なごり雪でウヒョ~ムヒョ~の赤城山へ

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2年&2季ぶりの雪山、赤城山主峰黒檜山~駒ヶ岳の稜線にて
撮影2024年3月27日 Sony RX100M6/SILKYPIX DeveloperStudio Pro11

 2年ぶり&2シーズンぶりに雪の赤城山に行ってきました。前日は降り始めが雨で、しだいに風雪へと変わったようで、なごり雪と言うには苛烈な、厳冬期さながらの積雪量・雪景色に塗れました。

 ふと天の声が聞こえます。翌日晴れれば好機。スケジュールは空いている。もう2年も雪山やってない。おそらく今季最後のチャンス。いいかげん重い腰を上げろ。などなど‥‥
 そうして翌朝現地に着いてみると山は雲の中。やっちまったなーと思いながらも荒れているわけではないから歩いていくと、昼を過ぎ、しだいに雪晴れに。ひと味もふた味も違った光景や雪の多さにウヒョ~ムヒョ~が止まりません。

 足元には雪庇やシュカブラ、木々は雨氷、着雪、霧氷がキラキラ輝き、さながら雪氷造形の美術館でしたが、とりあえずはこれ1枚だけご紹介。時間が取れればまた振り返ります。

(第1133号)

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往復24kmママチャリロードでカタクリ詣

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 菜種梅雨の止み間の日曜、入間市の牛沢カタクリ自生地を見てきました。家から入間川自転車道(県道川越狭山自転車道線)を通って片道約12キロ、ギアが付いていない純粋ママチャリで往復しました。肝心のカタクリは咲き始めたばかりでまだぽつぽつでしたが、春の妖精さんたち、楽しませてもらいました。
 どこかお店でランチと思いつつ現地近くのスーパーを覗くと、美味しそうな寒サバのお寿司が並んでいて、お茶にデザート添えても千円でお釣りです。なので迷わず買って入間川の河原で頂きました。
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 帰り道は緩やかなヒルダウンで、やや強めの西風も手伝って、時速30キロぐらい余裕で出ちゃう快速ママチャリロードでした。

*2024年3月24日 埼玉の自然100選 牛沢カタクリ自生地(埼玉県入間市)

(第1132号)

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復刊あさいち

 1970年代、私が幼少の頃の輪島朝市を描いた絵本『あさいち』が、40年以上の歳月を経て復刊されました。3年にわたり朝市に通っての取材のたまもので、私の耳に残る音風景、当時の能登のおばばたちの何気ない会話の様子がいきいきと紡がれています。

 元日の地震で失われてしまった輪島朝市の活気と気風を伝える絵本、こうてくだー
 ※ 本書の利益は能登半島地震の災害義援金として日本赤十字社に寄付されます
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『あさいち』 絵=大石可久也、語り=輪島・朝市の人びと 福音館書店 定価1100円
1980年1月1日かがくのとも発行、1984年4月2日第1刷、2024年3月10日第6刷

(第1131号)

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緊急出版、能登半島地震の特別報道写真集

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 元日の能登半島地震から2か月になるのを前に、地元2紙(北國新聞・北陸中日新聞)がそれぞれ『特別報道写真集』を緊急出版しました。すぐ買い求めました。

 発災後、まだ一度も能登を訪れることができていません。緊急の用があるわけではないし、行けば救援や復旧の妨げになってしまうでしょう。何より未だ行方知れずの方がおいでるし、1万を超える人が避難を強いられており、水道の復旧はおろか仮設住宅への入居も遅々として進んでいません。

 私は能登出身と言えど、たまたま穴水で生まれただけで、すぐに能登を離れた、当地で言うところの「旅人」「旅のもん」と同じような者です。
 そうは言っても、能登で生まれ育った両親のもと、子供の頃より能登との関わりは深く、私にとって第一の故郷は能登なのです。だから、ただの傍観と変わりはなくても、地元の新聞には毎日必ず目を通したいし、他人様の手を煩わせず手に入れられるものは手に入れ、少しでも能登のいまの様子に接していたいです。
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 さて、私は『北國』は好きではありませんが、どちらか1冊買うなら今回は北國でしょう。値段が中日の倍に近いものの、情報量が多い(ページ数もほぼ倍)です。

(第1130号)

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春の妖精セツブンソウを探しに小川町へ

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 春の妖精“Spring Ephemeral”の第一走者と言われるセツブンソウ探しに、先週末、比企郡小川町まで出掛けてきました。節分の頃に咲き出すので季節を分ける花とも云われます。
 埼玉では、小鹿野町(旧両神村)に国内有数規模の自生地があり、横瀬町にもよく知られた群落があります。どちらとも時間も距離もそれなりに遠いです。いっぽう、比較的近い小川町でも見られると聞き、探しに行ってみました。川越から東武東上線で最速31分です。

