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2008年5月の6件の記事

事実と意見を考えて

 日本司法書士会連合会が発行している月刊誌「月報司法書士」で、今年1月号から、某大手新聞社の論説委員による「司法書士のための文章技術」という講座記事が連載されています。
 最新の5月号は、「『事実と意見』を考える」というテーマでした。文章の書き方に関する本には、必ずと言っていいほど挙げられる事柄です。しかしこれは、モノを書く者にとって、”判っちゃいるけど…”という永遠のテーマともいうべき困難な課題でもあるのです。でも、これが判っているのと判っていないのとでは、天と地ほどの差が出てきます。

 私たちは、日常生活の中で、人それぞれ様々な意見を持っています。ときに、意見と意見がぶつかり合い、議論が生じることがあります。ここで議論を「けんか」と混同してしまってはいけません。議論とけんかは似て非なるものなのです。
 例えば、甲論を展開するグループAに対し、甲論を批判するグループBが乙論を展開したら、両者の議論により甲論と乙論の違いが次第に絞られて争点が明確化し、両者間での説得や妥協をしながら合理的な結論が導かれる。そのようにして問題の解決を図っていくために議論をするわけです。これが法的な問題を含む現場における対立であれば、まず事実に裏付けられた仮説を立て、その立論は法的な論考を踏まえた検証を経て、絞られた争点にはさらに法的な検討がなされ、結論は法的に妥当な内容で解決されなければならないものです。こうした議論は、文章によってなされることで緻密さが増し、無用な誤解などを回避することにもなるのです。訴訟はその典型ともいえるでしょう。
 ですから、議論の過程において書かれる文章というものは、より厳密に事実と意見を区別して書かれなければなりません。抽象的な表現は慎み、事実は具体例を挙げ、そのことと関係があるような意見を簡潔明瞭に述べるようしなければならないのです。このことは単なる文章論に留まらず、訴訟実務において避けて通れない要件事実論にも通じるところがあると思います。
 仮に、グループAが先輩集団でグループBが後輩集団だからといって、Bによる乙論を展開する書面に対し、「先輩に楯突くのはけしからん」「失礼な話」だと反論する書面をAが書いたとしたらどうでしょうか。超高利のヤミ金融から借りて返せなくなった当事者に、「借りたものを返すのは当然だ」と説教するのはどうでしょうか。
 そんなことをしても法的に争点は絞れませんし、それに説得力がありません。法的な解決には繋がりませんし、リーガルマインドをもってすれば、そもそも無関係で無意味なことに気付くはずです。それどころかむしろ、誤解を生じさせ、感情的な対立をも呼び起こす危険すらありますから、注意して避けるべきなのです。

 司法書士という漢字からは、法を司る「書」の「士」(さむらい)であることが読み取れます。そこには、司法に関する書き物によって人様から報酬を頂く、という司法書士資格の歴史的な経緯が込められています。訴訟の現場においていまでは、訴状や準備書面の作成という書き物だけではなく、一定の限度で代理人となって報酬を頂くようにもなりました。そのようなプロ中のプロともいえる団体の機関誌にあって、文章技術を説く講座が連載で組まれるという背景には、司法書士による文章技術がぐずぐずになってしまっている現状があるということでしょうか。
 このようことを懸念するのは、司法書士が書く文章において、最近とみに、事実と意見がごちゃ混ぜになってしまったものを目にする機会が多くなったからです。
 事実を述べているとしか読み取れない部分で客観的な事実でないことが書かれ(つまり裏付けがない)、それゆえ意見が幾重にも飛躍しているような形のモノは枚挙に遑がありません。すでにこのブログでも最近の記事で具体例をお示ししました。また、どこの誰がとはここであえて申し上げませんが、いまだにそのようなぐずぐずになった書き物を目にしてしまいます。
 このような文章群は、「他山の石」としては有用なこともありますけど、あまりにみっともなくて、何だかこちらが恥ずかしくなってしまいます。議論をけんかの次元に押し下げ、それでいて議論にならないなどとボヤいているんですから、それこそ失礼な話で、笑い種もいいところです。

