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四国遍路第5話(阿佐線)

 ~線路がつながる日はくる?~

Shikoku_e  日和佐駅に戻ると、先ほど薬王寺で写真を取り損ねた「ゆうゆうアンパンマンカー」が停まっていて、ホームにはたくさんの幼稚園児がいました。発車する様子は見受けられず、道の駅で絵葉書を買い求め、同行者と雑談をしているうちに、12時21分発の海部行き普通列車が2両編成でやってきました。
 列車では見られないという千羽海崖を見てみたいと思いましたが、それでは乗りつぶしにならないのでじっとこらえて乗り込みます(”千羽海崖は日和佐港外から南へ二キロにわたって続く断崖で、高いところは二五〇メートルにも及ぶという”~「時刻表2万キロ」より)。
 ボックスシートでおにぎりを頬張っていると12時42分、牟岐に着きます。上り特急「むろと2号」と行き違うため、10分ほど停車。牟岐からさらに15分ほど乗って13時11分、牟岐線の終点海部に着きます。終点とはいっても短いホームの先に線路は続いていて、ここで乗り換えを余儀なくされる理由など見受けられません。単に会社が変わるからですが、こういう不便は解消してもらいたいものです。
 さて、徳島から、地図に長い紐を落としたように南下し、半島でもない場所で行き止まりになってしまっている牟岐線というのは、どういう路線なのでしょうか。これをひもとくには、かなり歴史をさかのぼらなければなりません(地図は,JTB時刻表2007年8月号から引用)。

 徳島から室戸岬を経由して高知へ向かう鉄道は、「阿佐線」という1つの計画のもとに建設が進められました(1922年制定の改正鉄道敷設法別表第107号に掲げる予定線「高知県後免ヨリ安芸、徳島県日和佐ヲ経テ古庄附近ニ至ル鉄道」の一部)。
 その後、「牟岐線」として、1936年から1939年にかけて日和佐まで、1942年には牟岐までが開通しています。海部まで伸びるのは、それから30年以上もあとの1973年。その海部から先わずか2駅の甲浦まで延長されるのに、さらに18年。一方、高知県側後免から奈半利が開業するのは21世紀になった2002年になります。
 現在は、徳島から海部まで79.3kmがJR牟岐線、海部から甲浦まで8.5kmが阿佐海岸鉄道阿佐東線、甲浦から奈半利まで約50kmは高知東部交通のバスが1日8本連絡し、奈半利から後免まで42.7kmが土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線(後免から高知までJRに乗り入れ)と4つに分断された状態で、辛うじて1つのルートを形成しています。
 鉄道の終点である甲浦(徳島側、但し、駅は高知県にある)と奈半利(高知側)は、どちらも近代的な直線の高架橋が、そこで突如プツリと切れて終わっています。いずれも終着駅の風情ではなく、この先、工事をして先に延ばしていくような恰好です。果たして、この先、甲浦と奈半利が鉄道で結ばれる日が来るのでしょうか。

 「徳島から牟岐までは昭和四八年の正月休みに乗ったけれど、その年の一〇月に海部まで延長されたので、あらためて全線に乗りなおさなければならない。海部から先も、室戸岬を回って土讃本線の後免へつなぐ工事が進められており、いずれは開通して四国東部を循環する「阿佐線」が実現するらしい。そうなれば心勇んで乗りに来るだろうが、いつの日のことかまったくわからないから、とりあえず牟岐-海部間に乗っておかざるをえない。
 …(中略)…
 昭和四八年開通の新線区間は、牟岐までとはがらりと変って高架橋や高い盛土の上を行くようになる。二つ目の浅川までは左手に海が見渡せるが、ふたたび山中に入ったと思うまもなく、やや広い平地が現われ、最後の阿波海南を過ぎると海部川を渡って、真新しい高架駅の海部に着いた。駅だけ立派で、あとはこれといった所で、新幹線の岐阜羽島を小型にしたような終着駅であった。駅前広場の周辺には区画整理がなされていたが、一日六本しか列車が発着しないから格別の建物はなかった。
 それでも室戸岬へ向かう阿佐線の工事は進捗しているようであった。その反対方向の徳島寄りの線路上を見ると、部厚いコンクリートがトーチカのように線路を覆った妙な構築物があるので、あれは何かと車掌に訊ねると、開通当時はトンネルだったが、駅周辺の整地のために山が切り崩されてコンクリートだけが残ったとのことであった。こんなところでもそういうことをするのかと思った。」
(宮脇俊三著「時刻表2万キロ」p207、p210、河出書房新社、1978.7.10初版)

