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2008年7月の8件の記事

都立清瀬小児病院をなくさないで

Kiyose 東京都は、「都民の医療ニーズに適切に対応し」多摩地域における小児医療の”充実”を図るという趣旨で、 2010年3月までに、清瀬小児病院、八王子小児病院及び梅ヶ丘病院の3病院を廃止し、都立府中病院隣接地に建設する「小児総合医療センター」(仮称)へ移転するという統廃合計画を進めています。
 廃止される3病院は、いずれも小児医療における高度な医療を提供しており、清瀬小児病院は国内でも有数の小児専門病院として、腎疾患、新生児・低出生体重児、心疾患、悪性腫瘍、先天性代謝異常、結核など、小児疾患に係る総合的な高度・専門医療を提供しています。また、子どもたちが治療を受けながら安心して学習することができるよう、病院敷地内に都立久留米養護学校分教室が設置されています。
 清瀬小児病院の廃止は、多摩地域だけの問題ではありません。清瀬小児病院を失えば、隣接する埼玉県南西部全域の小児救急医療が喪失するという大問題なのです。
 近年の医師不足のなか、所沢市・狭山市・入間市の3市でつくる医療圏の小児2次救急医療体制は崩壊し、輪番病院が存在する曜日が1週間のうち3日しかなくなってしまいました。防衛医科大学校病院という拠点病院のある所沢市でさえ、小児救急患者の1割が清瀬小児病院に搬送されていると公表されています。高度医療に関しても清瀬小児病院の入院患者の3割、外来患者の4割が埼玉県民で占められています(埼玉県議会における一般質疑より)。このように埼玉県南西部の小児医療は清瀬小児病院によって辛うじて成り立っているのです。

 私の二男は富士見市の産院で生まれましたが、すぐに生死の境をさまよい、その産院では手に負えずNICU(新生児集中治療施設)のある清瀬小児病院に搬送され、一命を取り留めました。
 二男には、脳性麻痺による肢体不自由という重度障害が残り、その後も入退院を繰り返していますが、私たち家族がいま普通に生活ができるのは、地域にこうした医療機関があって支えられているからに他なりません。このまま清瀬小児病院が廃止されることになれば、私たち家族はもちろん、さらに重い障害や病気を抱えて清瀬小児病院で命を繋いでいる多くの家族が路頭に迷う、文字通りの死活問題となります。

 そこで皆さんにお願いです。
 東京都のこの計画の見直しを求めるために、いま署名を進めています。ご協力いただける方がいらしたら、ぜひ広げてください。そして誠に厚かましいお願いですが、記入済みの署名用紙は下記宛に郵送してくださると助かります。
 なお、この署名は10月末頃までに当方にて集約し取扱団体へ送付の上、12月の都議会に提出を予定しています。子どもたちの命を繋ぐ地域の「砦」を守るため、これが最後のチャンスかもしれません。何とぞお力をお貸しいただきたくお願い申し上げる次第です。

署名用紙をダウンロード(ファイル名:kiyose-sign.pdf)
 署名は、都民に限らずどなたでもけっこうです。

(送付先)
 〒350-0057 埼玉県川越市大手町7番地16
  司法書士広田博志事務所 宛て
 連絡先049-225-7088 pxm04515@nifty.ne.jp

*追加関連記事
NICU増床計画における私の視点(第171号)
都立小児病院を守る最後のチャンス(第234号)

(第87号)

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川越夕景(4)

 昨日に引き続き、川越は今日もきれいな夕焼けでした。
 刻一刻と色合いの変わる空は、いつ見ても、何度見ても飽きないですねえ。
F1010096

F1010095  この2枚の写真。ほぼ同時刻に連続して撮影したものです。下の方が赤みが強いのは、パソコンで編集したわけではありません。デジカメのホワイトバランスの設定を変えるとこのようになります。下の写真のように、いかにも”夕焼け!”という写真を撮りたい場合、ホワイトバランスを「くもり」にします。上の写真は「オート」で撮っています。
 ちなみに、この2枚。携帯のカメラで撮ったものです。撮った写真の色合いがどうも?というとき、ホワイトバランスをいじってみると幸せになれるかもしれません。携帯のカメラにも付いているような一般的な機能です。

