です。能登線は、私の憧れの情景の中を走るローカル線でした。それで、憧憬と情景のそれぞれの各字を組み合わせてタイトルにしました。「しょうけい」は、「小景」であり「小径」でもあります。いずれも、能登線を撮影しながら感じた言葉です。
能登の、そして能登線の、単なる風景ではない「情景」を、この本を通じて感じていただければ、幸いです。

(第157号)

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タビテツ休刊に思うこと

 線路はつづく。しかし、タビテツはもうつづかない。
 タビテツこと月刊誌「旅と鉄道」(鉄道ジャーナル社)が、現在発売されている2009年2月号(通巻第185号)をもって「休刊」となります。1971年の創刊以来、年4回、鉄道を利用した旅の楽しみを四季折々伝えてくれていたタビテツ。近年は、この季刊に2回の増刊が加わって年6回の発行となり、2007年10月からは月刊化された矢先の出来事です。
 ここ数年のタビテツは、ひとことで言い表せば「迷走状態」。視点が定まらぬ月刊化は記事の粗製濫造を招き、本来あるべき基調を感じ取ることもできず、上っ面の旅行記をテキトーに寄せ集めたようなものばかり。自称”レイルウェイ・ライター”による読者層を無視した独り善がりな連載が幅をきかせ、もはや、かつての精彩はありません。

 私が初めて買ったタビテツは、「北海道・四国 新たなる旅!」という特集記事の組まれた1988年夏の号(通巻第68号)。大学に入ってすぐのことです。P1020840
 一歩も足を踏み入れたことのない両島に関する記事を読みながら、まだ見ぬ夢の大地に思いを馳せていました。この当時はまだ、北海道の『長大4線』(天北線・名寄本線・池北線・標津線)が生きていました。しかし、結局、乗ったのは池北線を転換した「ふるさと銀河線」だけで、ほか3線は乗りそびれてしまいます。銀河線もいまでは鬼籍です。
 あとになって考えれば、大学の授業やバイトなど休んで、どんな無理をしてでもこの4線には乗りに行くべきでした。取り返しのつかぬ選択をしてしまったといまでも後悔していますけど、あの当時は、どういうわけかまじめな学生で、そういう選択をしなかったのです。いまの自分の方が、よほど大胆に時間を使って乗りつぶしに取り組んでいるような気がします。それだけ大人になったのか、あるいは少年に戻っていっているのか、そこは、当の私にもよくわかりません。

 ところで、タビテツの販売部数のピークは1990年代。私は、学生時代に浪人時代に独身時代。バブル経済の中にあっても貧乏な学生でしたが、季刊なら購読が可能で、発売当日に大学生協で購入しては講義そっちのけで読みふけっていました。この頃は季節ごとの最新号が待ち遠しく、インターネットなどなかった時代、鉄道旅の最新情報を仕入れる数少ない手段として重宝しました。ありきたりの旅ではない、ただ鉄道に乗るだけでもない。タビテツは、そういう「ツアー観光」や「鉄道マニア」とは一線を画す旅行スタイルを実践するバイブルだったのです。
 私を青春18きっぷ旅の魅力へ引き込んだのも、乗りつぶし鉄道旅の世界へいざなったのも、みんなタビテツなのです。タビテツを抜きに、私の鉄道旅人生を語ることはできません。
 そんなほろ苦い?思い出が積み重なるタビテツに休止符が打たれるというのですから、それは短い文章では表しきれない深い感慨があります。
 休刊の理由として公表されたのは、「発行部数の伸び悩みによる収支の悪化」。削減や廃止が相次いでいる夜行寝台列車の境遇と重なるのは単なる偶然、あるいは深読みしすぎでしょうか。サービスを提供する側とそれを受ける側の意識のすれ違いが、どちらも根底にあるように思えます。あと2カ月足らずで、東京駅から西へと向かうブルートレインは姿を消します。

 ”タビテツ的旅行スタイル”なるものがあるとして、しかし、なんでも情緒性より効率性が優先されるいまのこの国にあっては、そんなスタイルを提供してきた雑誌が、それを支える列車もろとも姿を消すのは仕方のないことなのでしょう。
 それでも、私は、今日の風に吹かれながらも、書棚を占領し煩悩にしては余りある118冊のタビテツバックナンバーをひもときつつ、孤高のタビテツ的旅行スタイルを続けていきます。

(第156号)

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能登線追憶(2)

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のと鉄道能登線波並-藤波間 撮影2004年11月21日Canon IXY DIGITAL400

 能登線がもっとも海に近づく鵜川-藤波間。矢波、波並、藤波と「波」のつく名の駅が3駅連続する能登線のハイライトです。
 地図では内浦(七尾湾)に沿って線路が敷かれているように見える能登線ですが、番号が、いろはにほへと……と続く49のトンネルに象徴されるよう大半は山あいを走り、海を臨む区間はそう多くありません。波並駅を発車した下り列車はグイグイと坂道を登り、海を眼下に見晴らす高台へと上がっていきます。Img_2712
 この日は朝から雨で、宇出津駅に車を停めて、一日中、能登線の列車に乗っていました。夕方になって雨は上がり、雲の切れ間からのぞく夕日を背に宇出津駅に向かう汽車の中でシャッターを押したのがこのカット。細波立つ広い海と控えめに光る二条のレールが写り、印象深い写真に仕上がりました。
 画質はけしてよくありませんが、私にとっては、いろいろ思い巡る大切な1枚です。

*参考
 私が大切にしている湯浅啓写真集「能登線日和」(2005年、能登印刷出版部)の18pにも、ほぼ同画角の写真が「道行」の画題にて掲載されています。撮影場所を「波並-矢波間」とされていますが、この場所は上記のとおり波並-藤波間で、私の記述に間違いはありません。

(第154号)

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川越夕景(10・世界天文年バージョン)

P1020558 1月2日午後,入間川を渡る際,裾野の雪が反射して光る富士山が見えました。いったん家に戻り,黄昏時の写真狙いでいつもの場所に出向きました。夢中になってシャッターを切るさなか,ふと暗くなった空を見上げると,月と金星が煌々と輝いていました。
 宵の明星と呼ばれるほど明るい金星ですが,コンパクトデジカメで撮った写真ではディスプレイの埃と区別がつきません。画角もふだんの約3倍広く,富士山がかなり小さくなってしまいました。まあ,たまにはこういう写真もいいでしょう。

 ところで,2009年は「世界天文年」。
 1609年にガリレオ・ガリレイが自作の望遠鏡を空に向け,人類初めてとされる天体観測を行ってから400年。国際連合,UNESCO(ユネスコ・国連教育科学文化機関)や国際天文学連合が,その節目となる記念の年を"International Year of Astronomy"「世界天文年」と定めました。公式スローガンは,「宇宙 … 解き明かすのはあなた」。そりゃあ少々無理があるというものですが,今年一年,いろいろなイベントがありそうで楽しみです。

 夜空を見上げ,広大な宇宙の中にある地球,そのなかでの……,という観点で物事を考えてみるいい機会なのかもしれません。

Iya2009世界天文年2009の公式ホームページはこちら

               *          *          *
*撮影データ
2009年1月2日17時14分,川越市的場にて撮影
Panasonic LUMIX DMC-LX3,絞り優先AE,ISO80,Tv1/6,Av2.0,28mm
ホワイトバランス曇り,ストロボoff,元サイズ1768×2656
リサイズ修正及びシャープ処理のみ,色調補正及びトリミングなし。
(「川越夕景(6)」(第141号)に掲載した写真を撮影した場所と同じ所です)

(第152号)

川越夕景(9)<<   >>

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