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教師は聖職者である、がゆえに…

 将来何になりたいか。この問いに対する私の答えは、大学4年まで一貫して「先生」でした。そのような私が大学に行ったのは、まず第一に教員になるためでしたから、教職課程をきちんと履修し、教育実習にも行きました。そして、大学卒業と同時に中学校及び高等学校の「教育職員免許状」を授与されました。
 しかし結局、公立私立を問わず教員採用試験を受けることはしませんでした。ここで簡単には説明のできない葛藤のすえ、いまに続く司法書士になることを選んだわけですが、そのような次第で、私の教育関係者に対するまなざしには人一倍厳しいものがあるかもしれません。
 なので、大分県で発覚し波紋が広がる教員採用をめぐる汚職事件については、言葉にできないような憤りを感じています。合格者の半数に不正の疑いがあり、何より許せないのは、本来合格ラインにある受験者の得点を下げることまでしていたことです。挙げ句には、校長や教頭の昇任試験までも汚職まみれ。子どもたちに説明のしようもありません。
 それでも起きてしまったことは説明するしかありません。そのために、大分県教育委員会が16日明らかにした「不正合格が確認された教員の採用を取り消し、本来の合格者を救済する方針」は、あまりに当たり前のことです。これに対し、17日開かれた大分県内18市町村の教育長らの臨時会議で、「取り消しでなく、試験をやり直すべきだ」「教諭が不安を感じながら授業をするのは困る」と異論や疑問が相次いだことが報じられました(18日付け朝日新聞東京本社版社会面記事)。こうした異論に強い違和感を覚えるのは私だけでしょうか。
 もしも、大分の各市町村教育長らの声がまかり通り、不正をした者に対して何らかの”温情”が図られるとすれば、まさに「赤信号、みんなで渡れば怖くない」。不正も大規模にやればやった者勝ち、を裏打ちし、不正行為を推奨しているのと同じことです。それは、この子どもたちに説明のしようのない事態に対する、さらに説明のしようのないことです。
 そもそも不正を行って今の職を手にした先生方は、ご自身で自ら申告してお辞めになるべきです。これが調査を待ち、処分を待ち、それまで教壇に上がって子どもたちに何を教え諭すというのでしょう。仮にいま、対象の先生方がどんなに「いい先生」になっていようと、不正が阻却されることは許されないというべきです。それが全教員の半分になろうが4分の3になろうが、すべて懲戒免職されるのは当然のことです。教職課程で「教師は聖職者である」と繰り返し学んだことは忘れもしません。その試験の公正さは何を差し置いても守らなければなりません。

(第84号)

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