 いい文章を書くためには、いい文章にたくさん触れることが大切です。それ以上に大切なことは、数多くの文章を実際に書くことです。もちろん、書く際には事実と意見の区別にできる限り注意しなければなりません。意見を書くならまず事実。筆を滑らすのも自分、止めるのも自分。少なくとも私は、みなさんに「他山の石」を提供することにならぬよう、気を引き締めたいと思います(…この文章は意見ばかりですが)。

(第74号)

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川越夕景(2)

Img_2497  今朝、お客様宅に書類を届ける約束がありました。その前に保育園へ子どもを送り、法務局に立ち寄り、その時点でもう、スーツのズボンの折り目は消えていました。
 土砂降りの雨に、強い風。それでも昼過ぎには雨も上がり、青空が見えてきました。適度に雲もある、”いい感じ”になりました。こういう天気のときは、いい夕焼けが見られることが多いので期待しました。
 しかし、夕方が近づくにつれ、再びどんよりした曇り空に。残念ながら、期待したほどの夕焼けは現れませんでしたね。

(第70号)

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かえるてん

 県立こども動物自然公園(東松山市)で、6月1日まで開かれている特別展「かえるてん」を見てきました。
 今年は「国際カエル年」で、同公園もこの活動に参加するため、この展示会を開催したそうです。なお、国際カエル年のことは、当ブログでも1月30日付けでご紹介しました(http://hirotahiroshi.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_9f71.html)。

 さて、「特別展」というので、さぞかし大勢のカエルたちに会えるだろうと期待で胸をふくらませました。公園に着き会場となっている「森の教室」に行ってみると、田舎の集会所を思わせる小学校の教室ほどのスペースに、カエルたちは展示されていました。
 端っこの畳2枚ほどのスペースで、里山をイメージした水田のジオラマがあり、そこにおたまじゃくしが少々。それから、細工されたパネルに埋め込まれるように水槽が10個ほどあって、水槽と同じくらいの数のカエルがいるに過ぎませんでした。外国のカエルが多く、初めて目にする珍しいものばかりでしたが、”ところ広し”といっ080517た感は否めません。期待でふくらんでいた胸は、風船がパッと割れるように消えてなくなりました。
 同じ場所で行われた工作教室で「ピロピロガエル」を作り、それをピロピロやりながら他の動物たちを見て回りました。急に雲行きが怪しくなり、屋根のある場所でにわか雨をやり過ごしました。雨はすぐ止みましたが、遠くから雷鳴が聞こえてきたので家路につくことにしました。
 出入り口ゲートにある「かえるてん」のポスターをバックにして、係の人に家族写真のシャッターを押してもらったら、「記念にどうぞ」といろいろな鳴き声のするカエルのおもちゃを頂きました(写真中央奥)。係の人も、きっとカエル好きなんでしょう。

 川越の田んぼにも、ようやく水が張られ始めました。今年は、例年より少し遅めです。でも、夜になるともう、カエルの大合唱会が連日開催されています。

(第69号)

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通りゃんせ

080511_2080511_1 朝日新聞には「be」という8ページものの別冊があります。
 5月10日付けの赤いbeでは,連載記事「うたの旅人」に,わらべうた「通りゃんせ」を取り上げ,三芳野神社を中心に川越のことが紹介されていました。
 川越は,「小江戸」と呼ばれる城下町です。その川越城(別の名を初雁城といい,日本100名城の一つです)の本丸御殿すぐ近く,木立に囲まれたところに三芳野神社はあります。市教育委員会の立て札によれば,平安時代の初期に成立したと伝えられる,とされています。この三芳野神社が通りゃんせの発祥地とされているのですが,諸説・異論もあるそうです。詳細は,図書館などで記事をお読みください。
 そんな観光地の中核にありながら,辺りは公園の一画のようで訪れる観光客はまばらです。私の事務所からは歩いても5分ほど。昼食の帰り道,缶コーヒー片手に境内のベンチに腰を下ろし,しばし読書をすることもあります。Toryanse
 この風景は18年前,切手にも描かれています。また,つい先日(5月2日)には,「時の鐘」も切手の題材になっています。時の鐘は川越のシンボルともいうべきもの。いまも1日4回,蔵の街に時を告げていて,事務所の窓を閉め切っていても鐘の音色が伝わってきます。
(左が1990年発行のふるさと切手「ふるさとの童謡シリーズ」埼玉版で,当時の関東郵政局管内でしか発売されていません。右は2008年発行のふるさと切手「ふるさとの風景第1集」で,解説帳とともに全国販売されました。第1集10地域の一つに選ばれたのは光栄ですね。)

