命を繋いで4年間
先週末、妻の手作りケーキで、二男の4回目の誕生日を祝いました。
以前にこのブログでも書いたとおり、二男は重度心身障害者です。
生まれてすぐ保育器に入り、産院で手に負えなくなって救急車で東京都立清瀬小児病院の「NICU」に搬送されました。このとき初めて、NICUと呼ばれる新生児集中治療室のことを知りました。
この時点では重い障害のことも判らず、いまのような暮らしは想像の範囲外、未知のものです。が、それから今日までのことはここでは省略しましょう。
さて4歳といえば、幼稚園に入園する歳ですね。イタズラは、し放題。お菓子やケーキが大好き、歌も歌い、お遊戯もでき、アスレチックで遊ぶことだってできる年齢です。
でも二男は、鼻からチューブでの経管栄養、自分の意思で立つことはおろか座ることもできない。手や足が自己の意思どおりには動かず、言語も発することはできず、排泄にも介助が必要です。私たちが考える”意思の疎通”など不可能なのです。
こうして健常児と比べると二男にはできないことばかりですが、見方を変えると、歳を重ねて成長していることも実はたくさんあるのです。二男なりの時空があるのでしょう。
寝返りが打てなかったのにいまは自由自在。音や物に反応しなかったのに追うようになった(視覚及び聴覚の”確認”)。口から食べることが全くできなかったのに、おいしい物は知っていて要求する仕草を見せるようになりました。肉やイクラは大好きなようです。何よりうれしいことは、笑うようになったことでしょうか。それも、ゲラゲラと。
とくに1年前から保育園に通えるようになって以降の成長は著しく、特筆しておかなければなりません。
あれもダメこれもダメと人のできないことばかりを挙げて排除するのではなく、あれはできるこれができるという視点で見ることが、障害児はもちろん、どんな人にも大切なのではないでしょうか。そんな視点で二男を公立保育園に受け入れてくれた川越市には、改めて感謝しています。
また1年、彼はどんなことができるようになるのでしょうか。確率は低くても可能性だけは無限に広がっています。
(第57号)
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