(第86号)

川越夕景(3)<<   >>川越夕景(5)

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川越夕景(3)

 先週,体温が身体にこもるような状態で38度前後の微熱が続きました。金曜日になって事務所近くの医院に行ったところ,夜になって熱が上がったりしないなら軽い熱中症でしょう,と診断され,スポーツドリンクで水分を取って安静にするよう言われました。
 ところが,その金曜の夕方から熱がぐんぐん上がり始め,帰宅して検温すると39度5分の高熱に。4リットル以上のポカリを飲み干しても熱は一向に下がらず,意識ももうろうとしてきました。氷枕で頭の上下から,さらに保冷剤を両脇の下に挟んで冷やしてもそれでも熱は下がらず,以前に病院で処方してもらった解熱剤を服用して何とか38度台に下がりました。
 こうして何とか夜をやり過ごしたものの全身はフラフラ,頭も強烈な頭痛が襲っています。あまりの高熱に不安を感じ今度は自宅近くの医院に行ったところ,夏風邪だということで薬を処方してもらいました。
 その薬を飲み,土曜日曜と寝て過ごしたら,体調は快方に向かいました。結局,熱中症だったのか夏風邪だったのか。久々の高熱に襲われた週末でした。どちらにしても暑さが厳しいですから,皆さんもご自愛下さい。
 日曜日。午後からまた激しい雷雨でした。夕方になりようやく雷鳴が遠のき,雨も小降りになったころ,横になりながらふと窓の外を見上げると,何とも巨大な虹。大きいだけでなくきれいな弧を描き,虹の下側が夕日に照らされ輝いているではありませんか。しかも,それが二重になって空に架かっていました。急ぎカメラを取り出し窓の外を見上げると,もう虹は消えかかっていました。ほんの数分の出来事でした(電線が写らない場所を探している余裕はありません)。
Img_2946

Img_2953

 家を出て少し歩いてみると,消えつつある虹の奥の方は黒い雷雲で稲妻が走っていました。一方,反対の西の空は焼けていくのが見えました。空が開けて見える場所に立ち止まり,金色(こんじき)から赤が強くなり輝きが頂点に達したと思う瞬間を撮りました。夏休みの少年たちの記憶に残る夕日だったかもしれません。そんな思い出の夕日,皆さんにはありませんか?

追伸
私がフラフラだった土曜日,二男は退院してきました。いまは至って元気です。

(第85号)

川越夕景(2)<<   >>川越夕景(4)