 いまではすっかり全国区の観光地となった川越は,年間550万人ものお客様が訪れる街となっています。旅番組や雑誌での紹介は当たり前となり,今度はNHKの連続ドラマの舞台にもなるそうです。市では年間の観光客数の目標を1,000万人としているそうですが,そうなったらライトレールでも走らせないと,それだけの人を招き入れるのは無理でしょうね。
 埼玉ではここだけの伝建地区(国選定の重要伝統的建造物群保存地区)なのに,その中心を貫く県道の車の往来や,押し寄せる多くの観光客の喧騒で,蔵づくりの町並みが醸すせっかくの風情は消え去りそうです。ツアーバスが連なるとき,時の鐘の音色はかき消され,そこには通りゃんせの歌声ではなくエンジンの音が響き渡っています。

(第67号)

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ホカベン

 主人公・堂本灯(どうもとあかり)。職業は”弱者救済”の夢を追う新米弁護士。
 同名の漫画を原作とする日テレ系の水曜ドラマで,今週で4話まで放送されました。
 弁護士モノにありがちな現実離れしすぎた演出がさほど多くはなく,ノンフィクションを思わせるところもあって,なんとなく初回から見続けています。しかもビデオに撮ってまで。堂本灯こと上戸彩はカワイイ! じゃなくて,その真剣な演技に好感を持ちつつ,一方で羞恥の念にもかられています。私も,司法書士一年生のときは,「法律家として…」とドラマの台詞のように恥ずかし気もなく広言して憚りませんでしたから。
 ドラマを見ながら過去の自分に反省半分,最近はそのような元気のある無茶な新人を見ないなあ,と晩酌の影響を受けて年寄りぼやきモードに入ったりもします。

 第4話のワンシーンで気付いたこと。堂本灯が自宅で弁護士法を参照しながら,開いていた六法をバタッと閉じる場面があります。使われていたのは,有斐閣の「六法全書」の第1分冊なのですが,薄紫色でした。これだけでも結構な年代物であることが想像できるのですが,一瞬だけ映った表紙から「平成元年版」ではないかと。そうだとすると,小道具としてはちょっと失格ですね,いくらなんでも古すぎます。六法は最新版を使いましょう(もちろん,私たち実務家は毎年買い換えています)。

 で,そのような戯れ言はさておき,今週放送の第4話は多重債務問題が取り上げられていました。多重債務処理は,弁護士だけでなく司法書士も取り扱う法律事務です。破産案件における「過誤」の問題も取り上げられていましたが,話の展開がやや飛躍気味でした。取り上げるのなら,誤解を与えないよう,免責前の破産者に対する資格制限についてはもう少し丁寧な説明がほしかったところです。
 ただ,現実にも十分起こりうる内容で,ちょっとした気の緩みから他人の人生を左右させてしまう過誤の恐ろしさに,実務にいる専門家として改めて襟を正された次第です。

(第65号)

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暫定

ざんてい【暫定】
しばらくの間、仮に決めておくこと。
(三省堂「例解小学国語辞典第三版」、2005年)

 1974年度から34年間続いた「暫定」の制度が、2008年3月31日をもって失効した。しかし、同年5月1日から10年間、これまでと同じ「暫定」の制度が再び続くことになった。2008年4月のわずか1カ月間だけ本則に戻ったのだが、これは極めて『暫定』的な措置であった。

  なんのこっちゃ??

 大人には、小学生にきちんとした説明のできる言動が求められます。

(第64号)

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