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 ごめん・なはり線開業の翌年、宮脇俊三は、76歳でこの世を去ってしまいます。戒名は「鉄道院周遊俊妙居士」。雑誌「旅」(2000年9月号)のインタビュー記事では、宮脇は、阿佐海岸鉄道に乗っていないと答えていました。両線に乗ることは叶ったのでしょうか。
 「阿佐線」は、それからもう工事すらしていません。これ以上待っていても、いつ鉄道として伸びていくかわかりません。もちろん、私も、「いつの日のことかまったくわからないから、とりあえず」いまあるこのルートに乗っておかなければなりませんし、伸びたら伸びたで、「そうなれば心勇んで乗りに来る」ことでしょう。伸びるどころから、廃止されて乗れなくなることを心配したほうがいいかもしれません。
 18年の歳月をかけた区間もわずか11分。宍喰を出てすぐに入った長いトンネルで県境をまたぎ、13時29分、トンネルを出てすぐの甲浦に着きました。行き止まる線路をながめていたら、伸縮どちらにしてもそんな日が来るのは、私にとって幸福か不幸か複雑な気持ちになりました。

 ほどなく駅には、室戸岬を通り、もう1つの終着奈半利へとつなぐ、いたってふつうの路線バスがやってきました。雄大な太平洋をながめながら、私たちほか数名を乗せたバスは室戸岬を目指し南下。Vの字型で岬を通過すると一転、北上。甲浦から1時間50分をかけて奈半利に到着です。
 甲浦と同じく3階くらいの高さにあるホームに上がると、高架線路はいま来た室戸岬の方向を向いたまま途切れています。一方、高知寄りを見ると、ローカル線とは思えない立派な鉄橋が見えます。
 2両ほどしか停まれない短いホームの出入り口付近に、1両の半分にも満たない長さの屋根があり、そこにある木製の椅子に腰を落とし列車を待ちます。陽はだんだんと傾き、「阿佐線」をめぐる旅もそろそろ終わりです。やってきた折り返しの高知行き17時13分発の快速列車は、黄色と黒で彩られた「阪神タイガース号」。沿線の安芸市営球場で阪神タイガースがキャンプを毎年行っていることにちなむもの、だそうです。
 これで奈半利をあとにして、先ほど見た重厚な線路を快走します。向かう車窓に陽が落ちゆき、目的地・高知はもうまもなくです。
 (第6話へ続く)

*写真の説明(左から順に)
 甲浦駅の車止め(写真の奥が徳島方向)
 甲浦駅のホームから室戸方向をみたもの
 奈半利駅の車止め(写真の奥が高知方向)
 Img_0506奈半利駅のホームから徳島県方向をみたもの
(上の右側の写真) 「時刻表2万キロ」に出てくる”トーチカのよう”なもの

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(第39号)

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コメント

 「時刻表2万キロ」で牟岐線が出てくる第11章に、小松島線(1985年廃止)の終着小松島港駅から、牟岐線の海部行きに乗るために南小松島駅まで歩くことにしたことが書かれています。そこには、こんな話があって思わずうなづきました。

 「考えてみると、歩いたために汽車に乗り遅れた記憶はない。乗り遅れの原因でいちばん多いのは睡眠で、つぎがタクシー。接続するはずの列車が遅れたためというのも少なくないが、いずれにせよ一位とビリが人力で中間に機械文明がある。私は二万五千万分の一の地図をたよりに正確に歩いたので、思ったより立派な南小松島駅に着いたのは発車三分前であった。」

 四国に渡る計画を最初に練ったのが1989年。
 しかし、広島で悠長にお好み焼きを食べていたため列車に乗り遅れ、それが原因で四国に渡るのは以後18年もオアズケをくわされたのです。寝る、食う、タクシーで乗り遅れとは、言われてみればほかにも思い当たり、まことに恐れ入った次第です。

投稿: 鉄まんアトム | 2008年3月13日 (木) 23時09分

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