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教師は聖職者である、がゆえに…

 将来何になりたいか。この問いに対する私の答えは、大学4年まで一貫して「先生」でした。そのような私が大学に行ったのは、まず第一に教員になるためでしたから、教職課程をきちんと履修し、教育実習にも行きました。そして、大学卒業と同時に中学校及び高等学校の「教育職員免許状」を授与されました。
 しかし結局、公立私立を問わず教員採用試験を受けることはしませんでした。ここで簡単には説明のできない葛藤のすえ、いまに続く司法書士になることを選んだわけですが、そのような次第で、私の教育関係者に対するまなざしには人一倍厳しいものがあるかもしれません。
 なので、大分県で発覚し波紋が広がる教員採用をめぐる汚職事件については、言葉にできないような憤りを感じています。合格者の半数に不正の疑いがあり、何より許せないのは、本来合格ラインにある受験者の得点を下げることまでしていたことです。挙げ句には、校長や教頭の昇任試験までも汚職まみれ。子どもたちに説明のしようもありません。
 それでも起きてしまったことは説明するしかありません。そのために、大分県教育委員会が16日明らかにした「不正合格が確認された教員の採用を取り消し、本来の合格者を救済する方針」は、あまりに当たり前のことです。これに対し、17日開かれた大分県内18市町村の教育長らの臨時会議で、「取り消しでなく、試験をやり直すべきだ」「教諭が不安を感じながら授業をするのは困る」と異論や疑問が相次いだことが報じられました(18日付け朝日新聞東京本社版社会面記事)。こうした異論に強い違和感を覚えるのは私だけでしょうか。
 もしも、大分の各市町村教育長らの声がまかり通り、不正をした者に対して何らかの”温情”が図られるとすれば、まさに「赤信号、みんなで渡れば怖くない」。不正も大規模にやればやった者勝ち、を裏打ちし、不正行為を推奨しているのと同じことです。それは、この子どもたちに説明のしようのない事態に対する、さらに説明のしようのないことです。
 そもそも不正を行って今の職を手にした先生方は、ご自身で自ら申告してお辞めになるべきです。これが調査を待ち、処分を待ち、それまで教壇に上がって子どもたちに何を教え諭すというのでしょう。仮にいま、対象の先生方がどんなに「いい先生」になっていようと、不正が阻却されることは許されないというべきです。それが全教員の半分になろうが4分の3になろうが、すべて懲戒免職されるのは当然のことです。教職課程で「教師は聖職者である」と繰り返し学んだことは忘れもしません。その試験の公正さは何を差し置いても守らなければなりません。

(第84号)

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自治会が募金を集金すること

F1010068  先日、自治会の回覧板で「岩手・宮城内陸地震被災者に対する義援金のお願い」という川越市自治会連合会からの文書が回覧されました。全世帯分の封筒まで用意され、班長が後日集金する旨の付箋が挟み込まれていました。
 文書には、「この義援金は強制ではありません」としつつ、「1世帯あたり100円を目安」という下線付きの記載があって、記名式の封筒を配り集金を行うというものです。
 義捐金をこのようなやり方で一律に徴収することは、その性格上ふさわしくないばかりか、そもそも手法として問題があると私は考えます。いくら強制ではないと謳ったところで、目安額を示して集金すれば、それは事実上の強制というのです。

 災害という特別な事態であることをさておいたとしても、同様の方法で、自治会を通じて年中行事のごとく集金活動が行われています。思い出す限り挙げてみますと、日本赤十字社社資・募金、緑の募金、社会福祉協議会会員募集、愛の募金、赤い羽根共同募金、歳末助け合い募金…。何かしらの“無心”が、年がら年中“公的ルート”を通じてやってきます。
 そもそも、こうしてなされている諸活動が欠かせないものであり、全国で組織化され、永年続いていくものであるのなら、それは国や地方自治体が税金を投入して行うべき事業であるはずです。これは川越市に限らず、全国どこでもほとんど同じようになされているのではないでしょうか。
 このように年間を通じ自治会の回覧板で一方的に目安額を伝えられ封筒を取らされ、班長が戸別集金して、組長、自治会長へと上納されていくわけです。目標額を示すものまで存在します。募金等を募る趣旨を否定するものではありませんが、この実態は、どんなに少額とはいえ、他人に対し支払い義務のない金員の拠出を求めるやり方でも態度でもない、と思うのは私だけでしょうか。

 募金や寄付金は、その性格からして、本来これを受け取る団体等やその使途いかんを問わず、すべて個人の思想及び良心に従い任意に行われるべきものであり、何人もこれを強制されるべきものではありません。
 そして、憲法が保障する思想及び良心の自由とは、募金をするという積極的な意思表示を保障すると同時に、募金をするしないという判断を「沈黙する自由」をも保障するものです。自治会という公共性の高い組織が募金や寄付金・義捐金を「集金」することは、思想及び良心の自由の観点から不適切といわざるを得ません。