 両神や横瀬ほどの規模ではないけど、たしかに節分草ちゃん、いました。思っていたよりたくさんいました。指先ほどの小さな妖精たちを眺めているだけで癒やされます。前回セツブンソウを見てからなんと6年が過ぎていました。
 これまた6年ぶりに受ける大腸内視鏡検査を2日後に控え、ついでに近くの低山を少し歩いてきました。検査でポリープ切除があると1週間は運動禁止ってことで、はい、次の週末のお出掛けはできなくなりました。

(第1129号)

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急行能登路11号

 ―― ご乗車ありがとうございます。急行能登路11号、珠洲、輪島、蛸島行きです。列車8両で運転しております。先頭が8号車です。穴水から先、前寄り4両が能登線に入る急行珠洲行き、中程2両が急行輪島行きです。後ろ2両は穴水から能登線の各駅に止まる普通列車蛸島行きです。お乗り間違いございませんようご注意下さい ――
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 能登半島を南北に縦断し、県都金沢と奥能登の珠洲・輪島を結んでいたのが急行「能登路」です。金沢~珠洲156.5キロを約3時間。その中でも11号(のち7号)はいわゆる“3階建”の列車で、穴水で3つに切り離されていました。車内放送は頭書のようだったとぼんやり思います。里山海道などない時代、そんなのが1日9往復以上も駆け回る能登の交通の要でしたが、その姿はとうになく、生まれ故郷の穴水から先にはレールすらありません。
 急行能登路には、ローカル線を走る列車には珍しく、ヘッドマークが付けられていました。意匠は奥能登の象徴とも云われる珠洲の見附島(別名軍艦島)です。元日の震災で大きく崩れてしまって、かつての姿はもうありません。左横にあった小島も何年か前に島ごと消え失せています。

 今回の地震ではのと鉄道の残存区間も大きく損傷。だけど存廃論議など起こることなくすぐに復旧が進められ、七尾から能登中島までが2月15日運行再開されました。4月には穴水にも列車の往来が戻るそうです。こちらは震災前の姿を取り戻します。足元を照らす希望の光の1つになることはまちがいありません。

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春よ来い、汽車よ来い、早~く来い!
のと鉄道 能登鹿島駅/石川県穴水町 撮影2006年

(第1128号)

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年賀状2024

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ふるさと能登を襲っている大地震の惨状に言葉が出てきません。
丸2日が過ぎても被害の全容は窺い知れません。

例年、年賀状の絵面とともに新年の祝詞を披いているところ、そうした文章を紡げる状況・心境にありません。よって本年は絵面の紹介のみとします。

2024年1月4日

  ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

追伸 石川県の地元紙は北陸中日新聞と北国新聞です。2紙とも紙面を臨時で無料公開してくれていて、ありがたいです。知りたい情報のほとんどをこの2紙から得ています。
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北陸中日新聞 https://www.chunichi.co.jp/article/831384?ref=oshirase
北国新聞 https://viewer.hokkoku.co.jp/calamNAVi/NAViih#sec_page_paper_detail

(第1127号)

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雑木林、落ち葉コレクション

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 年の瀬が迫り、師走に紅葉する川越の雑木林ももう冬木立です。落ち葉と言うと、そんな冬枯れの森のイメージかもしれませんが、シーズンは紅葉の盛りの頃です。徒歩数分圏の事務所近くの雑木林をメインに、そんな落ち葉たちを集めてみました――

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たまたま赤城山アーベントロート

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アーベントロートの赤城山と坂東太郎 @上毛大橋 群馬県前橋市~北群馬郡吉岡町
撮影2023年11月25日 Sony RX100M6/Capture One 20


 7月に注文した二男の装具が出来上がったとの知らせを受け、先週末、前橋市内の工房を再び尋ねました。午前中からの最終調整のすえ引渡しを受け工房をあとにしたのは、前回同様16時近くでした。
 家路で利根川を渡る上毛大橋に差し掛かったら、赤城山が大きく、夕日に照らされていました。せっかくなので車を置いて歩道から撮ることに。橋の上は颪(おろし)に吹き曝され極寒でしたが、20分あまり、陽が山を駆け上がっていくのを見届けました。

 富士に次ぐ長さを誇る裾野はちょうど紅葉にも染まっており、ビーナスベルトの夕陽ともあいまって、なかなかのアーベントロートでした。写真はその中盤で最後さらに紅くなりました。車に戻ってしばらくは震えが止まらなかったのは言うまでもありません。

(第1125号)

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二十年大昔、それからさらに十年

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 いまから30年前、1993年11月25日、平成5年度司法書士試験の合格発表がありました。そこで私は司法書士となる資格を得ました。10年前、このブログで「二十年大昔」と題して、そのことを書いています。当日の官報は10年前よりさらに色褪せが進みました。

 この10年での最大のイベントは事務所移転です。物品の大幅な処分を急ぎ迫られました。古い書類を仕分けていくなかで、法務局からの合格通知書と、受験予備校での合格祝賀会アルバムが見つかりました。当時の書面はB5、封書62円、郵便番号5ケタでした。
 一度は廃棄箱に投げたのですが、拾い返してとりあえず残しました。初心忘るべからず、は、私の場合、若かりし頃の思い上がりを戒める言葉でもあり、そのためです。

(第1124号)

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