四国遍路第12話(宇高航路)
~瀬戸は日暮れて~
宇野駅に降り立ちました。
ここはもう、四国ではありません。本州・岡山県です。
まだ17時前ですから、東京へ帰ることは十分可能です。しかし私が持っているのは、高松21時26分発「サンライズ瀬戸」東京行きの寝台券です。ここでアンパンマンとばいきんまんの闘いが始まりました。
なにが 君の しあわせ なにをして よろこぶ
わからないまま おわる そんなのは いやだ!
というわけで、愛と勇気だけがお友だちのアンパンマンが、東京へ帰れというばいきんまんを、アァーンパンチ!ばいばいきーん、してくれました(ん?もしかして、逆?……つまるところどちらでもいいんです、結論は同じですから)。
さて、そう決まるとどうしましょう。宇野から高松へ行くには船で行くものでしょう、ふつう。すると、「宇高国道フェリー」という大看板が目に入ってきました。宇高連絡船の記念碑を写真に納め、大看板のもとへ急ぎます。見た目以上に距離がある乗り場に着くとベルが鳴っていて、係のおじさんがこちらへ向けて無情にも手をバツにしています。世は無常です。
宇高国道フェリーは、廃止された連絡船と違い、「うこう」ではなく「うたか」と読むのが正しく、宇高間を28分おきに24時間じゅう運行し、所要時間は約1時間、運賃は大人390円の航路です。あとになって知ったことですが、宇高間にはもう1つ「四国フェリー」の航路もあります。運行間隔、所要、運賃いずれも同じですが、宇野・高松とも四国フェリーのターミナルの方がより駅に近く、鉄道利用者にはそちらの方が便利のような気がします。
待つこと30分ほど。17時15分、「こくどう丸」は宇野を出港しました。黄昏の宇野港がどんどん小さくなっていきます。船が宇野港外に出ると、右舷には瀬戸大橋の全容が見えてきます。南北備讃瀬戸大橋や岩黒島と櫃石島の斜張橋も確認できます。斜張橋とは、宮脇俊三によれば「ピアの両側に多数の細いケーブルを斜めに垂らして橋桁を支えるという構造で、横から見ると『羽を広げた白鳥のように美しい』と形容される」(日本交通公社「旅」1988年4月号”瀬戸大橋初乗り記”※後注参照)ものです。なるほど橋は渡るだけでなく、見る楽しみもあります。
宇高航路から橋までの距離およそ20キロ。いかに瀬戸大橋が大きいかが伺えます。宇宙からも確認できるそうです。
点在する数々の島々、行き交う漁船や貨物船、そして霞み立つ内海の奥に吊橋のシルエット…。大槌島の頂上に太陽が重なるのを見ると、もう四国沿岸。左舷には行きに高松港で夢見た鬼ヶ島(第4話参照)が近づきます。退屈を覚える間も与えられぬまま瀬戸は日暮れ、高松の街が前方の視界に入ってきました。
18時20分高松港接岸、再び四国に上陸しました。夕映えの港風景を10分ほど眺め、四国フェリーのターミナルを横目に高松駅へと歩きました。10分とかからず高松駅到着です。
四国滞在時間もあと3時間を切りました。
まずはおみやげ売場の営業時間を確認。駅の横にあるスーパーの営業時間も確認。ついでに陳列商品の品定めも。これで準備は万端。夕食の場所には悩みましたが、駅前の異様な建物(マリタイムプラザ高松のこと。下中の写真)に飲食店街が あることを発見。四国シメのメシは讃岐うどんに決め、3階にある”うどんの宗家”という「川福」に入りました。
買い物の時間を考慮して時間に余裕のあることを確認して、”旬菜コース5品”2700円也を注文、生ビールも頂きました。20時を過ぎてうどんが出されました。これを平らげると、サンライズの発車までもう1時間を残すのみとなりました。
都会的な雰囲気を醸し出す高松駅の写真を撮って、家族への心ばかりの土産物と、水、氷、果物を買い込みます。9時を過ぎ改札を入りホームに向かうと、サンライズは9番線で私を待ち受けていました。
(第13話へ続く)
※注 「車窓はテレビより面白い」(宮脇俊三著、徳間書店、1989年)に所収。同書は、「宮脇俊三鉄道紀行全集」第6巻に抄録されており、同記事も所収されている(但し、写真などは省略されている)。
(第47号)
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