 裁判所も、上記のような募金を自治会費に上乗せして集金する行為が、憲法の保障する「思想、信条の自由を侵害するものであって、公序良俗に反し無効というべきである」という判断をしています(最高裁判所第一小法廷平成20年4月3日決定、原審大阪高等裁判所平成19年8月24日判決、判例時報1992号p72所収)。
 自治会の役員をされている方はこの判決文をよく読み、記名式の封筒を配ったり、目安額を示したり、集金するようなことは直ちに中止してもらいたいものです。百歩譲って回覧板で告知することは認めるとしても、戸別に集金することだけは絶対に止めるべきです。

        *          *          *          *

※大阪高等裁判所平成19年8月24日判決の全文は、以下のとおりです。
 一般の方は、主に下線を引いた箇所をお読み下さい。

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反貧困全国キャラバン2008

 「人間らしい生活と,労働の保障を求めて,つながろう!」をテーマに反貧困を訴える全国キャラバン東ルートの出発集会が,本日,さいたま市浦和区で開催されました。
 集会では,わが国において急速に拡大している格差や貧困について,非正規雇用の搾取に苦しむ現場からF1010082の切実な生の声や,様々な専門家たちの取り組みなどが報告されました。笹森清氏(中央労福協会長・連合 元会長)の基調講演,湯浅誠氏(NPO法人自立生活サポートセンターもやい事務局長),藤田孝典氏(NPO法人ほっとぽっと代表理事)及び河添誠氏(首都圏青年ユニオン書記長)らによるパネルディスカッション,宇都宮健児弁護士による運動提言などののち集会宣言を採択し,JR浦和駅前から埼玉県庁前までをデモ行進しました。
 キャラバン東ルートの出発地となった埼玉県では,三郷市が,病気で働けなくなった一家の行った生活保護申請を1年半にわたり約10回も拒否し続け,弁護士の同行によって保護開始が実現するも,2カ月後には市外への転居を迫られて保護を打ち切ってしまうという事件(いわゆる水際作戦&硫黄島作戦)があり,現在,さいたま地裁に国家賠償請求事件として係属中です。

 全国的にこのような状況が蔓延しているなかで国は,最低生活費の目安である生活保護基準(ナショナル・ミニマム)を切り下げようとしています。すでに老齢加算・母子加算が削減・廃止されました。さらに生活保護基準が切り下げられると,これに連動している地方税の非課税基準,就学援助や国民健康保険料・介護保険料の減免基準など国民全体の生存権保障の水準が切り下げられることとなり,私たちの生活はよりいっそう底の抜けた状態になってしまいます(反貧困全国キャラバン2008のビラより一部引用)。
 これは,いま生活保護を受け,あるいは受けなければならない状況に置かれている「貧困層」だけの問題ではなく,いつか自分たちも働けなくなった場合に受けなければならない私たち自身の制度の問題です。生活保護制度は,誰にも起こりえる万が一のとき,生きていくための最後のセーフティネットなのです。
 ワーキングプアという言葉に象徴される,いくら働いても生活していけない雇用形態というものも,どう考えてもおかしいことです。しかしいまの日本は,働く人の3人に1人以上,その数1890万人がパートや派遣といった非正規雇用で,その多くは低賃金に苦しめられています(非正規雇用者の9割以上が年収200万円以下,正規雇用者ですら3割以上は年収300万円以下です)。
 働いていても生活ができない人や働くことができない人が最後の拠り所として生活保護を求めるのは当然の権利です。ただそうは言ったところで,それを求めると違法に追い返され,運良く保護を受けられても今度は追い出される実態。穴だらけでボロボロになったお粗末な福祉制度ゆえ,働くことができなくなれば,それが死に直結している現実があります。1年間に3万人以上が自ら死を選ぶのが”ふつう”になっている”経済大国”。自ら死を選ばなければ,「オニギリ食いたーい」と思いながら,そんなことすら叶わず餓死することを余儀なくされているのは特別な一例ではありません。もはや「健康で文化的な最低限度の生活」が当たり前のようにできる社会ではないのです。しかも,国がそれを是正する方向ではなく,拡大する方向での政策を積極的に推進しています。これは明らかに政策の誤りです。政策の誤りを質すのは政治家の役目ですが,その政治家を選ぶのは私たち国民です。
 みんな,いつまでガマンしますか。…先日の養護学校のことといい,今日はまた,いろいろと考えさせられた一日でした。

