四国遍路(あとがき)
この考えは、じつに浅薄であった。
せめて目的を果たした第6話で止めておくべきだったと思う。
これまで人に読んでもらうことを前提とした紀行文など、書いたことがなかった。あらためて思う文章で事実を事実として伝えることの難しさ。感動や気持ちを形容詞抜きで語れない語彙の少なさ。筆が乗れば自己陶酔に陥るみっともなさ。紡がれた文章を読めば、これは熱狂的な”テツ”の姿そのものではないか。
どうしてこれまで四国には足が向かなかったのだろう。あまり過去をふり返りすぎても意味はないが、もう少しやり方はあったように思える。
今回の乗りつぶしで「国鉄」全線完乗の旅はようやく、2万キロを超えた。これまで四国訪問の話は何度も持ちあがり、でも消えていった。四国への旅行をいくら計画しても実現しなかった。入口には鬼ヶ島もある。鬼門にして懸案。その四国で『乗りつぶし2万キロ』を超えた意味は、自由民権運動が鈴木安蔵に与えたものと同じくらい、私にとって大きい。
そんな四国の完乗、そして2万キロ超えというけじめで、とにかく一部始終を書き上げたに過ぎない。釈明にならぬ釈明であるが、ろくな推敲もせぬままであることはそれでご諒恕いただくほかない。
本文の至る所で引用した宮脇俊三の著作物との出会いは、20年以上もさかのぼる。
当時高校時代に、「時刻表2万キロ」を何気なく手に取ったのが命取り。それから夢中になって、文庫本で出ているものはすべて読破した。
「時刻表2万キロ」には、第11章で私の生まれ故郷を走る能登線のことが書かれているのだが、宮脇はなんと牟岐線に乗った後に能登へ、それも先端の蛸島に向かうのである。そんな第11章の部分は何度となく読み返ししため、牟岐線とともに頭に焼き付くことになった。
その牟岐線をようやく訊ねる今回の旅行の前後に、第11章を読み直してみた。面白くなり、結局「時刻表2万キロ」を最初からまた全部読んだ。宮脇文学に、テツのテツによるテツのための鉄道旅行記ではない”何か”を見つけたような気がする。何かはうまく説明できないが、私はいま再び、「宮脇俊三の世界」に夢中だ。
宮脇は、新たな開通を待ち望むことは人生の残り時間が早く過ぎ去って欲しいと願うのと同じだと自嘲ぎみに自問自答していたが、いまは、いまある路線の存続を一日でも長くと願うのが情勢だ。牟岐線終着海部の先には鉄路ができたが、宮脇がそれを夢見つつ向かった能登線は、もうない。
話を四国に戻す。四国にはまだまだ行きたいところがある。これで終わりではない。
そして、四国はもはや鬼門ではない。
また『乗りたい! と思う』。
だが、筆が乗り始めたところで一つ大事なことを思い出した。
宮脇は「文章がうまくなる方法は?」という問いに、「推敲、とくに調子づいたところを削ることです」と答えている。
私が乗っていたのは、筆でもなく汽車でもなく調子だったのかもしれない。
旅の終わりは一杯のcoffeeで…。
ラッシュ前の下り通勤電車で飲むcoffeeは、これまた格別だった。
(第49号)
※「四国遍路」全14話は,プロローグ(第35号)にリンクを掲載しています。
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