 全国キャラバンの西ルートは,1日早い12日,北九州市を出発しました。生活保護の申請を福祉事務所が違法に受け付けず,追い返された市民が餓死する事件が3年連続で発生した場所です。その福岡とここ埼玉から2台のキャラバンカーが列島をそれぞれ半周し,10月19日に東京・明治公園にゴールする予定です。キャラバンカーが無事に全国を走り抜け,貧困に抗するネットワークが力強く広がっていくことを願っています。

(第82号)

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150分の100分の2

 きょう,埼玉県内にある1つの養護学校を見学してきました。
 これまでにもこのブログで触れているとおり,私の二男は肢体不自由の重度心身障害児であるため,学齢になれば,ふつうの小学校ではなく養護学校に通うことになると思います。まだまだ先のことではありますが,準備は早いことに越したことはありません。以前には,公立保育園への入園を2年続けて断られたため妻が休職を余儀なくされ,やむなく行政不服審査法に基づく異議申立てをするなどして,ようやく市に受け入れてもらった経緯もありました。未知の世界であるがゆえ,先のことを思うと不安で一杯なのです。

 さて,養護学校の中に立ち入ったことは生まれて初めて。見学して感じたことは,施設が充実し,障害者のための施設ゆえの配慮が随所にあって,教職員によるケアもしっかりなされているように思いました。
 一方で,専門のスタッフが行っているものとばかり思っていた医療的なケア(具体的には,痰の吸引行為など)を,実は行っているのは母親なのだという説明もありました。てっきり看護師だと思って見ていた人が母親であったとは。案内して下さった職員の方曰く,「登校から下校までお母さんには別室で待機してもらって必要に応じてああやって…」と,それがごく当たり前のような話しぶりであったことに愕然としてしまいました。

 この養護学校の場合,小中高と約150名の在籍児童生徒数で,そのうち約30名に医療的なケアが必要とのことです。そのニーズに応ずるべく看護師資格のある養護教員が2名在籍しているとの説明でした。しかし30名に対して2名という基準ではなく,児童生徒数が150名なら,教員数を100名配置し,その100名のうちの2名は看護師資格を持つ者にする(非常勤で+1という対応をすることもあるそうですが)というのが埼玉県の標準だということでした。つまり,「150分の100分の2」基準ということです。
 こうした2名も,看護師としてではなく教員として配置されているため,医療的なケアだけに専念することもできないのだそうです。これでは通う子どもたちの医療的ケアをすべてカバーできるはずもなく,その”穴”を埋めるため,1カ月のうち1~2週間は「母親」が学校に待機しながら自身の子どもの医療的ケアを行うのが「当然」なのだそうです
 これでは,父母のうちのどちらかは仕事に就くことができないのが”当然”ということに直結します。まあ,母親に限定しているわけではないのでしょうが,現実問題としては多くの場合,母親の方にその負担が押し寄せられているということは容易に想像できます。

 障害を持った子どもを抱えた家庭,とくにその母親は,職を持ち働く機会を奪われ,働く機会を得たとしても周囲の無理解からその意欲は削がれ,自己表現や社会活動の時間を与えられず,どんどんふつうの社会生活から隔絶し,やがて断絶を余儀なくされていきます。わが家もその過程にあると言っていいかもしれません。ある日突然,偶然に訪れた障害児を抱えるハンディを背負いながらも,「ふつうの暮らし」をしたいだけなのにそれができない現実。
 わが国の障害児教育は2007年,従来の「特殊教育」から「特別支援教育」へと名称も法制度も変更,移行しました。しかし,財政的な裏付けは十分とはいえず,重度や重症の障害児へのケアが行き届いているとはお世辞にもいえません。「150分の100分の2」という数字がそれを如実に物語っています。「障害者自立支援」とか「特別支援」とかいう看板は立派でも,その裏側で障害児本人はもちろんのこと障害児を抱える家族もまた,必要とされる支援は行き届かず,自立どころか孤立を着実に深める日々を送っています。
 わが家の場合,妻が生きがいをもって20年も働いている会社を辞めるか,私がひと月のうち半分休む司法書士になるかの選択を迫られるわけです。こんなことを選択するのが自己決定権の尊重やノーマライゼーションだというのではないと思うのですが……きょうの見学は,いろいろな意味でいい勉強になりました。国や県から厳しい学校運営を強いられている中で「学校公開」を企画され,見学のために準備をして時間を割いて下さった養護学校の関係者各位に感謝する次第です。

 追伸
 きょう,二男は清瀬小児病院を退院しました。今回は2週間の入院となりご心配をおかけしました。多くの方々にお気遣いいただきありがとうございました。このような場で申し訳ございませんが,ご報告申し上げます。
 そんなことできょう1日,仕事を休みました。関係各位にはご迷惑をおかけいたしましたが,明日以降,通常どおり執務いたします。

【7月9日追記】
 一日経って、 この問題、ちょっとだけネットで検索してみました。
 どうやら古くて新しい課題でもあるようです。

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一杯のcoffeeのために

 外出先でのほっと一息のため、喫茶店に立ち寄ることがあります。
 そんなとき、どこに行っても迷わず入れるのがスターバックスです。
 迷わず…?? どうすればタバコから逃れられるか。そう、スターバックスは完全禁煙なのでタバコの煙が流れてくる心配をせずに”ほっと一息”できるのです。同種のコーヒーショップでも分煙が進んできてはいますが、禁煙スペースが店舗の奥の方であったり、仕切りが全くないところも珍しくはありません。ルノアールやシャノアール(名前からして似ている?!)といった喫煙OKを売りにしているようなお店などは、私にとっては論外です。
 一服するために立ち寄る場所がストレスの原因になっては意味がありませんし、そもそもコーヒーは香りをも楽しむものですから、それをかき消して余りあるタバコなんて両立し得ないものだと思います。
 「自宅や学校、勤め先とは違うくつろぎの空間。美味しいコーヒーの香りに包まれて、なぜかほんの少し幸せな気分になれる場所……。スターバックスが目指すのはそんな第三の場所、”サードプレイス”です。」~Business Report  FY2007 Starbucks Coffee Japan,Ltd.より
 ノースモーキングはそういった思想から導かれているのでしょう。これだけでも十分魅力的ですが、こうした配慮、店舗デザイン、パートナーと呼ばれる従業員の接客、それらが一体となることで「スタバ」としての調和を醸しているのだと思います。
F1010056  街にそのような場所を提供しているスタバを応援する意味で私は、同社の株主になっています。株といってもスタバ株は1株から購入可能、7月1日の終値は49,500円です。1株あたりの年間配当金は300円で税金を引かれると、スタバでコーヒー1杯すら飲めませんが、ご安心あれ。「お好きなドリンクどれでも1杯無料」という株主優待券が2枚もらえます。
 いやらしい話ですが、これでお気に入りの「アズキクリームフラペチーノ」のベンティ(一番大きいヤツで560円相当)と引き換えます。これはもうコーヒーではありませんけど、上品な甘さの小豆の”冷菓”。オトナの味。これからの季節、このフラペチーノは最高なんです。ただ、これだと投下資本の回収に35年もかかる計算ですが。

(第80号)

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